法華経神力品を拝しますと
「我が滅度の後に於いて応に斯の経を受持すべし 是の人仏道に於て決定して疑い有ること無けん」 (法華経五一七頁)
とあります。
この御文は神力品の最後、結びの御文でありますが、「減後」とは正像末の三時に通ずるも、まさしくは末法今時を指し、「斯の経」とは一往は法華経のことでありますが、末法観心の上から拝すれば、文上の法華経を指すのではなく。寿量品文底秘沈の妙法華経のことであります。
「受持」とは受は、受領の義、持は憶持の義にして、r法華文句」に、「信力の故に受し、念力の故に持す」 (文句会本中六ー二頁)
とありますように、 信念力をもって受け持つことであります。 末法におきましては、 信念を堅固にして三大秘法の大御本尊様を受け持つことであります。
「決定して疑有ること無けん」とある「決定」とは、 確定的にことが決まって動じないこと、つまり疑いないことであります。 すなわちこの御文の意は、滅後末法において法華経、すなわち寿量品文底秘沈の妙法蓮華経を受持する者は、成仏することは疑いないとの意であります。
そもそも、爾前諸経におきましては歴劫修行を説き、浅きより深きへ次第に修行を進め、成仏に至るとする、いわゆる次位の次第を定めております
が、法華経はしからず、提婆達多品において竜女の即身成仏を説き、 歴劫修行をせずとも成仏することができることを明かされているのであります。
故に「三世諸仏総勘文教相廃立」には、
「一切の法は皆是仏法なりと通達し解了する、是を名字即と為づく。名字即の位にて即身成仏する故に円頓の教には次位の次第無し」 (御書一四一七頁)
と仰せられているのであります。
(平成二十三年十一 月号55頁)