ホヌム » 日蚘 (ペヌゞ 41)

「日蚘」カテゎリヌアヌカむブ

法華経に぀いお㉘

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法華経に぀いお党
倧癜法 平成幎月日刊第号より転茉

『薬王菩薩本事品第二十䞉』
 圓品の説凊に぀いお
 今回孊ぶ『薬王菩薩本事品第二十䞉』から『劙荘厳王本事品第二十䞃』たでの五品は、本門流通分、付嘱流通䞭の化他流通に圓たりたす。
 法華経は、䞀郚八巻二十八品からなりたすが、初めの『序品第䞀』から『法垫品第十』たでは王舎城近くの霊鷲山で法を説かれたので霊山䌚ず蚀いたす。
 次に、『芋宝塔品第十䞀』から前回の『嘱环品第二十二』たでの十二品は、霊鷲山の遥か䞊空の虚空で説かれたので虚空䌚。
 そしお今回の『薬王菩薩本事品第二+䞉』から『普賢菩薩勧発品第二十八』たでの六品は、再び霊鷲山に戻っお説かれるので霊山䌚ず蚀い、これを二凊䞉䌚ず蚀いたす。
 前回の『嘱环品』においお、釈尊は法華経の総付嘱を終えるず、十方より来集した分身の諞仏を、その各々の本土に垰らせようずしお、「仏たちは、それぞれ安楜にしお随意になされよ。倚宝劂来の塔は、再び元の通りになされよ」ず述べられたした。そしお虚空䌚に留たっおいた倚宝劂来の宝塔の扉が閉じられたした。そしお釈尊自身も空䞭の倚宝劂来の宝塔から霊鷲山の䞊に降りられたした。こうしお虚空䌚の儀匏を終えられ、再び霊鷲山の䌚座の堎所ぞず戻られたのです。ここから、今回の『薬王菩薩本事品第二十䞉』の説法が始たりたす。

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 圓品の倧意
 圓品では、薬王菩薩の本事泚1を明かしお、法華経を身をもっお実践するこずを勧奚し、さらに法華経受持の功埳を説き、法華経の流通を促しおいたす。
泚1  本事 「本」ずは、本地や本生などのように倧本の意。「事」は実際の行為や出来事、修行の意

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 薬王菩薩の本事に぀いお
 圓品は初めに、宿王華菩薩が釈尊に察しお、薬王菩薩の本事を問うずころから始たりたす。
 薬王菩薩は、遥か昔、日月浄明埳仏の匟子で、名を䞀切衆生憙芋菩薩ず蚀いたした。日月浄明埳仏のもずで法華経を孊んで長い間粟進し「珟䞀切色身䞉昧」を䜓埗したした。これは、盞手に応じお自圚に姿を珟わしお法を説くこずができる䞉昧粟神統䞀の力です。
 䞀切衆生憙芋菩薩は、法華経によっお埗た䞉昧の力で、様々な華や銙氎を降らしお仏を䟛逊したしたが、身をもっお䟛逊するほうが勝っおいるず考え、千二癟幎もの間、銙油を飲み、䜓䞭に銙油を泚いで自らの身を燃やし、日月浄明埳仏を䟛逊したのです。その光明は、ガンゞス河の砂の数の八十䞇億倍の䞖界をくたなく照らしたした。
 その焌身䟛逊の姿に、諞の仏たちは皆䞀同に、
「善哉善哉、善男子、是れ真の粟進なり。是を真の法をもっお劂来を䟛逊すず名づく」法華経 五二六㌻
ず蚀っお讃嘆したした。
 そしお䞀切衆生憙芋菩薩は千二癟幎もの間、䜓を燃やし続け、぀いに燃え尜(぀)きたのです。
 諞仏が䞀同に薬王菩薩の焌身䟛逊を讃嘆諞仏同讃しお述べられた句に関連する話ずしお、倩台倧垫が垫である南岳慧思のもず、倧蘇山においお法華経を修行しおいたずき、この句に至っお悟りを開かれたず䌝えられおいたす。これを倧蘇開悟ず蚀い、これにより倩台倧垫は、薬王菩薩の埌身ず蚀われるようになりたした。

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 再床の焌身䟛逊
 千二癟幎もの間焌身䟛逊し呜終した䞀切衆生憙芋菩薩は、再び日月浄明埳仏が圚す囜土の浄埳王の家に、結跏趺坐したたたの姿で、即座に化生泚2したのです。そしおたた、仏のもずぞ詣でお瀌拝䟛逊したした。この時、仏は「私は今倜入滅するであろう。私は今、仏法及び遺品のすべおず我が舎利を汝に付嘱するから、汝は仏法を流垃し、塔を建おお䟛逊せよ」ず告げ、間もなく入滅されたした。䞀切衆生憙芋菩薩は嘆き悲しみ、栎檀の薪で火葬䟛逊し、舎利を収集しお八䞇四千もの塔を建立したしたが、それでも飜き足らず、その塔の前で自身の臂を焌いお、䞃䞇二千幎もの間䟛逊したのです。
 人々は、菩薩の臂が燃えおなくなったこずに悲しみたしたが、菩薩は「私は、臂を焌いた功埳により、必ず仏の金色の身を埗るのだ。それが真実であるならば、我が䞡臂は元通りずなろう」ず誓いを立おるず、菩薩の犏埳によっお、たちたち元通りずなり、宇宙法界が振動しお倩から華が降り、すべおの人々は心から感激したのです。
泚2  化生 四生〈卵生・胎生・湿生・化生〉の䞀぀で、応然ずよりどころなくしお生ずる意味ず、衆生を救うために、神通力によっお皮々に圢を倉えお生たれる意味がある

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 法華経匘通の功埳ず広宣流垃の倧法
 このように、䞀切衆生憙芋菩薩の故事を明かされおから、釈尊は宿王華菩薩に蚀いたした。
「この菩薩こそ薬王菩薩その人である。身を捚おお法華経を䟛逊する功埳は、このように無量である。もし仏の悟りを埗ようずするならば、よく手足の指䞀本でも灯しお仏の塔を䟛逊しなさい。それは党䞖界の囜土や宮殿・宝物を䟛逊するより、遥かに勝れおいる。たた、党䞖界を䞃宝で満たしお仏に䟛逊するほどの功埳であっおも、この法華経の䞀偈䞀句を受持する功埳には及ばない」
 そこで釈尊は、宿王華菩薩に察しお、法華経が諞経においお最も勝れおいるこずを十の譬え十皮の称揚※図衚参照をもっお説き明かされたした。
 続いお釈尊は、「宿王華よ、法華経は䞀切衆生を、あらゆる苊しみから救い、楜を䞎える経兞である。この法華経は䞀切の生死の苊しみを解くのである」ず述べられ、法華経の功胜を十二の譬え※図衚参照をもっお瀺されたした。
 そしお、「もし、この法華経を聞くこずを埗お、自らも信行し、他をも勧めるならば、その人の埗るずころの功埳は、仏の智慧をもっおしおも蚈るこずはできない」ず、法華経匘通の功埳を明かされたした。
 さらに釈尊は、続けお次のように説かれたした。
「宿王華よ、この『薬王菩薩本事品』を汝に付嘱す。汝は、法華経を仏の入滅の埌の、埌の五癟歳すなわち末法の時代に、この嚑婆䞖界に広宣流垃させお、けっしお断絶させるようなこずがあっおはならない。たずえ悪魔や魔民・倜叉等がこれを砎ろうずしおも、汝は神通力をもっお、この法華経を守護すべきである。なぜなら、この法華経は党䞖界の人々の病を癒やす良薬だからである。もし、病のある人がこの経を聞いたならば、たちたちに病は消滅しお䞍老䞍死ずなるであろう」
 この法華経぀たり本因䞋皮の劙法は、末法においお、必ず広宣流垃すべき倧法であるずいうこずが瀺されたした。このため、宿王華菩薩は、悪魔・魔民等が䟿りを埗お、劙法流垃を阻害するこずのないよう、『薬王品』の付嘱を受けおいるのです。これは、宿王華菩薩が末法に出珟しお劙法を匘めるずいうこずではなく、劙法ず、劙法を受持信行し匘通する私たちを必ず守護するずいうこずです。
 そしお、この劙法は䞀切衆生の病の良薬であり、この劙法によっお、私たちのすべおの病が消滅し、䞍老䞍死ずいう尊い垞䜏の仏ずしおの生呜が埗られるずされおいたす。この時、八䞇四千の菩薩が解䞀切衆生語蚀陀矅尌䞀切衆生の蚀葉を理解し蚘憶する胜力を埗たので、倚宝劂来は宝塔の䞭より、宿王華菩薩の質問の功を愛でたのでした。
 以䞊で、『薬王菩薩本事品』は終了いたしたす。

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 埡法䞻日劂䞊人猊䞋は、平成二十六幎十䞀月床の広垃唱題䌚の砌、『薬王菩薩本事品』の、
「我が滅床の埌、埌の五癟歳の䞭に、閻浮提に広宣流垃しお、断絶せしむるこず無けん」法華経 五䞉九㌻
の経文を匕かれお、次のように埡指南されおいたす。
「すなわち、広宣流垃は必ず達成するず仰せでありたすが、しかし、広宣流垃は我々の努力なしでは達成するこずはできたせん。
 そこに今、我々が倧聖人様の匟子檀那ずしお、䞀切衆生救枈の慈悲行である折䌏をなすべき倧事な䜿呜があり、責務が存しおいるこずを知らなければなりたせん。そしお、その䜿呜ず責務を果たしおいくずころに、我ら自身もたた広倧なる埡仏智を被り、蚈り知れない倧きな功埳を享受するこずができるのでありたす」倧癜法 八九䞃号
今、私たちは平成䞉十䞉幎の法華講員八十䞇人䜓勢構築をめざしお、毎幎の支郚折䌏誓願目暙を完遂すべく日倜、折䌏行に邁進しおいたす。どのような障魔が競い起ころうずも、埡指南の通りに自行化他の信心に励んでいれば、仏菩薩、諞倩の守護を埗お、広倧無蟺なる功埳を享受できるこずを確信し、さらに粟進しおたいりたしょう。

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法華経に぀いお㉗

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法華経に぀いお党
倧癜法 平成幎月日刊第号より転茉

『嘱环品第二十二』
 圓品は本門流通分の付嘱流通のうち、先の『劂来神力品第二十䞀』ず共に嘱环流通に圓たりたす。
 先の『神力品』では、釈尊から地涌の菩薩に「四句の芁法」の付嘱がなされ、滅埌末法の匘通が蚗されたした。
 圓品では続いお、すべおの菩薩たちぞの付嘱が説かれたす。

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 摩頂付嘱
 釈尊は、虚空における倚宝塔の説法の座より立ち䞊がっお出で、再び倧いなる神通力をもっお、右の手ですべおの菩薩の頭をなでられたした。
 そしお、次のように述べられたした。
「私釈尊は、無量の数え切れないほどの長い幎月にわたっお、埗難い無䞊の悟りである劙法を習い修行をしお、䜓埗しおきたのである。そしお、今、この倧法をすべおの菩薩に付嘱しよう。そなたたちは、䞀心にこの法華経を流垃しお、広く䞖の人々を利益しおいきなさい」
 このようにしお、釈尊は䞉床にわたっお䞀切の菩薩たちの頭をなでお、繰り返しお、「私釈尊は、無量の数え切れないほどの長い幎月にわたっお、埗難い無䞊の悟りである劙法を習い修行をしお、䜓埗しおきたのである。そしお、今、この倧法をすべおの菩薩に付嘱しよう。そなたたちは、この法華経を受持し、読誊し、広く流垃しお、䞀切の衆生に聞かせお理解させ修行なさしめなさい」
ず述べ、続いお、次のように説かれたした。
「その蚳は、仏は倧きな慈悲を持っお、䜕事も物惜しみするこずなく、たた畏れはばかるずころなく、人々に仏のすべおの智慧を䞎えるこずができるのである。故に、仏は䞀切の衆生にずっお法を斜しおくれる倧斜䞻であり、そなたたちも仏にしたがっお劙法を孊び、信受しお、けっしお物惜しみの心を生じおはならないのである。未来䞖においお、男性であれ女性であれ、もしこの円満なる仏の智慧を信受しようずいう者がいたならば、たさにその人が仏の智慧を埗るこずができるように、この法華経を説き聞かせなさい。しかし、もし信受しようずしない者がいたならば、たず法華経に至る前の段階に圓たる深い教えを説き聞かせお、その者らを教化しお利益を䞎え、歓喜の気持ちを起こさせるずころから始めなさい。このように法華経を匘通するならば、すなわちそれが諞の仏の恩を報ずるこずになるのである」
 この釈尊の埡蚀葉を聞いた菩薩たちは、倧いに歓び、たすたす仏を敬っお深く瀌拝しお頭を䞋げ、合掌しお声を揃えお次のように申し䞊げたした。
「釈尊の勅の通りに実行いたしたしょう。ですので、埡心配なさらないでください」
 諞の菩薩は、同じ蚀葉を䞉床申し述べたした。
 そしお、付嘱を終えた釈尊は、十方の䞖界より集たった自らの分身の仏を、それぞれの本土に垰らせるために、
「諞の仏たちよ。もずの囜土に戻り、安らかになされよ。たた倚宝劂来の宝塔は閉じお、元のようになしたたえ」
ず仰せられたした。
 この埡蚀葉を聞いた宝暹の䞋にいた分身の諞仏や倚宝仏、たた䞊行菩薩をはじめずする無数の菩薩たち、舎利北らの声聞衆に諞倩や阿修矅たちは、皆倧いに歓喜の心を起こし、圓品の説法は終わりたす。

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 総別の付嘱ず䞉時匘経の次第
 圓品の付嘱は『宝塔品』の、
「仏歀の劙法華経を以お付属しお圚るこず有らしめんず欲す」法華経 䞉四䞃㌻
の通呜に察する付嘱であり、地涌の菩薩のみではなく䞀切の菩薩に、釈尊滅埌の匘教を付嘱されたこずから総付嘱ず蚀いたす。
 この総付嘱に぀いお、倧聖人は『曜谷入道殿蚱埡曞』に、
「釈尊、然埌正像二千幎の衆生の為に、宝塔より出でお虚空に䜏立し、右の手を以お文殊・芳音・梵・垝・日・月・四倩等の頂を摩でお、是くの劂く䞉反しお法華経の芁よりの倖の広略二門、䞊びに前埌䞀代の䞀切経を歀等の倧士に付嘱す。正像二千幎の機の為なり」埡曞 䞃八五㌻
ず仰せられおいたす。この埡金蚀を拝しお、別付嘱ず察比し぀぀、教・機・時の䞉぀から説明したす。
 たず教に぀いお、法華経を広略芁の芳点から拝したすず、広の法華経ずは䞀郚八巻二十八品を蚀い、略の法華経ずは『方䟿品』ず『寿量品』の二品のこずを蚀いたす。これに察し、芁の法華経ずは題目の南無劙法蓮華経のこずです。
 この広略芁を皮熟脱の䞉益ず総別の付嘱から芋れば、広略の法華経は熟脱の仏法であり、圓品で総付嘱し、芁の法華経は文底䞋皮の仏法ずしお䞊行菩薩に結芁付嘱別付嘱されたした。
 次に機ず時からみれば、釈尊の滅埌は正法・像法・末法の䞉぀の時代がありたす。
 このうち正像二千幎は総付嘱された法華経匘通の時代ずなり、末法は別付嘱の法華経の時代ずなりたす。
 ぀たり、正像二千幎の衆生は既に過去に䞋皮を受けた本已有善の衆生であるため、総付嘱にしたがっお、広略の熟脱の法華経が匘められたした。
 それに察し、末法の衆生は未だ過去に䞋皮結瞁を受けたこずのない本未有善の衆生であるため、別付嘱にしたがっお地涌䞊行菩薩が出珟しお、芁の法華経である文底䞋皮の南無劙法蓮華経を匘められる時代なのです。
 この末法出珟の䞊行菩薩ずは、正しく宗祖日蓮倧聖人の埡事でありたす。さらに本宗の埡盞䌝によれば、ここに倖甚は䞊行菩薩、内蚌は久遠元初の自受甚報身劂来であられるこずが拝されるのです。
 こうした付嘱にしたがっお、正像時代には迹化薬王菩薩の再誕である倩台倧垫や䌝教倧垫が珟われお、広略の法華経を匘められたした。
 そしお、日蓮倧聖人は、末法時代に埡出珟されお結芁付嘱の芁法を䞉倧秘法ずしお埡建立されたのです。

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 五老僧の異解
 ずころが倧聖人の匟子檀那の䞭で、この立お分けを正確に理解されたのは、日興䞊人ずその門流だけでした。
 そのために五老僧の申状では、それぞれが「倩台の沙門」や「倩台法華宗の沙門」ず名乗り、倧聖人は「倩台の䜙流を酌」むなどず述べおいるのです。
 それに察しお日興䞊人は、
「倫日蓮聖人は忝くも䞊行菩薩の再誕にしお本門匘通の倧暩なり䞭略今末法に入っおは䞊行出䞖の境、本門流垃の時なり。正像已に過ぐ、䜕ぞ爟前迹門を以お匷ひお埡垰䟝有るべけんや。就䞭倩台䌝教は像法の時に圓たっお挔説し、日蓮聖人は末法の代を迎ぞお恢匘す、圌は薬王の埌身歀は䞊行の再誕なり、経文に茉する所、解釈炳焉たる者なり䞭略䜕ぞ地涌の菩薩を指しお苟しくも倩台の末匟ず称せんや」同 䞀八䞃六㌻
ず、末法の今時は結芁付嘱を受けた䞊行菩薩の再誕である倧聖人が、寿量文底秘沈の倧法である南無劙法蓮華経を匘められる時であり、倩台倧垫・䌝教倧垫は総付嘱を受けた薬王菩薩の埌身ずしお、文䞊熟脱の法華経を匘めたのであるず明確に瀺されおいたす。
 日興䞊人は、このように倩台・䌝教ず倧聖人の立堎が異なるこずを奏䞊され、五老僧の誀った考えを厳しく指摘されおおりたす。
 私たちは、法華経の総別の付嘱ず正・像・末の䞉時における匘経の次第をしっかりず孊び、倧聖人より連綿ず血脈を埡盞承された埡法䞻䞊人猊䞋の埡指南を根本に、信心修行に励んでたいらねばなりたせん。
 さあ、平成䞉十䞉幎の埡呜題成就をめざしお、折䌏に邁進しおいきたしょう。

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法華経に぀いお㉖

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法華経に぀いお党
倧癜法 平成幎月日刊第号より転茉

『劂来神力品第二十䞀』
 今回は、『劂来神力品第二十䞀』に぀いお孊んでいきたす。
 題号の「劂来神力」ずは、釈尊が滅埌の匘通を付嘱するために、十皮の神力を珟じたこずに由来したす。
 本門流通分のうち、『分別功埳品第十䞃』の埌半から前回孊んだ『垞䞍軜菩薩品第二十』たでは、釈尊により、功埳流通ずしお滅埌末法の信心修行の因果の功埳が説かれ、さらに過去の垞䞍軜菩薩の故事が明かされたした。
 『劂来神力品』以降の八品では、嘱环・化他・自行に玄しお付嘱流通が説かれたす。その䞭でも圓品ず『嘱环品』は、嘱环流通に配圓されたす。

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 劂来の神力
 これたでに滅埌流通の功埳ず信毀眪犏の倧なるこずを聎聞した地涌の菩薩たちは、圓品の冒頭においお、皆揃っお釈尊の前に進み出たす。そしお、䞀心に合掌瀌拝しお次のように申し䞊げたした。
「私たちは、仏の滅埌、嚑婆䞖界はもずより、分身の諞仏の滅床の囜土においおも、広く劙法を匘通いたしたす。なぜならば、私たち自身も真に枅浄な倧法を埗お、受持・読・誊・解説・曞写しお䟛逊したいからでありたす趣意」法華経 五〇九㌻
 するず釈尊は、文殊垫利菩薩をはじめずする無量癟千䞇億の嚑婆䞖界に䜏する䞀切衆生の前で、倧神力を顕わされたした。
 この神力は次の十皮です。
①吐舌盞―広長舌を出しお䞊梵䞖に至らせる
②通身攟光―身䜓䞭の䞀切の毛孔毛穎から無量無数色の光を攟ち、遍く十方䞖界を照らす
③䞀時謊欬―広長舌を摂めお䞀時に咳払いをする
④倶共匟指―諞菩薩が匟指する
⑀地六皮動―謊欬ず匟指の響きが十方諞仏の䞖界に至り、倧地が皆六皮に震動する
⑥普芋倧䌚―十方䞖界の䞀切衆生が、皆嚑婆䞖界の䞉仏釈尊・倚宝劂来・垫子座䞊の十方分身の諞仏及び菩薩を芋る
⑊空䞭唱声―諞倩が虚空䞭においお、釈尊の劙法説法ず衆生の随喜䟛逊を唱える
⑧咞皆垰呜―十方䞖界の衆生が虚空䞭の声を聞き、合掌し釈尊に垰呜する
⑚遙散諞物―華銙・瓔珞・幡蓋・諞々の厳身具・珍宝・劙物を、遙か嚑婆䞖界に散ずる
⑩十方通同通䞀仏土―十方䞖界が通達無瀙、䞀仏囜土ずなる
 これらは、爟前迹門では珟われたこずのない倧神力でした。そのこずからも、これから付嘱される劙法の功埳がいかに広倧無蟺であるかが拝されたす。
 この十神力に぀いお、䞭囜の劙楜倧垫は、『法華文句蚘』の䞭で、前の五぀は圚䞖のため、埌の五぀は滅埌のために顕わされた、ず釈されおいたす。
 日蓮倧聖人は埡本仏の埡境界から、
「歀の十皮の神力は圚䞖滅埌に亘るなり。然りず雖も十皮共に滅埌に限るず心埗べきなり」埡曞 䞀䞃八䞉㌻
ず、滅埌に玄しお埡教瀺あそばされおいたす。これは、『芳心本尊抄』に、
「歀の十神力は劙法蓮華経の五字を以お、䞊行・安立行・浄行・無蟺行等の四倧菩薩に授䞎したたふなり」同 六五九㌻
ず仰せられおいるこずからも明らかです。
 十皮の倧神力が顕わされるず、釈尊は䞊行菩薩を筆頭ずする地涌の菩薩たちに察し、法華経の滅埌匘通を付嘱されたした。
 この付嘱は、称歎付嘱・結芁付嘱・勧奚付嘱・釈付嘱から成りたす。次品『嘱环品第二十二』における「総付嘱」は、䞀切の菩薩に察する法華経䞀郚の付嘱であるのに察しお、圓品における付嘱は、本化地涌の菩薩に法華経の肝芁を付嘱されるこずから、「別付嘱」ずも称されたす。

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 芁を結しお受持を勧む説盞の倧意
 釈尊は䞊行菩薩等に告げられたす。
称歎付嘱付嘱の功埳が倧なるを称える
 諞仏の神力は無量無蟺であるが、その神力を甚いお無量無蟺癟千䞇億阿僧祇劫ずいう長い間、付嘱のために劙法の功埳を説いたずしおも説き尜くすこずはできない。
結芁付嘱「四句の芁法」に括られた付嘱の内容
「以芁蚀之。劂来䞀切所有之法。劂来䞀切自圚神力。劂来䞀切秘芁之蔵。劂来䞀切甚深之事。皆斌歀経。宣瀺顕説芁を以お之を蚀わば、劂来の䞀切の所有の法、劂来の䞀切の自圚の神力、劂来の䞀切の秘芁の蔵、劂来の䞀切の甚深の事、皆歀の経に斌お宣瀺顕説す」法華経 五䞀䞉㌻
 しかしながら、枢芁を取り劙法の粟粋を述べるならば、劂来の䞀切の所有する教え、劂来の䞀切の無瀙自圚な神力、劂来の䞀切の䞍可思議の実盞、劂来の䞀切の深い因瞁果報は、すべお劙法蓮華経に説き明かされおいる。

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勧奚付嘱修行・起塔を勧める
 したがっお、あなたたちは仏滅埌、䞀心に劙法を受持・読・誊・解説・曞写し、教説の通りに修行しなさい。どのような囜土にあっおも、教説のたたに修行したずする。それが法華経が圚す堎所であるならば、たずえ園の䞭であっおも、たた林の䞭、暹の䞋でも、あるいは寺院や圚家の家、殿堂であっおも、もしくは山谷・広野であったずしおも、そこに塔を建おお䟛逊すべきである。
釈付嘱修行の功埳を解釈する
 なぜならば、劙法の圚す所が、そのたた道堎だからであり、諞仏は、そこにおいお悟りを開き、説法をされ、入滅されるのである。

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 付嘱の法䜓
 以䞊、四段からなる付嘱においお最も倧事なのは、肝芁ずなる付嘱の内容を顕わされた結芁付嘱です。迹化・他方の菩薩方による誓願を制止された釈尊が、圓品に至り、぀いに本化地涌の菩薩ぞず滅埌流通を付嘱されたのです。
 『埓地涌出品第十五』を孊んだ際に、地涌の菩薩の倖甚ず内蚌に぀いお抂説したした。そのうちの倖甚の埡立堎ずしお倧切なのは、開近顕遠ず結芁付嘱の二矩を顕わすために出珟されたずいうこずです。
 釈尊は、法華経の肝芁を四句の芁法に括っお䞊行菩薩に付嘱されたした。これを倩台倧垫は、
「結芁に四句有り。䞭略唯四なるのみ。其の枢柄を撮っお之を授䞎す」法華文句蚘䌚本䞋‐四六䞃㌻
ず、名䜓宗甚教の五重玄の䟝文ずしお、抂略的に釈されおいたす。
 これに察しお日蓮倧聖人は『埡矩口䌝』に、
「䞀経ずは本迹廿八品なり。唯四ずは名甚䜓宗の四なり。枢柄ずは唯題目の五字なり。授䞎ずは䞊行菩薩に授䞎するなり。之ずは南無劙法蓮華経なり」埡曞 䞀八〇五㌻
ず、たた『䞉倧秘法皟承事』に、
「所説の芁蚀の法ずは䞭略寿量品の本尊ず戒壇ず題目の五字なり」同 䞀五九䞉㌻
ず仰せられおいたす。付嘱の法䜓を明確に埡瀺しになり、本尊付嘱ずしおの意矩が明らかです。
 こうしお劙法の䞀切は釈尊から䞊行菩薩の所有ずなり、この付嘱の筋目によっお末法に䞊行菩薩の再誕・再埀久遠元初自受甚報身劂来の再誕ずしお埡出珟されたのが、宗祖日蓮倧聖人です。倧聖人は、劙法を匘通するこずで惹起した倧小皮々の難を忍び、䞉類の匷敵を扣発しお䞀人法華経を身読され、末法の䞀切衆生救枈のために、付嘱の法䜓を䞉倧秘法総圚の本門戒壇の倧埡本尊ずしお埡図顕あそばされたのです。

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 応に歀の経を受持すべし
 付嘱の埌、釈尊は矩を重ねお宣せられるために偈頌を説かれ、その最埌に、
「我が滅床の埌に斌お 応に斯の経を受持すべし 是の人仏道に斌お 決定しお疑有るこず無けん」法華経 五䞀䞃㌻
ず結ばれおいたす。『劂来神力品』における結芁付嘱の功埳ずしお、釈尊の滅埌、正像時代を過ぎた末法時代においおは、劙法を受持する䞀行に五皮劙行の䞀切が具わり、凡倫の即身成仏があるこずを説かれお結語ずされたのです。
 私たちは、法華講衆ずしお倧埡本尊を信受したずき、深い因瞁により、䞀人ひずりが地涌の流類・地涌の菩薩の眷属であるずの実蚌を瀺すこずができたす。したがっお、宗祖日蓮倧聖人埡聖誕八癟幎に向けお、倧聖人の本眷属であるずの自芚に立ち、劙法匘通に挺身しおいくこずが倧切です。

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法華経に぀いお㉕

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法華経に぀いお党
倧癜法 平成幎月日刊第号より転茉

『垞䞍軜菩薩品第二十』
 今回は、『垞䞍軜菩薩品第二十』に぀いお孊んでいきたす。
 『分別功埳品第十䞃』の埌半から『普賢菩薩勧発品第二十八』たでが本門流通分に配圓されたすが、その䞭でも圓品たでの䞉品半には、法華匘経の功埳ず流通を明かされおいたす。
 前回孊んだ『法垫功埳品第十九』においお、釈尊は、随喜品滅埌の五品の第䞀の果の功埳ずしお六根枅浄を明かされたしたが、圓品では、その過去の実䟋ずしお垞䞍軜菩薩の因瞁を説かれ、法華経を毀る者ず信ずる者ずの眪犏を瀺すこずによっお流通を勧められおいたす。 

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 垞䞍軜菩薩
 圓品においお釈尊は、埗倧勢菩薩勢至菩薩ずも称されるを察告衆ずしお法を説かれたす。
 遥か昔、嚁音王劂来嚁音王仏ずいう仏様が圚しお、倩・人・阿修矅等の人々のために、それぞれの機に芋合った法を説かれ、仏様の智慧を授けたした。そしお嚁音王劂来の滅埌、正法時代・像法時代を過ぎお仏法が滅尜するず同じ名号の仏様が出珟するずいう様盞が次第しお、二䞇億もの嚁音王劂来が䞖に出られたした。
 最初の嚁音王劂来が入滅され正法時代を経お像法時代になるず、増䞊慢の比䞘の勢力が盛り䞊がっおいたした。この時、垞䞍軜ずいう䞀人の比䞘が出珟したのです。この方は、比䞘・比䞘尌・優婆塞・優婆倷の四衆を芋るず必ず合掌瀌拝しお、
「我深敬劂等。䞍敢軜慢。所以者䜕。汝等皆行菩薩道。圓埗䜜仏我深く汝等を敬う。敢えお軜慢せず。所以は䜕ん、汝等皆菩薩の道を行じお、圓に䜜仏するこずを埗べし」法華経 五〇〇㌻
ず「二十四字」で衚わされる蚀葉を述べたした。これは、「私はあなた方を尊敬したす。けっしお軜蔑いたしたせん。なぜなら、あなた方は菩薩道を修行しお、必ず埌に成仏するからです」ずいう意味です。
 この比䞘は、専ら経兞を読誊せず、誰に察しおも合掌瀌拝し、
「我敢えお汝等を軜しめず」(同)
ず繰り返したす。ずころが、四衆の䞭で、莫迊にされたず思い瞋恚瞋りを起こした心の䞍浄な者たちは、比䞘に察しお悪口の限りを尜くし、杖朚をもっお打ち、瓊石を投げ぀ける者たでいたした。しかし、こうした迫害に怯むこずなく、より匷盛に瀌拝讃歎を貫いたため、い぀しか比䞘は、人々から「垞䞍軜」ず呌ばれるようになったのです。
 やがお、垞䞍軜比䞘が呜終の時を迎えるず、虚空においお、嚁音王劂来が説かれた法華経の二十千䞇億に及ぶ無量の偈を聞き、比䞘はその法華経を受持しお六根枅浄の果埳を埗たした。そしお、さらに二癟䞇億那由他歳もの寿呜を埗お、広く人々のために法華経を説いたのです。するず、それたで軜蔑し迫害を加えおきた四衆も、六根枅浄の功埳を成じた菩薩の姿に接し、法華経の説法を聎聞しお信䌏随埓したした。
 こうしお垞䞍軜菩薩は、倚くの衆生を教化しお無䞊正芚ぞず導き、呜終の埌に日月燈明仏・雲自圚燈王仏ずいう倚くの仏様に倀い奉り、その間、垞に五皮の劙行受持・読・誊・解説・曞写を修したこずによっお、぀いに自らも仏果を埗るに至ったのです。

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 信毀眪犏
 釈尊は、この垞䞍軜菩薩が過去䞖における埡自身の姿であり、珟䞖においお速やかに成仏の盞を瀺珟できたのも、すべお過去の法華経修行の功埳に䟝るこずを明かされたした。
 それに察しお、垞䞍軜菩薩を瞋恚の心で軜賀した四衆は、その眪により二癟億劫もの長い間、仏法僧の䞉宝に倀遇せず、初めの千劫の間は、阿錻地獄に堕ちお倧苊悩を受けたした。そしお、ようやくその眪を滅し終わった埌、法華経に信䌏随埓した功埳によっお再び垞䞍軜菩薩の教化に济し、修行を経お仏道を成就するこずができたのです。
 さらには、釈尊の法華経の䌚座に同座し蚘別を䞎えられた跋陀婆矅をはじめずする聎聞衆が、実は過去䞖においお垞䞍軜菩薩を軜毀した四衆であるず明かされたす。これによっお、法華経が誹謗者をも仏道ぞず導く正法であるこずが明確ずなり、釈尊は、いよいよ五皮の劙行を勧奚され、さらに偈頌を説いお、重ねお仏滅埌の劙法流通を勧められおいたす。
 圓品の内容から、垞䞍軜菩薩のような正しい仏道修行によっお必ず仏果を成ずるこず、その䞀方で、誹謗の四衆が長く堕地獄の苊悩を受けたように、法華経を謗る眪が非垞に倧きいこずが明らかずなりたす。そしお䜕より、法華経の䞋皮を受け信ずる功埳によっお、地獄に堕ちるほどの眪であっおも滅した埌には必ず仏様に倀い、真の犏を埗るずの説盞から、法華経本門の折䌏行の倧事が拝されたす。

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 本門折䌏の修行
 䞭囜の倩台倧垫は『法華文句』においお、垞䞍軜菩薩は䞀切衆生に本来具わる仏性を瀌拝しお䞋皮結瞁し、未来成仏の因ずしたこずを瀺されたす。たた、
「本已に善有り、釈迊は小を以お之を将護したもう。本未だ善有らざれば、䞍軜は倧を以お匷いお之を毒す」法華文句蚘䌚本 䞋‐四五二㌻
ず釈されお、迹門の『安楜行品第十四』に説かれる像法時代の本已有善の衆生に察する摂受の修行に察し、本門の圓品に瀺される忍難匘通が、末法時代の本未有善の衆生に察する折䌏の修行であるこずを明かされおいたす。
 したがっお末法の今、私たちが䞀切衆生に察しお行ずべきは折䌏です。しかし、宗祖日蓮倧聖人様が五濁悪䞖の末法時代に埡出珟あそばされたのに察しお、垞䞍軜菩薩は嚁音王劂来の像法時代に出珟されたした。たた、倧聖人様が䞉倧秘法、南無劙法蓮華経の五字䞃字を匘められるのに察しお、䞍軜菩薩は「二十四字の法華経」を面ずされるなど、同じく本門折䌏の修行ず蚀っおも異なりがありたす。ただし、これらの盞違は、倧聖人様が文底䞋皮を旚ずしお仏法を顕わされるのに察しお、釈尊の前身である䞍軜菩薩は熟益・脱益を旚ずしお修行をされたこずに䟝るのです。
 ですから、その修行の圚り方を拝すれば、どちらも悪口眵詈・及加刀杖を堪え忍ばれおの、自行化他にわたる劙法匘通に他なりたせん。したがっお、倧聖人様は末法の法華経の行者ずしお、埡自身で法華身読の振る舞いを実践されるず共に、圓品や『勧持品第十䞉』を諞埡曞に匕甚されお、滅埌末法における信心修行の方軌を、埡圚䞖の匟子信埒だけでなく、末法の䞀切衆生に埡瀺しくださっおいたす。
「ずおもかくおも法華経を匷ひお説き聞かすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒錓の瞁ずなっお仏になるべきなり。䜕にずしおも仏の皮は法華経より倖になきなり」埡曞 䞀䞉䞀六㌻
ずは、たさに法華折䌏による順逆二瞁の成仏を瀺された埡教瀺ず拝されたす。
 前埡法䞻日顕䞊人猊䞋は、圓品埡講矩の砌に
「盞手が疑問を持っお蚀っおきたこずに察しおのみ話をするずいうのは摂受のほうになる。それに察しお、こちらから進んで盞手に説き、たた䌝えるのが折䌏で、これがいわゆる瀌拝行を道路においお行ったずいう䞍軜菩薩の圚り方です」倧癜法 五䞃九号
ず、埡指南あそばされおいたす。自ら進んで行じ盞手の誀りをしっかりず砎折しなければ、倧聖人様の埡意に叶う折䌏の修行ずはならないのです。
 埡法䞻日劂䞊人猊䞋の、
「末法は謗法が充満し、ために倚くの人々が知らず知らずのうちに悪瞁に誑かされ、邪矩邪宗の害毒によっお䞍幞の境界から脱するこずができずにいたす。こうした人々を救枈しおいくためには、正像過時の劂き摂受ではなく、砎邪顕正の折䌏をもっおするのが最善であり、折䌏こそ末法の䞀切衆生救枈の最高の慈悲行でありたす」倧癜法 八八䞉号
ずの埡指南のもず、いかなる難も恐れるこずなく、順瞁・逆瞁すべおの人々に察しお折䌏を行じるず共に、八十䞇人䜓勢構築ぞ向けお新入信者の育成も確実に掚進しおたいりたしょう。

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法華経に぀いお㉔

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法華経に぀いお党
倧癜法 平成幎月日刊第号より転茉

『法垫功埳品第十九』
 前回の『随喜功埳品第十八』では、五十展転随喜の功埳を説き、滅埌の五品随喜品・読誊品・説法品・兌行六床品・正行六床品の初めである随喜品の因の功埳を明かしお流通を勧められたした。
 今回の『法垫功埳品』では、随喜品の果の功埳である六根枅浄を明かしお流通を勧めたす。

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  『法垫功埳品』の題号に぀いお
 「法垫」ずは、䞀般的な意味ずしお、仏法に粟通し、枅浄な行を修し、垫ずしお人々を導く僧を指したすが、法華経においおは『法垫品第十』にも説かれるように出家圚家を問わず、この劙法を信じ説く者すべおを「法垫」ず称したす。倩台倧垫は『法華文句』においお、この法垫の法は法華経、この法を垫ずする故に法垫ずする意矩ず、法を衆生に匘めお垫ずなるが故に法垫ずする意矩を挙げられおいたす。
 圓品における「法垫」ずは、『法垫品第十』で説かれる五皮法垫のこずで、法華経を受持し、経文を読み、たた誊経文を諳んじお読むこずし、解釈しお他に説き、曞写するずいう五皮類の修行をする者のこずです。
 たた、「功埳」ずは、五皮の修行によっお、私たち䞀人ひずりに具わる六根県・耳・錻・舌・身・意が、枅らかになる六根枅浄の功埳のこずです。

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  六根枅浄の功埳
 六根枅浄ずは、私たちの県・耳・錻・舌・身・意の六぀の感芚、認識噚官が、煩悩を有したたたその汚れを払い、枅らかになるこずです。
 圓品の冒頭、釈尊は、垞粟進菩薩に察しお、この六根枅浄の功埳に぀いお明かされたす。
「もし善良なる男女が、この法華経を受持し、あるいは読誊し、あるいは解説し曞写したならば、この人は県に八癟の功埳、耳に千二癟の功埳、錻に八癟の功埳、舌に千二癟の功埳、身に八癟の功埳、意に千二癟の功埳を埗お、その功埳によっお六根が荘厳され、皆枅浄になるであろう趣意」法華経 四䞃四頁
ず、この五皮法垫を修行するこずで県・錻・身の䞉぀にそれぞれ八癟の功埳が具わり、耳ず舌ず意にはそれぞれ千二癟の功埳が具わりたす。そしお、これら六根の功埳を党郚合わせるず六千の功埳を埗たす。
 前埡法䞻日顕䞊人猊䞋は、この「六千」の功埳や「八癟」ず「千二癟」ずいう数に぀いお、次のように詳しく埡指南されおいたす。
「これは、安楜行の意矩の䞊から法華経の修行の功埳に十善があり、その十善の䞀぀にたた十善が具わっおおるが故に癟善ずなり、その癟善䞭の䞀々に十劂是の法門が具わるので、千の善を成じ、その千の善に぀いおも自行ず化他の䞡面から瀺され、たた行ずるので二千の善ずなり、さらに『倧慈悲為宀』『諞法空為座』『柔和忍蟱衣』ずいう衣座宀の䞉軌の意矩が具わり六千ずなるのでありたす。
 この六千を六根に配するならば、䞀根に぀いお䞀千の功埳が存するずいう次第でありたしお、その䞀千に぀いおさらにたた、甚きの䞊から胜盈・胜瞮の意矩が存するのでありたす。胜盈ずは『みちる』の意でありたすから千二癟ずなり、胜瞮ずは瞮たる意味においお八癟ずなるのでありたしお、このような意矩の䞊から経文に『千二癟』『八癟』ずいう数が瀺されおおるのでありたす」倧日蓮 五五六号
 次に五皮法垫の修行によっお、六根それぞれに埗る枅浄の功埳に぀いお、『法垫功埳品』に説かれる内容に埓っお、芁玄しお説明したす。
①県根枅浄の功埳―父母から授かった肉県が枅らかになり、党䞖界の有り様を、䞋は極悪の阿錻地獄から、䞊は最高の有頂倩に至るたで、よく芋るこずができる。たた、その䞭に䜏んでいる䞀切の人々が、どんな生き方をしおいるか、圌らの業の原因や果報、生たれた境界などをこずごずく芋るこずができる。
②耳根枅浄の功埳―父母から授かった耳が枅らかになり、象・銬・牛の声、ホラ貝・錓・鐘・鈎の音、男・女・凡倫・聖人・倩人・竜・倜叉・逓鬌の声など、党䞖界のありずあらゆる声を聞くこずができる。もろもろの僧や尌僧、たた菩薩たちが経兞を読誊し、たた人に読み聞かせる者があれば、こずごずくその声を聞くこずができる。仏が衆生のために、倧法座にあっお、埮劙の法を説かれるずきも、その声をすべお聞くこずができる。
③錻根枅浄の功埳―錻は枅らかになり、党䞖界のよい銙をかぎ、たたいろいろの銙をかぎ分け、その所圚を知るこずができる。この䞖界における銙だけでなく、倩䞊界の諞倩・梵倩や最高の有頂倩に至るたでのいろいろな銙をかぎ分けるこずができる。たた、人間の心の状態もかぎ分け、修行者たちがどのような堎所でどのように修行をしおいるのか、それらのすべおを銙りによっお知るこずができる。
④舌根枅浄の功埳―舌は枅らかになり、どんな味のよいものも悪いものも舌の䞊に乗せれば、すべお甘露のように最䞊の矎味に倉ずるこずができる。たた、この舌によっお倧勢の人々のために法を挔説する堎合は、すばらしい声を出し、その声が皆の心に入っお、皆を喜び楜したせる。この時、倩子・倩女をはじめ、あらゆる皮類の人間・生類がやっおきお、その蚀葉を聞いお䟛逊するであろう。たた、仏や菩薩・声聞たちも、その盞を芋に来られるであろう。
⑀身根枅浄の功埳―身は瑠璃のように枅らかになっお、誰もが圌らに䌚いたいず願うようになる。この枅らかな身䜓には、党䞖界のありずあらゆるもの、䞋は阿錻地獄から䞊は有頂倩に至るたでの人々、たた仏や菩薩たちが説法される姿たで、そこに写し出されるのである。
⑥意根枅浄の功埳―枅らかな意の功埳によっお、法華経のわずか䞀偈䞀句を聞いただけでも、限りなく深いその意味を䜓埗するこずができるであろう。どんな教えが説かれおも、その意味を正しく把握しお真理に反するこずはない。もし、圌らが仏教以倖の䞖間䞀般の曞物や政治・経枈などの論議を説くならば、それはすべお正しい仏法の真理に適ったものずなろう。
以䞊が六根枅浄の功埳に぀いおの内容を芁玄したものです。
 しかし、これら五皮法垫の修行によっお埗るこずのできる六根枅浄の功埳も、過去においお仏より既に劙法の䞋皮結瞁を受けおいる熟脱の衆生のための修行、その功埳であり、盎ちに末法の本未有善の衆生の芳心修行ずはなりたせん。

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  受持の䞀行
 そこで、倧聖人様は末法の修行ずしお受持の䞀行を説かれたのです・この受持には総䜓ず別䜓の二意がありたす。「総䜓の受持」ずは五皮の修行をすべお具足する受持のこずでありたす。「別䜓の受持」ずは五皮の修行の䞀぀ずしおの受持です。倧聖人様が仰せの受持ずは前者の「総䜓の受持」の意矩のこずです。
 倧聖人様は『日女埡前埡返事』に、
「法華経を受け持ちお南無劙法蓮華経ず唱ふる、即ち五皮の修行を具足するなり」埡曞 䞀䞉八九頁
ず、劙法受持の䞀行に五皮の修行すべおを含むず仰せです。
 たた、この䞋皮の劙法には、五皮の修行のみならず、䞉䞖諞仏の䞀切の因行ず果埳が具足しおいるこずから、この劙法を受持するこずによっお自ずずそれらすべおの修行ず果報が具わるのです。
 たた『埡矩口䌝』に、
「所詮今日蓮等の類南無劙法蓮華経ず唱ぞ奉る者は六根枅浄なり」同 䞀䞃䞃五頁
ず仰せになり、末法における五皮の修行は、ただ南無劙法蓮華経ず唱え奉るこずであり、その功埳が本然的に六根枅浄であるず埡瀺しです。
 ぀たり、倧聖人様が文底䞋皮の劙法を実䜓ずしお埡図顕あそばされた本門戒壇の倧埡本尊を受持信行し、劙法を匘めおいくこずこそが末法における五皮法垫の劙行なのです。そしお、この受持の䞀行に広倧深遠なる功埳、六根枅浄の功埳を埗るこずができるのです。
 埡法䞻日劂䞊人猊䞋は、
「倧聖人様の仏法によっお人々が六根枅浄の果報を埗お浄化されれば、必然的に䞖の䞭も浄化されおくるわけでありたす」倧癜法 䞃〇䞉号
ず埡指南されおいたす。
 私たちがめざす平和仏囜土の実珟のためには、党䞖界の䞀人ひずりが劙法を受持し、その果報である六根枅浄の功埳をもっお囜土を浄化しおいく道以倖にありたせん。
 したがっお私たちは、䞀人でも倚くの人にこの劙法を䌝え匘めおいく䜿呜があるのです。今月も折䌏行に粟進しおたいりたしょう。

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真理は䞀぀

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(さらに…)

「ものの芋方」ずいう䞍思議

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(さらに…)

危機䞀髪

(さらに…)

「ものの芋方ず考える愉しさ」①

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(さらに…)

法華経に぀いお㉓

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法華経に぀いお党
倧癜法 平成幎月日刊第号より転茉

『随喜功埳品第十八』
 滅埌の五品の最初
  随喜品の因の功埳を明かす
 前回の『分別功埳品第十䞃』では、『寿量品』で、釈尊の久遠の本地ず垞䜏の化導を信解した圚䞖の衆生の功埳が説かれるず共に、圚䞖の衆生ず滅埌の衆生が、『寿量品』を聎聞し、利益を受けおいく過皋を、珟圚の四信ず滅埌の五品ずいう圢で説かれたした。その䞭で、倧聖人様が重芖されたのは、珟圚の四信䞭の初め䞀念信解、それから滅埌の五品の最初である随喜品であり、これらは信心の䜍です。
 この四信五品から埌、法華経が終わるたでは、法華経本門の流通分ず蚀っお、䞭心の『寿量品』の教えを流垃し、衆生を利益しおいくこずを目的ずする段に圓たるのです。特に、これたでの地涌の出珟などからも刀るように、本門は滅埌末法の䞀切衆生を利益するこずに䞻題がありたす。
 そこで、今回の『随喜功埳品』からは、釈尊圚䞖の人の功埳を説いた珟圚の四信よりも、滅埌の五品が䞻ずなり、特に最初の随喜品の功埳が説かれるのです。『随喜功埳品』では、この随喜品の因果の功埳のうち、因の功埳が説かれたす。

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  五十展転随喜の功埳
 そこで、この本門『寿量品』の説法を聞いた匥勒菩薩をはじめずする人たちが、実際にどのような利益を受けたのか。それが、今回の『随喜功埳品』の前半に説かれたす。
 冒頭、匥勒菩薩が、釈尊に問いたした。
「釈尊が入滅された埌に、この法華経を聎聞しお、心から喜んで有り難いず思うならば、その人はどれほどの犏埳を埗るのでしょうか趣意」法華経 四六四頁
 釈尊は次のように答えたした。
「匥勒よ、仏の滅埌に、出家の男女、圚家の男女、その他智慧の有無、老若男女を問わず、誰でも、法華経を聞いお随喜し、説法の座から出お、寺院、静かな堎所、あるいは城垂、町、田舎などぞ行っお、聞いた通りに、父母や芪類や友人、知人のために力に応じお法を説いたずしよう。この人たちもこれを聞き終わっお随喜の心を起こすであろう。そしお、この人たちが、さらに他の所に行っお、この教えを䌝えおいく。次の人も聞き終わっお随喜の心を起こし、このように次々ず展転しお第五十人目の人に至ったずしよう。
 匥勒よ、この第五十番目のただ法華経『寿量品』の教えを聞いただけの人の功埳を、これから説明しよう。
 䟋えば、四癟䞇億阿僧祇ずいう数え切れないほどの倚くの䞖界には、様々な皮類の衆生がいる。ある人が斜䞻ずなっお、これらの衆生の䞀人ひずりが奜むずころに埓っお、いろいろな嚯楜の道具や宝石、さらには宮殿や楌閣などを惜しみなく䞎えたずしよう。そしお、䞀切の衆生に斜し続けお八十幎にも及んだずき、倧斜䞻は『私は思うたたにいろいろなものを垃斜しおきたが、圌らも既に幎老いお八十歳を超えた。髪も癜く顔にしわが出お、死ぬのもそう遠くないであろう。それではここで、仏法をもっお圌らを教化し、悟りに入らせよう』ず考えたのである。そしお、倧斜䞻は、衆生を集めお仏の教えを説き、阿矅挢ずいう小乗教で最高の悟りに導いたずしよう。
 匥勒よ、この倧斜䞻の埗た功埳はどのくらい倧きいものであるず汝は考えるのか趣意」同 四六四頁
匥勒菩薩は、
「䞖尊よ、この人は、莫倧な財宝を斜した䞊に、人々を阿矅挢の悟りに導いたのであるから、はなはだ倧きな功埳を埗たこずでありたしょう趣意」同 四六䞃頁
ず、答えたした。
 そこで釈尊は次のように匥勒菩薩に説かれたのです。
「しかし、その功埳ずおも、第五十番目の人が、法華経『寿量品』の䞀偈だけを聞いお随喜する功埳に遠く及ばないのである。その癟分・千分・癟千䞇億分の䞀にも及ばないし、蚈算、譬喩をもっおも知るこずができないほど、はるかに及ばないのである。
 第五十番目の人の功埳ですら、これほど倧きいのであるから、最初の説法の座で教えを聞き、随喜し、他の人にも説き聞かせた人の功埳は、どれほど倧きいであろうか。それは䜕物をもっおも比べるこずができないのである趣意」同 四六䞃頁
 このように八十幎にわたっお広く倚くの衆生に無量の財斜・法斜を尜くした倧斜䞻の功埳であっおも、五十番目に法華経のたった䞀偈を聞いお随喜した人の功埳には、癟千䞇億分の䞀にも及ばないず説かれたした。
 この法華経の䞀偈ずは、圚䞖の衆生にずっおは文䞊顕本の『寿量品』の䞀偈であり、滅埌末法の衆生には文底顕本の本因䞋皮の劙法の䞀偈を意味したす。
 ここに説かれる第五十番目の人の功埳は、最初にこの法華経『寿量品』を聎聞した人の随喜の功埳より、展転し䌝わるため埌に行くほどその功埳は次第に薄くなり、さらに最初聞法の人から四十九番目の人たでは、自ら法を聞いお、たた他の者にも法を説くずいう、自行化他の二埳が具わっおいたすが、五十番目の人には化他の功埳がなく、ただ聞法による随喜の功埳のみしか具わりたせん。しかし、その功埳ですら絶倧であり、たしお最初に聞法し、法を人に䌝えた功埳は比べるこずができないほど倧きいのです。
 倧切なこずは、ただ随喜の心を起こすだけでも莫倧な功埳が珟われるこずはもちろん、さらに䞀歩進んで、その随喜の心をもっお他の人にも勧めおいく、共々に劙法の題目を唱えおいく、ずいうずころにありたす。

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  法華経聎聞の功埳
 五十展転の随喜の功埳に぀いお説かれた釈尊は、続いお法華経聎聞の功埳を䞉点挙げられたした。芁玄するず次の通りです。
䞀、劙法の教えを聞くために、寺院ぞ行っお、ほんの少しの間でも、この劙法を聞いたずしよう。この人は、その功埳によっお、来䞖にはすばらしい乗り物を埗お倩宮に導かれるであろう。
二、法華経を講説しおいる堎所に座り、たた他の人にも座を分かっお座らせ、その教えを聞かせたならば、その功埳によっお、垝釈倩・倧梵倩王・転茪聖王の座に䞊るこずができるであろう。
䞉、「䞀緒に法華経を聎聞しに行こう」ず蚀っお、他の人を誘っおこの教えを聞いたずしよう。その人は、その功埳によっお、来䞖には胜力の優れた菩薩に遇っお智慧をいただき、病気がなく、健康で矎しい姿を保ち、代々生たれ倉わっおは、仏にお遇いしお、この教えを諭されお信受するであろう。法華経 四六八四䞃〇頁
そしお最埌に、釈尊は匥勒菩薩に察し、
「匥勒よ、ただ䞀人の人を誘っお劙法の信仰に入らせただけでも、これだけの功埳があるのであるから、䞀心にこの経を読誊し、倧衆のために広く説く者の功埳はなおさらである趣意」同 四䞃〇頁
ず説かれ、以䞊で『随喜功埳品』の内容は終わりたす。
 埡法䞻日劂䞊人猊䞋は、
「日蓮倧聖人は『埡矩口䌝』のなかで、この五十展転に぀いお、
『五ずは劙法の五字なり、十ずは十界の衆生なり、展転ずは䞀念䞉千なり䞭略五十人ずは䞀切衆生の事なり』埡曞 䞀八䞀䞀頁
ずおっしゃっおおりたす。この『五十人』ずいうこずを考えおみるず、いわゆる特定の人に限られたのではなくしお、劙法を聞いお随喜する䞀切衆生を指しおいるのでありたす。だから劙法を聞いただけでも、これだけのすばらしい功埳があり、さらにこの劙法を聞いお他の人に説く、぀たり折䌏をする功埳はどれほど倧きいかずいうこずが解るのです」倧癜法 䞃二二号
ず仰せられおいたす。
 末法の芳心である文底本因䞋皮の劙法の功埳を聞いお、ただ随喜するだけであっおも、八十幎の垃斜の功埳に癟千䞇億倍勝れおいるのですから、珟圚、私たちは、埡法䞻䞊人猊䞋の埡指南のもず、折䌏を䞭心に自行化他の仏道修行をさせおいただける身の犏埳に感謝し、本幎も誓願達成に向けお勇躍しお粟進しおたいりたしょう。

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