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法華経について⑫
法華経について(全34)
12大白法 平成26年10月1日刊(第894号)より転載
『五百弟子受記品第八』
前回・前々回は、迹門正宗分で広開三顕一が明かされる三周の説法中、因縁説周の正説段に当たる『化城喩品第七』について学びました。今回は因縁説周の授記段のうち、はじめの『五百弟子受記品第八』について学びます。
当品には、法説周・譬説周と同じく因縁説周の領解と述成も説かれますが、簡略であり、総科として概略を拝するときには、前回掲載の科段に示されるように授記段として一つに括られます。
品名の「五百弟子」とは、当品において釈尊は、下根の千二百人の声聞に総じて記別を与えましたが、そのうち五百人に別して記別を与え、歓喜した五百人によって譬えが述べられる説相によります。また「受記」とは、仏様から記別を受ける衆生の立場を表わすため「受記」と言い、仏様の立場から見ると記別を授けるため「授記」となります。
普明如来の記別
最初に下根の声聞を代表して、富楼那の黙然領解が説かれます。先の『化城喩品第七』で明かされた三千塵点劫以来の釈尊との因縁を聴き、過去以来の富楼那の本願を知るのは釈尊のみであると悟り、言葉を発することなく黙然として領解を表わしたのです。
それに対して釈尊は、富楼那が三世に亘って説法第一であることを讃歎され、本地は大乗の菩薩であって方便力により声聞の姿を現じていること、その過去の修因行満を明かし、法明如来という記別を授けられました。
次に釈尊は、総じて富楼那以外の千二百人の声聞に授記しますが、別して釈尊の初転法輪を聴聞して弟子となった五比丘の一人である阿若憍陳如や周陀(須梨槃特)をはじめとする五百人の声聞に、普明如来の同一名号による記別を授けられ、次いで摩訶迦葉に、同座していない声聞への記別を託したことにより、千二百人の声聞への授記が整ったのです。
このうち記別を得た五百人の声聞は、歓喜踊躍して、低い教えに執着し、小智をもって満足した過去の無智を自省して仏恩の深重を得解し、「貧人繋珠の譬え」をもって妙法の領解を述べ、当品は結ばれています。
なお因縁説周の授記段は、次の『授学無学人記品第九』へと続いています。
貧人繋珠の譬え
「貧人繋珠の譬え」は、「酔酒繋珠の譬え」や「衣裏繋珠の譬え」、「衣裏珠の譬え」とも称されます。
一人の貧しい男が、裕福な親友の家を訪れたときのことです。
男はその家で酒に酔い眠り込んでしまいました。親友は官事で外出しなければならず、無価(値段が付けられないほど高価)の宝珠を男の衣服の裏に縫い込んで出かけましたが、酔い臥していた男は、このことに気付きませんでした。
酔いから醒めて起き上がった男は、流浪して他国に至り、衣食を得るために仕事を求めたましたが艱難辛苦の連続でした。そのため、少量であれ得るものがあると満足し、それ以上を求めませんでした。
時が経ち、男は再び親友と出会いました。親友は、男の変わらぬ姿を見て次のように言いました。
「どうして君は、衣食を得るためにそのような窮乏の状態になっているのか。私は昔、君が安楽な生活を送り、思い通りに過ごせるようにと、あの時、無価の宝珠を君の衣服の裏に縫い込んだのだ。その宝珠は、今もここにある。君がこのことを知らずに、自活を求めて苦悩しているのは、実に癡かなことだ。今すぐに、この宝珠を用いて望む通りに必要なものを取り引きしなさい。そうすれば、窮乏することはなくなり、常に思い通りに過ごせるであろう」
こうして無価の宝珠に気付いた男は歓喜し、ようやく安楽な生活を手に入れたのです。
以上が、「貧人繋珠の譬え」についての概略です。
宝珠とは
この譬えの中で、男とは釈尊在世の二乗、親友とは釈尊を譬えられており、中国の天台大師は『法華文句』に、
「譬如有人とは即ち二乗の人なり。親友とは昔日の第十六王子なり。家は即ち大乗教を家と為すなり」(法華文句記会本中 五九五頁)
と、示されています。『化城喩品』で過去三千塵点劫における釈尊と在世の衆生の因縁が明かされましたが、衣服の裏に宝珠を縫い込むことは、法華覆講(大通覆講)による妙法の下種結縁に当たります。
妙法の下種を忘れ、阿羅漢の悟りに満足する愚かな衆生は、三千塵点劫の長きに亘って小乗教に執着し、苦しみの世界に沈淪していました。しかし、仏様の教化によって、ついに過去の妙法下種を覚知し小乗教の酔いから醒め、実大乗教に基づいて仏道を志す故に千二百人の声聞は未来の成仏が保証されたのです。
真実の大乗教とは、天台大師が同じく『法華文句』に、
「無価宝珠とは、一乗実相・真如智宝なり」(同 五九六頁)
と、釈しております。宝珠として譬えられるのは方便の爾前経に対する一乗真実の法華円教です。釈尊結縁の熟脱の衆生は、この法華経に至って初めて未来に得脱することが明らかとなったのです。
以上は、未だ迹門正宗分における説法であり、『如来寿量品第十六』に至って釈尊の本地と久遠五百塵点劫が明かされる以前ではありますが、インド応誕の釈尊の化導が、過去に下種を受けた本已有善の衆生に対する熟脱の教法に依ることが拝されます。
対して私たちは、本未有善の悪世末法の衆生です。
日蓮大聖人は『御義口伝』に、
「此の品には無価の宝珠を衣裏に繋くる事を説くなり。所詮日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は、一乗妙法の智宝を信受するなり。信心を以て衣裏にかくと云ふなり」(御書 一七四七頁)
と、また『観心本尊抄』に、
「一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚の頸に懸けさしめたまふ」(同 六六二頁)
と、仰せです。末法の衆生にとって、仏様とは久遠元初即末法の御本仏日蓮大聖人、宝珠とは本因下種の妙法に他なりません。大聖人が、即身成仏の宝珠として大慈大悲により建立あそばされた、本門戒壇の大御本尊を受持信行することこそ肝要となります。
大聖人の御遺命たる広布実現こそが衆生済度の直道であると確信し、「貧人繋珠の譬え」の中で親友が貧しい男を救ったように、他をも救わんとする折伏行の実践に励み、まずは明年の御命題貫徹に向けていよいよ精進してまいりましょう。
法華経について⑪
法華経について(全34)
11大白法 平成26年9月1日刊(第892号)より転載
『化城喩品第七』の後半
前回は、法華経迹門のうち、正宗分の広開三顕一における三周の説法中、第二の譬説周の授記段に当たる『授記品第六』の四大声聞の授記について述べました。
続いて、未だ開三顕一の法門を領解できない下根の声聞に対して説かれた因縁説周の正説段に当たる『化城喩品第七』の前半部分についても学びました。
そこでは主に大通覆講を説かれて、釈尊在世の弟子は、遥か昔の三千塵点劫において釈尊から下種結縁され、今日に至る因縁があることを明かされています。この大通覆講について、簡単におさらいすると、大通とは、三千塵点劫の昔に出現して法華経を説いた大通智勝仏を言い、覆講とは、大通智勝仏が説いた法華経を再び十六王子が講説し、大衆に結縁したことを言います。
その十六番目の王子が釈尊であり、この時の釈尊の説法を聴聞して、後に退転してしまった人々は、三千塵点劫もの間、三界六道という苦しみの世界に沈淪します。釈尊は、この間、垂迹の仏として長い時間をかけて、種々の方便を用いて、人々の機根を調熟し、再び法華経を説いて、一仏乗へと導いたのです。
そして、開三顕一の法門が領解できなかった下根の声聞衆に対して、「化城宝処の譬え」をもって、三乗方便一乗真実の法門が説かれます。今回はその「化城宝処の譬え」について、学んでまいります。
化城宝処の譬え
非常に珍しい宝が無量にある場所がありました。そこは五百由旬(約一万キロ)も離れた場所で、途中、山や谷、砂漠など、険しい道を通らなければ辿り着けません。人々のうち、ただ一人の者は、この道をよく知り、しかもたいへん智慧が勝れていたので、彼をリーダーとし、宝の場所をめざして出発しました。
ところが、道があまりに険しいため、人々は途中で疲れ果(は)て、「宝物などもうよい、引き返そう」と言う者も出てきました。そこで、リーダーは「せっかくここまで来たのに帰ろうとするなんて、何てかわいそうな人たちなんだ。ひとつ手段(方便)を講じて、人々を励まそう」と考え、五分の三ほど過ぎたところで、神通力によって、立派な仮の城、つまり化城を設けたのです。そして「もう恐れることも、引き返す必要もありません。この城に入れば、心が安穏となり、元気も回復するでしょう」と告げました。人々は喜んで城に入り、一息ついて安らかになりましたが、さらに「自分はここでよい、もう何も望むことはない」と安住してしまいました。この様子を見たリーダーは、化城を吹き消し、人々に「皆さん、この城は皆さんに一旦休んでもらうために、私が仮に造ったものです。元気を取り戻した今、化城は必要ありません。真の宝処は、もうこの先です。さあ、さらなる元気を出して出発しましょう」と告げました。そして、一同は再び出発し、ついに宝処に辿り着いたのです。
以上の化城宝処の譬えの後、釈尊は「仏も、衆生の心が弱いことを知っている。このため、初めから法華経を説くことをせず、まず仏道へ導く手段・方便として、声聞・縁覚・菩薩の三乗の教えを説いたのである。それは、化城と同じであり、本当の目的ではない。真実の目的とは、一仏乗であり、それは法華経によって成就されるのである」と説かれました。
以上が、化城宝処の譬えについての内容です。
種熟脱の法門について
法華経には、種熟脱が説かれます。種とは、仏様が成仏のもととなる妙法を、人々の心に植え付けることです。熟とは、その種から芽を出させ、肥料をやって順々に育てていくこと、そして脱とは、育て上がった木が、最終的に実を結び、それを収穫することで、これを成仏に譬えるのです。したがって、種熟脱とは化導の始終といって、仏様が衆生を仏の境界に導くすべての課程を括ったもので、仏と人々との関係から仏道成就の因縁を明かしたものなのです。この『化城喩品』では、釈尊と釈尊在世の衆生との仏道の因縁が示されました。つまり、釈尊在世の衆生は、三千塵点劫もの昔に、第十六王子・釈尊の法華覆講によって妙法の種を植えられ、以来生まれるごとに釈尊のもとで仏道修行をし、ようやく法華経を聞くだけの機根に仕立て上げられた。そして、今、ここに法華経の悟りに入ることができる、と明かされたのです。
ここで大切なことは、迹門の『化城喩品』では釈尊自身の本地身を示されていないので、あくまでも衆生の機根を中心とした種熟脱の三益であり、真の種熟脱は釈尊の本地を示された本門に存することを知らなければなりません。
大聖人様は『開目抄』に、
「迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説いて爾前二種の失一つを脱れたり。しかりといえどもいまだ発迹顕本せざれば、まことの一念三千もあらわれず、二乗作仏も定まらず。水中の月を見るがごとし。根なし草の波の上に浮かべるににたり」(御書 五三六㌻)
と仰せられているように、本門の成道が明かされなければ、迹門で説くところの教説は有名無実となるのです。
では本門の種熟脱とは、『観心本尊抄』に、
「久種を以て下種と為し、大通・前四味・迹門を熟と為して、本門に至って等妙に登らしむ」(同 六五六㌻)
と、『寿量品』において久遠五百塵点劫の下種を明かし、三千塵点劫及び四十余年の爾前経と法華迹門を熟益とし、『寿量品』に依って得脱したことを脱益というのです。
したがって、久遠の過去に下種を受けた本已有善の衆生は、法華経本門の種熟脱の化導を経て真の成仏を遂げるのです。
末法の衆生は、未だ下種を受けず、善根を積んでいない本未有善の衆生であり、釈尊の熟益・脱益の法では救われません。
故に末法は、久遠元初と同様、久遠の本仏によって、新たに衆生の心田に仏種を下されるべき時です。
『観心本尊抄』に、
「在世の本門と末法の初めは一同に純円なり。但し彼は脱、此は種なり。彼は一品二半、此は但題目の五字なり」(同)
と仰せのように、末法下種の本法とは、御本仏日蓮大聖人の御当体である南無妙法蓮華経の大漫荼羅本尊であり、末法の衆生はこの御本尊を信受し、題目を唱えるところ、即身成仏の境界を得ることができるのです。これが末法における真の種熟脱の三益なのです。
化城即宝処
大聖人様は『御義口伝』に、
「化城の化とは色法、城とは心法を表わしており、爾前権教においては、この色心の二法を無常と説き、法華経においては、常住と説きます。そして、化城とは九界、宝処とは仏界と説かれ、末法においては、御本尊を受持し、南無妙法蓮華経と唱えていくところ、私たち凡夫の色心が本有常住の妙法の当体と開かれ、即身成仏することを化城即宝処というのである(趣意)」(同 一七四五㌻)
とされています。
私たちは、五百由旬の険難悪道を経なくとも、直ちに宝処に至ることができる大聖人様の南無妙法蓮華経を受持信行させていただける喜びを再認識し、さらには多くの人びとを宝処に導いたリーダーのように、自行化他の信心に住し、御命題達成をめざしてさらなる精進をしてまいりましょう。
法華経について⑩
法華経について(全34)
10大白法 平成26年7月1日刊(第888号)より転載
『授記品第六』と『化城喩品第七』の前半
『授記品第六』
前回の『薬草喩品第五』で「三草二木の譬え」が説かれ、四大声聞の領解を納受されると共に、さらに功徳が平等で莫大であることを述べられました。そして、この『授記品第六』で、いよいよ四大声聞(迦葉・須菩提・迦旃延・目連)に未来成仏の保証をされるのです。
四大声聞の授記
当品の冒頭で、迦葉が光明如来の記別を授かります。
それを見た他の三人は皆、感激しますが、声聞が成仏することに未だにわずかな疑いを抱いていました。そこで釈尊に対して、『飢えた国から来た人が、大王の食膳を出されると戸惑ってしまい、なかなかご馳走に手を付けられません。しかし、大王から召し上がれと言われれば、安心して食べることができるでしょう。自分たちも同様であり、もし未来成仏の記別を授けられれば、安楽の境界を得ることができるので与えてくださるよう、お願い申し上げます」と申し上げたのです。
そこで釈尊は、須菩提に名相如来、迦旃延に閻浮那提金光如来、目連に多摩羅跋栴檀香如来の記別を授けられ、『授記品第六』は終了します。
宗祖大聖人様は、この時の様子を、
「破れたる石は合ふとも、枯れ木に花はさくとも、二乗は仏になるべからずと仰せられしかば、須菩提は茫然として手の一鉢をなげ、迦葉は涕泣の声大千界を響かすと申して歎き悲しみしが、今法華経に至りて迦葉尊者は光明如来の記別を授かりしかば、目連・須菩提・摩訶迦旃延等は是を見て、我等も定めて仏になるべし、飢ゑたる国より来たりて忽ちに大王の膳にあへるが如しと喜びし文なり」(御書 四八頁)
と仰せになって、それまでの四大声聞の苦悩と記別を受ける喜びを御示しになっています。
四大声聞は、勝れた法華経を聞いて歓喜したものの、果たして小乗の自分たちが本当に成仏できるのかを疑っていました。それほど法華経の教えは計り難いのです。しかしそれでも、釈尊より記別を与えられ、自ら未来成仏の確信を得ることができたのです。
『化城喩品第七』の前半
過去結縁の因縁
続いて、『化城喩品』に入ります。今まで、『方便品』の説法の後、上根の舎利弗の授記、中根の四大声聞への譬喩の説法へ(正説)と領解、述成、授記と進んできました。当品からは下根の声聞に対する説法となります。
さて『化城喩品』は、法華経因縁説周の中の正説段に当たります。題号の「化城喩」ですが、それは当品に法華七譬の一つである「化城宝処の譬え」が説かれていることによります。そして、他の品と異なり、最初から最後まで釈尊の説法のみとなっていることに特色があります。
三千塵点劫の大通覆講
まず過去三千塵点劫という過去の話が説かれます。
この「三千塵点劫」ですが、これは遥かな過去の時間の表現です。少し判りにくいかも知れませんが、三千大千世界の土地を磨りつぶして墨にして、それを東のほうに千の国土の間隔で一微塵ずつ落としていき、すべての塵を落とした範囲を、再び粉末にして大量の塵にします。こうしてできたちりの一粒を、一劫として数え、遡った過去ということです。
因みに後の『寿量品』には五百塵点劫という過去が説かれますが、『寿量品』のほうは〝五百千万億那由多阿僧祇の三千大千世界〟がはじめの単位であり、三千塵点劫より遥かな、思いもつかない過去となります。
さて、三千塵点劫の過去に大通智勝仏という仏様がいらっしゃいました。大通智勝仏が成道を遂げた後、十小劫の後に説法を聴聞するために、出家以前に設けていた十六人の王子、また父である転輪聖王とその所従たちが参詣してきました。そして、十六王子をはじめとする大衆が懇ろに説法を請います。最後に梵天王たちが説法を願った後、大通智勝仏は四諦十二因縁の法を説きます。
その後、十六王子や転輪聖王等が出家し、二万劫の後、大通智勝仏は十六沙弥(出家した十六王子)の請いによって妙法蓮華経を説かれました。この時、十六沙弥は素直に信解し悟りましたが、小乗の教えに執われた人々は疑いを生じてしまったのです。
法華経を説いた大通智勝仏は、禅定に入られましたが、その間に十六沙弥が重ねて法華経を説きました。つまり、大通智勝仏の法華経の説法を開いて、歓喜の心を起こし、その歓喜のままに縁のある人々に法華経を説いたのです。
これを覆講(大通覆講)と言います。
十六王子の覆講を大通智勝仏は感嘆し讃嘆され、そして、十六王子は常に法華経を説き続けた功徳をもって成仏をされたのです。
さて、この十六王子の一人が釈尊です。そして、その法華経の説法を聴聞して退転してしまった人々は、その後、六道を輪廻し、三千塵点劫を経て釈尊の説法に巡り合ったのです。ここに釈尊と衆生の三千塵点劫以来の因縁が明かされたのです。
化導の始終不始終の相
中国の天台大師は、法華経が他経より勝れていることを明かすのに、
「教相に三と為す。一に根性の融不融の相、二に化導の始終不始終の相、三に師弟の遠近不遠近の相」(学林版玄義会本上 五七頁)
と説かれています。
まず第一の「根性の融不融の相」とは爾前経では衆生の機根は未熟であり、声聞・縁覚・菩薩の三乗に分かれていました。しかし、法華経『方便品』の説法によって、この二乗を開いて一仏乗に会入されたのです。すなわち、爾前経は「不融」であり、法華経は「融」であると判じられるのです。
第二の「化導の始終不始終の相」は、仏の化導として種熟脱の三益が明かされているか否かということです。すなわち、爾前経では仏による化導の始終が明かされていないので「不始終」であり、法華経は当品の三千塵点劫をはじめとする化導の因縁、及び迹門の記別をもって化導の成就とし、「始終」に配するのです。
第三の「師弟の遠近不遠近の相」は、迹門と本門の相対であり、仏と衆生の久遠以来の関係が明かされているか否かということで、迹門は「不遠近」、本門は「遠近」に配されます。この内容については、本門に入ってからの開近顕遠の法門で詳しく学びましょう。
以上は、法華経の文上の意義に基づいて述べたものですが、さらに大聖人様の文底下種の立場から言及すれば、第二の化導の始終不始終の相は、まだ本当の形の種熟脱ではありません。
大聖人様は、『常忍抄』に、
「日蓮が法門は第三の法門なり。世間に粗夢の如く一・二をば申せども、第三をば申さず候」(御書 一二八四頁)
と仰せられています。
すなわち、大聖人様の仏法では、天台大師の三種の教相はあくまで権実相対(第一法門)と本迹相対(第二法門)であり、第三の法門として種脱相対の法門こそが本意であることを御教示されているのです。
この「第三の法門」とは、未だ下種を受けていない末法の人々が、下種の教主である日蓮大聖人様の仏法によって救済されることを明かされた法門なのです。
大通智勝仏の十六人の王子が、聴聞した法華経を歓喜の心をもって、人々に説き弘めたように、私たちも御法主日如上人猊下の御指南のままに、御住職の御指南のままに、御本尊様の功徳を語り、折伏に励んでいくことが大切です。
折伏誓願貫徹をめざして、最後まで諦めることなく、精進してまいりましょう。
法華経について⑨
法華経について(全34)
9大白法 平成26年6月1日刊(第886号)より転載
『薬草喩品第五』
今回は『薬草喩品第五』について学びます。
「薬草喩」とは、当品に説かれる譬喩に由来しており、特に声聞・縁覚の二乗を救済するための妙法という真の薬を説く意味が拝されます。
譬説周述成段
『薬草喩品』は、迹門正宗分で広開三顕一が明かされる三周の説法中、『譬喩品第三』の後半から始まる譬説周のうち、述成段(対告衆による領解の正しさを認め仏様がさらに説き示す部分)に当たります。
『譬喩品』後半の譬説周正説段(仏様が正法を説かれる部分)において、釈尊は「三車火宅の譬え」を説き、これを聞いて中根の須菩提・迦旃延・迦葉・目連の四大声聞は、三乗方便・一乗真実という開三顕一の法理を覚知します。四大声聞は領解段(説法を聴聞した衆生が仏様に理解した内容を述べる部分)である次の『信解品』において、その理解した旨を「長者窮子の譬え」をもって釈尊に申し上げました。
これを受けて『薬草喩品』では、釈尊が「長者窮子の譬え」は真実の功徳を顕わしているとして一応四大声聞の領解を納受して讃歎すると共に、功徳の甚大なることをさらに深く理解させるために「三草二木の譬え」を説かれるのです。
三草二木の譬え
この譬えは、仏様の実相は本来一味ですが、衆生の境界に差別があるために受ける功徳が異なることを示された上で、一仏乗によって、すべての衆生が平等に利益されることを説かれたものです。
『薬草喩品』より三草二木の譬え
「世界中の山や川、谷や大地には、様々な草木が生い茂っており、名前も形も異なっています。
雨雲が遍く空を覆い、雨が一時に等しく降り注ぐと、その雨は、一切の草木に行き渡り、高木、低木、大・中・小の薬草それぞれに応じた潤いをもたらします。草木は、それぞれの持つ特性に従って、雨による潤いを受け、生長して花果を結びます。草木は、同一の大地に生じ、同一の雨に潤されますが、名前や生長していく姿には、それぞれ差があり違いがあるのです。
仏様の教えもまた同じです。仏様が世の中に出現されるのは、大きな雨雲が涌き起こるごとく、説法が一切の人々に行き渡るのは、雨雲が遍く空を覆い尽くすごとくであります。
そして、『私は仏であり、未だ仏道に至らない者を導き、未だ解了しない者を解了せしめ、未だ仏道に安んじない者を安んぜしめ、未だ涅槃に至らない者を至らしめます。私は今世・来世を見通した一切を知る者、一切を見る者にして、仏の道を知り、仏の道を開き、仏の道を説く者であります。皆この法華経を聴聞するためにここに集まりなさい』と説かれました。
仏様は、集まり来たった十界の衆生に機根の差があることを観ぜられて、それぞれに相応して種々に法を説いて衆生を歓喜せしめ、善根を修めさせます。説法を聴聞した衆生は、今世は安穏にして後生は善所に生まれ、ようやく仏道に入ることができるのです。
それはあたかも大きな雨雲が、一切の草木に雨を降らし、それぞれの草木に応じた潤いを与えて平等に生長させるようなものです。
仏様の説法は、一地・一雨と同じく、ただ一乗真実の教えを、一切衆生に平等に説くことにあります。
しかし、聴聞した人間・天上・声聞・縁覚・菩薩の衆生は、仏様の教えの通りに受持・読誦の修行をしても、各々が功徳を別々に受け止め、仏様の教えが一相一味であることを知りません。種々の草木が自らの上中下の特性を知らないように、五乗七方便のそれぞれの衆生もまた自身の種・相・体・性を知らず、ただ仏様のみが五乗の因果と差別相を知り、衆生の心相も諸仏の教法も一相一味無差別であることを覚知されているのです(趣意)」(法華経 二一五頁)
譬えの中に示されるように、大きな雨雲は仏様、雨とはその教え、草木は一切衆生のことです。雨雲が平等に潤いの雨を降らせるとは、一切衆生を仏様の悟りの境界へ導く一仏乗たる法華経に譬えられたものです。
また種々の草木は、天台大師の『法華文句』に依れば五乗のそれぞれに当たり、小さな薬草が人間・天上、中くらいの薬草が声聞・縁覚の二乗、大きな薬草が蔵教の菩薩、低木が通教の菩薩、高木は別教の菩薩を譬えています。これら五乗の衆生は、草木が等しく大地より生ずるのと同様に、各々が本来等しく仏性を具えています。ですから、機根に応じて一仏乗の法を様々に聞いたとしても、草木の性質に関わらず潤すところの雨が一味であるように、衆生の機根に五乗七方便の相違があったとしても、仏様は大慈悲の上から実相一味の法を施し平等の利益を与え無差別の義を示され、究竟して一切衆生を仏様の境界へと至らしめるのです。
現世安穏 後生善処
日蓮大聖人が『御講聞書』に、
「今末法に入りて日蓮等の類の弘通する題目は等雨法雨の法体なり。此の法雨、地獄の衆生・餓鬼の衆生等に至るまで同時にふりたる法雨なり。日本国の一切衆生の為に付嘱し給ふ法雨は題目の五字なり。所謂日蓮建立の御本尊、南無妙法蓮華経是なり」(御書 一八四一頁)
と御示しのように、末法の一切衆生に等しく降り注ぐ法雨とは、本門戒壇の大御本尊を信じ、南無妙法蓮華経と唱え奉ることによって戴ける大功徳に他なりません。
御法主日如上人猊下は、妙法受持による三世に亘る功徳を説かれた当品の、
「現世安穏。後生善処(現世安穏にして後に善処に生ず)」(法華経 二一七頁)
との経文について、次のように御指南あそばされています。
「我らにとって『現世安穏後生善処』の妙法を受持信行することこそ今生の名聞であり、現世に妙法弘通に励んだ因によって後生には必ず成仏に至ることができるのであります。
よって我らは『須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ、他をも勧めんのみこそ、今生人界の思出なるべき』との御金言を心肝に染め、一意専心、自行化他の信心に励んでいくことが肝要となるのであります」(大白法 七三三号)
この御指南に副い奉り、誓願貫徹に向けて精進してまいりましょう。
法華経について⑧
法華経について(全34)
8大白法 平成26年5月1日刊(第884号)より転載
『信解品第四』
前回の『譬喩品第三』に続いて、『信解品第四』について学んでいきます。
初めに
『信解品第四』は、三周の説法(法説周、譬説周、因縁説周)中、譬説周の領解段に当たります。(本紙八八〇号六面の図を参照)
上中下根のうち中根に当たる四大声聞(迦葉・目連・須菩提・迦旃延)が、先の『譬喩品第三』後半の譬説周正説段で説かれた「三車火宅の譬え」を聞いて、開三顕一の法門を領解したことを「長者窮子の譬え」をもって釈尊に申し上げます。
この譬えは、親子の物語で、窮子(貧窮の子)が父の長者によって徐々に教化される姿を通し、四大声聞が釈尊一代の五時(華厳・阿含・方等・般若・法華)に分別して、一仏乗の教えを理解した旨を述べたものです。
それでは当品の内容に入りましょう。
まず初めに、四大声聞は、最高の儀礼をもって釈尊を拝し、次のように申し上げます。
「私たちは、釈尊の弟子の中でも最上位の立場でありますが、小乗声聞の悟りに安住し、仏の真の悟りを進んで求めようとしませんでした。それは、大乗の菩薩のように、自在に国土を清め、人々を教導することを喜ばなくなっていたからです。しかし、今、声聞の舎利弗に成仏の予証が与えられたのを見て、かつてない喜びにあふれています。そして、さらに『三車火宅の譬え』のような類いまれな法を聞くことができようとは思いもよらないことでした。いわば、求めずして、無上の宝珠を得たようなものです。そこで、今度は私たち四人が、ただ今の教えについて信解したところを、譬え話をもって申し上げたいと思います」
と言って、「長者窮子の譬え」を説かれました。
長者窮子の譬え
長者窮子の譬えとは、ある長者とその息子(貧窮の子=窮子)の話です。息子は幼い時に父からはぐれ、貧しい生活をしながら他国を数十年も放浪していました。一方、父親は大富豪の長者で、大邸宅を構え、倉には宝が満ち、大勢の使用人がおりました。しかし、この父親は、いつも我が子を忘れられず「もし我が子を探し出して財宝を相続できたならば、どれほど幸せか」と願っていました。
ある時、息子は衣食を求めて各地をさまよいながら、たまたま故郷の父の家の前に立ったのです。中を覗くと、多くの使用人に囲まれ、辺りを圧倒する威厳を具えた長者の姿が見えました。父親のことを忘れてしまっている息子は、「まずい、これは王様か、もしくは王様のような権力者に違いない。ぐずぐずしていると捕らえられて強制的に働かされるかもしれない」と、その場から逃げ去ろうとしました。
ところが、父の長者は、そのみすぼらしい男を見て、すぐに我が子と判ったので、側近の者に命じて連れ戻させようとしました。すると、窮子は驚いて叫び、恐怖のあまり、気を失って倒れてしまったのです。
その姿を見た長者は、我が子の心が非常に卑しくなり、高貴な身分の者を恐れるようになっていることを知り、方便をもって徐々に誘引しようと考えました。そして、使いの者に「許してやるから、好きな所へ行け」と伝えさせたのです。
すると、窮子は喜んで貧しい里へ、仕事を求めて出て行ってしまったのです。しばらくして、長者は、浮浪者のような貧相な男二人を窮子のもとに遣わし、長者の邸宅の汚物掃除の仕事を一緒にしないかと誘わせました。窮子は喜んで長者の邸宅で働くことになりました。
ある時、長者はわざと汚らしい服に着替え、汚物掃除の道具を持って、窮子に近づきました。そして、共に働いている人を励ましたりしてすっかり窮子を安心させ、親しくなっていきました。そうして、次のように述べました。「家にある物は何でも使いなさい。私はもう年だが、お前はまだ若い。これからお前には、特に目をかけよう。だから、お前はもうよそへ行ってはならない。ここで働くとよい」。そして長者は、窮子に名前を付けてやりました。窮子はこの処遇に喜びましたが、まだ自分はよそからやってきた身分の低い使用人だと思っていました。このような事情から長者は、二十年もの間、今までと同じように汚物を掃除させました。
その間、長者と窮子は、互いに信頼し合えるようになり、長者の所へも自由に出入りするようになりましたが、未だ粗末な小屋に住んで、元の環境を変えることはありませんでした。
そのうち、長者は病気となり、死期が近いことを知ったので、いよいよ窮子に財産を継がせようと思いました。そして「私とお前は、もう心が一つになっている。私の財産の管理を命ずるから、財産を失わないようにしなさい」と言って任せたのです。窮子は、非常に喜びましたが、少しの財産も自分で所有しようとしませんでした。自分は卑しい者だという意識を、捨てられなかったのです。
しかし、窮子は次第に大きな心構えを持つようになりました。
いよいよ長者も臨終の時となり、親族・国王・大臣等の一切を招集して、皆に向かい、出納係である窮子こそ実の我が子であることを告げ、自身の財宝の一切を息子へと相続するのです。
この長者窮子の譬えは、総じて過去釈尊による下種より華厳・阿含・方等・般若の前四時を経て最後法華における開会の様を譬えているのです。
つまり、初めに譬喩中の息子が父のもとを離れ落ちぶれていく様は、過去に仏より下種を受けた四大声聞が、それを信受せず退転し、三界六道に沈淪したことを譬えています。そして次に父子が再会し我が子に気づいた長者が使いの者に跡を追わせ、窮子がそれに恐怖し煩悶したことは、今番出世の釈尊が華厳経を説き、聴聞した声聞衆が聾のごとく唖のごとく全く理解できなかったことを譬え(擬宜)、次に汚物掃除によって長者のもとに誘い込むことは小乗・阿含経の化導を譬え(誘引)、そしていつまでも汚物掃除で満足していてはならないとするのが、維摩経や阿弥陀経・大日経などを説いた方等経の化導を譬えています(弾呵)。また財産管理をさせて今までの状況を卑しいと思わせ、大きな心へと淘汰させることは般若経の化導を譬え(淘汰)、最後に我が息子であることを示して、一切の財宝を相続することは、成仏の境界を開かせた法華経の化導(開会)を譬えているのです。
そして、続く『薬草喩品』での述成を経て、『授記品』において四大声聞は、釈尊より未来成仏の記別を授かるのです。
真の信解とは
日蓮大聖人様は『開目抄』において、
「いまだ発迹顕本せざれば、まことの一念三千もあらわれず、二乗作仏も定まらず」(御書 五三六頁)
と御教示のように、迹門において説かれた諸法実相の妙理たる一念三千も二乗作仏も、共に久遠実成を明かされていないので、すべて本無今有、有名無実の失を免れません。したがって、対境を迹門理上の一念三千とした信解では、真の成仏は許されません。
真の信解の意義を拝しますと、本門『寿量品』が説かれた後、『分別功徳品』現在の四信中、一念信解に至ってその意義が充実されるのです。
これを文底の御法門より拝しますと、釈尊在世の衆生の得脱(成仏)も久遠元初下種本仏の妙法による下種を信解したことによるのです。
末法においては、久遠元初下種の本仏たる日蓮大聖人御所持の妙法を事の当体として顕わされた本門戒壇の大御本尊に対し奉る無疑曰信の信心こそ、真の信解の意義となるのです。