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木絵二像開眼の事 (法華骨目肝心抄)

御書2

木絵二像開眼の事 (法華骨目肝心抄)                            文永九年  五一歳    
仏に三十二相有り、皆色法なり。最下の千輻輪より終はり無見頂相に至るまでの三十一相は、可見有対色なれば書きつべし作りつべし。梵音声の一相は、不可見無対色なれば書くべからず作るべからず。仏滅後は木画の二像あり。是三十一相にして梵音声かけたり。故に仏に非ず。又心法かけたり。生身の仏と木画の二像を対するに天地雲泥なり。何ぞ涅槃の後分には生身の仏と、滅後の木画の二像と功徳斉等なりといふや。又大瓔珞経には、木画の二像は生身の仏にはをとれりととけり。  木画の二像の仏の前に経を置けば、三十二相具足するなり。但し心なければ、三十二相を具すれども必ずしも仏にあらず。人天も三十二相あるがゆへに。木絵の三十一相の前に五戒経を置けば、此の仏は輪王とひとし。十善論と云ふを置けば、帝釈とひとし。出欲論と云ふを置けば、梵王とひとし。全く仏にあらず。又木絵二像の前に阿含経を置けば、声聞とひとし。方等・般若の一時一会の共般若を置けば、縁覚とひとし。華厳・方等・般若の別円を置けば、菩薩とひとし。全く仏に非ず。大日経・金剛頂経・蘇悉地経等の仏眼、大日の印・真言は、名は仏眼大日といへども其の義は仏眼大日に非ず。例せば仏も華厳経は円仏には非ず。名にはよらず。  三十一相の仏の前に法華経を置きたてまつれば必ず純円の仏なり云々。故に普賢経に法華経の仏を説いて云はく「仏の三種の身は方等より生ず」文。是の方等は方等部の方等に非ず、法華を方等といふなり。又云はく「此の大乗経は是諸仏の眼なり。諸仏是に因って五眼を具することを得る」等云云。法華経の文字は、仏の梵音声の不可見無対色を、可見有対色のかたちとあらはしぬれば、顕・形の二色となれるなり。滅せる梵音声、かへて形をあらはして、文字と成りて衆生を利益するなり。人の声を出だすに二つあり。一には自身は存ぜざれども、人をたぶらかさむがために声をいだす、是は随他意の声。自身の思ひを声にあらはす事あり、されば意が声とあらはる。意は心法、声は色法。心より色をあらはす。又声を聞いて心を知る。色法が心法を顕はすなり。色心不二なるが故に而二とあらはれて、仏の御意あらはれて法華の文字となれり。文字変じて又仏の御意となる。されば法華経をよませ給はむ人は、文字と思し食す事なかれ。すなはち仏の御意なり。故に天台の釈に云はく「請を受けて説く時は只是教の意を説く。教の意は是仏意、仏意即ち是仏智なり。仏智至って深し。是の故に三止四請す。此くの如き艱難あり。余経に比するに余経は則ち易し」文。此の釈の中に仏意と申すは、色法をおさへて心法という釈なり。  法華経を心法とさだめて、三十一相の木絵の像に印すれば、木絵二像の全体生身の仏なり。草木成仏といへるは是なり。故に天台は「一色一香無非中道」云云。妙楽是をうけて釈するに「然るに亦倶に色香中道を許せども、無情仏性は耳を惑はし心を驚かす」云云。華厳の澄観が天台の一念三千をぬすんで華厳にさしいれ、法華・華厳ともに一念三千なり。但し華厳は頓々さきなれば、法華は漸頓のちなれば、華厳は根本さきをしぬれば、法華は枝葉等といふて、我れ理をえたりとおもへる意山の如し。然りと雖も一念三千の肝心、草木成仏を知らざる事を妙楽のわらひ給へる事なり。今の天台の学者等、我れ一念三千を得たりと思ふ。然りと雖も法華をもて、或は華厳に同じ、或は大日経に同ず。其の義を論ずるに澄観の見を出でず。善無畏・不空に同ず。詮を以て之を謂はゞ、今の木絵二像を真言師を以て之を供養すれば、実仏に非ずして権仏なり。権仏にも非ず、形は仏に似れども意は本の非情の草木なり。又本の非情の草木にも非ず、魔なり、鬼なり。真言師が邪義、印・真言と成りて木絵二像の意と成れるゆへに。例せば人の思ひ変じて石と成る。倶留と黄夫石が如し。法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。今真言を以て日本の仏を供養すれば、鬼入りて人の命をうばふ。鬼をば奪命者といふ。魔入りて功徳をうばふ。魔をば奪功徳者といふ。鬼をあがむるゆへに、今生には国をほろぼす。魔をたとむゆへに、後生には無間の獄に堕す。  人死すれば魂去り、其の身に鬼神入れ替はりて子孫を亡ず。餓鬼といふは我をくらふといふ是なり。智者あって法華経を読誦して骨の魂となせば、死人の身は人身、心は法身。生身得忍といへる法門是なり。華厳・方等・般若の円をさとれる智者は、死人の骨を生身得忍と成す。涅槃経に「身は人身なりと雖も心は仏心に同ず」といへるは是なり。生身得忍の現証は純陀なり。法華を悟れる智者、死骨を供養せば生身即法身なり。是を即身といふ。さりぬる魂を取り返して死骨に入れて、彼の魂を変じて仏意と成す。成仏是なり。即身の二字は色法、成仏の二字は心法、死人の色心を変じて無始の妙境妙智と成す。是則ち即身成仏なり。故に法華経に云はく「所謂諸法如是相 死人の身 如是性 同じく心 如是体 同じく色心等」云云。又云はく「深く罪福の相を達して遍く十方を照らしたまふ。微妙の浄き法身、相を具せること三十二」等云云。上の二句は生身得忍、下の二句は即身成仏。即身成仏の手本は竜女是なり。生身得忍の手本は純陀是なり。

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