経王御前御書 文永九年 五一歳
種々御送り物給び候ひ畢んぬ。
法華経第八妙荘厳王品と申すには、妙荘厳王と浄徳夫人と申す后は浄蔵・浄眼と申す太子に導かれ給ふと説かれて候。
経王御前を儲けさせ給ひて候へば、現世には跡をつぐべき孝子なり。
後生には又導かれて仏にならせ給ふべし。
今の代は濁世と申して乱れて候世なり。
其の上眼前に世の中乱れて見え候へば、皆人今生には弓箭の難に値って修羅道におち、後生には悪道疑ひなし。
而るに法華経を信ずる人々こそ仏には成るべしと見え候へ。御覧ある様にかゝる事出来すべしと見えて候。
故に昼夜に人に申し聞かせ候ひしを、用ひらるゝ事こそなくとも、科に行なはるゝ事は謂はれ無き事なれども、古も今も人の損ぜんとては善き言を用ひぬ習ひなれば、終には用ひられず世の中亡びんとするなり。
是偏に法華経釈迦仏の御使ひを責むる故に、梵天・帝釈・日月・四天等の責めを蒙りて候なり。
又世は亡び候とも、日本国は南無妙法蓮華経とは人ごとに唱へ候はんずるにて候ぞ。
如何に申さじと思ふとも、毀らん人には弥申し聞かすべし。命生きて御坐さば御覧有るべし。
又如何に唱ふとも日蓮に怨をなせし人々は、先づ必ず無間地獄に堕ちて無量劫の後に日蓮の弟子と成って成仏すべし。
恐々謹言。
日 蓮 花押
経王御前