災難興起由来 正元二年二月上旬 三九歳
答へて曰く、爾なり。謂はく夏の桀・殷の紂・周の幽等の世是なり。
難じて云はく、彼の時仏法無し。故に亦謗法者無し。何に依るが故に国を亡すや。答へて曰く、黄帝・孔子等治国の作方五常を以す。愚王有りて礼教を破る故に災難出来す。
難じて云はく、若し爾らば今世の災難五常を破るに依らば何ぞ必ずしも選択流布の失と云ふや。答へて曰く、仏法未だ漢土に渡らず前には黄帝等五常を以て国を治む。其の五常は仏法渡りて後之を見れば即ち五戒なり。老子・孔子等も亦仏遠く未来を鑑み、国土に和し仏法を信ぜしめん為に遣はす所の三聖なり。夏の桀・殷の紂・周の幽等五常を破りて国を亡すは即ち五戒を破るに当たるなり。亦人身を受て国主と成るは必ず五戒十善に依る。外典は浅近の故に過去の修因・未来の得果を論ぜずと雖も五戒十善を持ちて国王と成る。故に人五常を破ること有れば上天変頻りに顕はれ下地妖間に侵す者なり。故に今世の変災も亦国中の上下万人多分に選択集を信ずる故に、弥陀仏より外の他仏他経に於て拝信を致す者に於ては、面を背けて礼儀を致さず、言を吐ひて随喜の心無し。故に国土人民に於て殊に礼儀を破り道俗禁戒を犯す。例へば阮籍を習ふ者は礼儀を亡し、元嵩に随ふ者は仏法を破るが如し。
問て曰く、何を以て之を知る。仏法未だ漢土に渡らざる已前の五常は仏教の中の五戒たること如何。答へて曰く、金光明経に云はく「一切世間の所有の善論は皆此の経に因る」と。法華経に云はく「若し俗間の経書、治世の語言、資生等を説かんも皆正法に順ぜん」と。普賢経に云はく「正法をもって国を治め人民を邪枉せず、是を第三の懺悔を修すと名づく」と。槃経に云はく「一切世間の外道の経書も皆是仏説にして外道の説に非ず」と。止観に云はく「若し深く世法を識れば即ち是仏法なり」と。弘決に云はく「礼楽前に駈せて真道後に啓く」と。広釈に云はく「仏三人を遣はして且く真旦を化し五常以て五戒の方を開く。昔は大宰孔子に問うて云はく、三皇五帝は是聖人なるか。孔子答へて云はく、聖人に非ず。又問ふ、夫子は是聖人なるか。亦答ふ、非なり。又問ふ、若し爾らば誰か是聖人なる。答へて云はく、吾聞く、西方に聖有り、釈迦と号す」と。周書異記に云はく「周の昭王二十四年甲寅の歳四月八日、江河泉池忽然として浮漲し、井水並びに皆溢れ出づ。宮殿人舎、山川大地咸悉く震動す。其夜五色の光気有り、入りて太微を貫き四方に遍ず。昼青紅色と作る。昭王大史蘇由に問うて曰く、是何の怪ぞや。蘇由対へて曰く、大聖人有り、西方に生まる。故に此の瑞を現ず。昭王曰く、天下に於て何如。蘇由曰く、即時には化無し。一千年の外声教此の土に被及せん。昭王即ち人を門に遣はし、石に之を記して埋めて西郊天祠の前に在く。穆王の五十二年壬申の歳二月十五日平旦、暴風忽ちに起こりて人舎を廃損し樹木を傷折し、山川大地皆悉く震動す。午後天陰り雲黒し。西方に白虹十二道あり。南北に通過して連夜滅せず。穆王大史扈多に問ふ。是何の徴ぞや。対へて曰く、西方に聖人有り。滅度の衰相現はるのみ」已上。今之を勘ふるに金光明経に一切世間の所有の善論は皆此の経に因る。仏法未だ漢土に渡らず。先づ黄帝等玄女の五常を習ふ。即ち因全玄女の五常に因って久遠の仏教を習ひ黄帝に国を治めしむ。機未だ熟さざれば五戒を説くとも過去未来を知らず。但現在に国を治め至孝至忠をもって身を立つる計りなり。余の経文以て亦是くの如し。亦周書異記等は仏法未だ真旦に被らざる已前一千余年に人西方に仏有ること之を知る。何に況んや老子は殷の時に生まれ周の列王の時に有り。孔子亦老子の弟子、顔回亦孔子の弟子なり。豈周の第四の昭王、第五の穆王の時、蘇由扈多の記す所の一千年の外、声教此の土に被及するの文を知らざらんや。亦内典を以て之を勘ふるに仏慥かに之を記したまふ。我三聖を遣はして彼の真旦を化す。仏漢土に仏法を弘めん為に先に三菩薩を漢土に遣はし、諸人に五常を教へ仏経の初門と為す。此等の文を以て之勘ふるに仏法已前の五常は仏教の内の五戒なることを知る。
疑って云はく、若し爾らば何ぞ選択集を信ずる謗法の者の中に此の難に値はざる者之有りや。答へて曰く、業力の不定なり。現世に謗法を作し今世に報ひ有る者あり。即ち法華経に云はく「此の人現世に白癩の病を得ん、乃至、諸の悪重病あるべし」。仁王経に云はく「人仏教を壊らば復孝子無く、六親不和にして天神も祐けず、疾疫悪鬼日に来たりて侵害し、災怪首尾し連禍せん」。涅槃経に云はく「若し是の経典を信ぜざる者有あらば○若しは臨終の時荒乱し、刀兵競ひ起こり、帝王の暴虐、怨家の讎隙に侵逼せられん」已上。順現業なり。法華経に云はく「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば○其の人命終して阿鼻獄に入らん」と。仁王経に云はく「人仏教を壊らば○死して地獄・餓鬼・畜生に入らん」已上。順次生業なり。順後業等之を略す。
疑って云はく、若し爾らば法華真言等の諸大乗経を信ずる者何ぞ此の難に値へるや。答へて曰く、金光明に云はく「枉て辜無きに及ばん」と。法華経に云はく「横に其の殃に羅る」等云云。止観に云はく「以解の位は因の疾少し軽くして道心転熟す、果の疾猶重くして衆災を免れず」と。記に云はく「若し過現の縁浅ければ微苦も亦徴無し」已上。此等の文を以て之を案ずるに、法華真言等を行ずる者も未だ位深からず、縁浅くして口に誦すれども其の義を知らず、一向に名利の為に之を読む。先生の謗法の罪未だ尽きず、外に法華等を行じて内に選択の意を存す。心に存せずと雖も世情に叶はん為に、在俗に向かって法華経は末代に叶ひ難き由を称すれば、此災難を免れ難きか。
問うて曰く、何なる秘術を以て速やかに此の災難を留むべきや。答へて曰く、還って謗法の書並びに所学人を治すべし。若し爾らざれば無尽の祈請有りと雖も但だ費のみ有って験無からんか。
問うて曰く、如何が対治すべきか。答へて曰く、治方も亦経に之有り。涅槃経に云はく「仏言はく、唯一人を除て余の一切に施せ○正法を誹謗して是の重業を造る○唯此くの如き一闡提の輩を除きて其の余の者に施さば一切讃歎すべし」已上。此の文より外にも亦治方有り。具に戴するに暇あらず。而るに当世の道俗多く謗法の一闡提の人に帰して讃歎供養を加ふるの間、偶謗法の語を学せざる者も還って謗法の者と称して怨敵を作す。諸人此の由を知らず故に正法の者を還って謗法者と謂へり。此れ偏に法華経勧持品に記する所の、悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に○好んで我等が過を出し○国王・大臣・波羅門・居士に向って○誹謗して我が悪を説いて、是れ邪見の人外道の論議を説くと謂はんの文の如し。仏の讃歎する所の世中の福田を捨てゝ、誡むる所の一闡提に於て讃歎供養を加ふ。故に弥々貪欲の心盛んにして謗法の音天下に満てり。豈災難起こらざらんや。
問うて曰く、謗法の者に於て供養を留め苦治を加へんに罪有りや不や。答へて曰く、涅槃経に云はく「今無上の正法を以て諸王・大臣・宰相・比丘・比丘尼に付嘱す○正法を毀る者は王者・大臣・四部の衆当に苦治すべし○尚罪有ること無し」已上。一切衆生螻蟻蚊虻に至まで必ず小善有れども謗法の人には小善無し。故に施を留めて苦治を加ふるなり。
問うて曰く、汝僧形を以て比丘の失を顕はす、豈不謗四衆と不謗三宝との二重の戒を破るに非ずや。答へて曰く、涅槃経云はく「若し善比丘ありて法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば、当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり。若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子真の声聞なり」已上の文を守りて之を記す。若し此の記自然に国土に流布せしめん時、一度高覧を経ん人は必ず此の旨を存ずべきか。若し爾らずんば大集並びに仁王経の若し国王有て我が法の滅せんを見て捨てゝ擁護せざれば○其の国の内に三種の不祥を出さん。乃至、命終して大地獄に生ぜん。若し王の福尽きん時○七難必ず起らん之の責を免れ難きか。此の文の如くんば且く万事を閣きて先づ此の災難の起こる由を慥かむべきか。若し爾らずんば仁王経の、国土乱れん時は先づ鬼神乱る、鬼神乱るるが故に万民乱るの文を見よ。当時鬼神の乱・万民の乱有り。当に国土乱るべし。愚勘是くの如し。取捨は人の意に任す。
正元二年太歳庚申二月上旬之を勘ふ