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乗明聖人御返事 (金殊女抄)

御書5
 乗明聖人御返事 (金殊女抄) 建治三年 四月十二日 五六歳
 相州鎌倉より青鳧二結、甲州身延の嶺に送り遣はされ候ひ了んぬ。  昔金珠女は金銭一文を木像の薄と為し、九十一劫金色の身と為りき。其の夫の金師は今の迦葉、未来の光明如来是なり。今乗明法師妙日並びに妻女は銅銭二千枚を法華経に供養す。彼は仏なり此は経なり。経は師なり仏は弟子なり。涅槃経に云はく「諸仏の師とする所は所謂法なり。乃至是の故に諸仏恭敬供養す」と。法華経第七に云はく「若し復人ありて七宝を以て三千大千世界を満てゝ、仏及び大菩薩・辟支仏・阿羅漢を供養せん。是の人の得る所の功徳は、此の法華経の乃至一四句偈を受持する其の福の最も多きには如かず」と。夫劣れる仏を供養するに尚九十一劫に金色の身と為りぬ。勝れたる経を供養する施主、一生に仏の位に入らざらんや。但真言・禅宗・念仏者等の謗法の供養を除き去るべし。譬へば修羅を嵩重しながら帝釈を帰敬するが如きのみ。恐々謹言。 卯月十二日 日  蓮 花押 乗明聖人御返事 追伸、此の六月十五日に見参候ひしに、あはれ肝有る者かな、男なり男なりと見候ひしに、又見候はざらん事こそ悲しくは候へ。さは候へども釈迦仏法華経に身を入れ候ひしかば臨終に目出候けり。心は父君と一処に霊山浄土に参り、手を取り頭を合せてこそ悦ばれ候らめ。あはれなりあはれなり。