南条後家尼御前御返事 (上野殿御返事)
文永 十一年七月廿六日 五三歳
鵞目十連・かわのり二帖・しゃうかう二十束給び候ひ了んぬ。 かまくらにてかりそめの御事とこそをもひまいらせ候ひしに、をもひわすれさせ給はざりける事申すばかりなし。こうへのどのだにもをはせしかば、つねに申しうけ給はりなんとなげきをもひ候つるに、をんかたみに御みをわかくしてとゞめをかれけるか。すがたのたがわせ給はぬに、御心さえにられける事いうばかりなし。法華経にて仏にならせ給ひて候とうけ給はりて、御はかにまいりて候ひしなり。又この御心ざし申すばかりなし。今年のけかちにはじめたる山中に、木のもとにこのはうちしきたるやうなるすみか、をもひやらせ給へ。このほどよみ候御経の一分をことのへ廻向しまいらせ候。あわれ人はよき子はもつべかりけるものかなと、なみだかきあえずこそ候へ。妙荘厳王は二子にみちびかる。かの王は悪人なり。こうえのどのは善人なり。かれにはにるべくもなし。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。 七月二十六日 日 蓮 花押 御返事