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「すでに仏」と豪語する」”密教”の欺瞞

諸宗教破折2
 仏教とは文字通り「仏がー説いた教え」である。
ところが真言宗では、釈尊が言葉で説法された教え(顕教) は真実でなく、真の悟りは文字では表現でき、ず秘密(=密教)だという。
「要するに〈あなたは実はすでに仏なのだ、と。信じられないかもしれない。でも、これは内緒(内|証)の教えですよと。(中略)この教えは、仏教の究極の教えであり、お釈迦様が歴史上はじめ、て成し遂げたことに直結する教えでした」(今を一生きるための密教 六七ページ)
と述べる僧侶がいる。
 つまり 人は皆、生まれながらに仏である。ことが、真言宗における、究極にして秘密』の教えだそうだ。しかし、すでに仏なら、仏教や修行は、もう必要ないではないか。
`悟りを得た`と悦に入る愚
「すでに仏なのだ」の気に冒された真言宗では、既に仏という誤った自覚のもと、僧侶が銘々でり”をイメージしている。
「『即身成仏』は、(中略)ある瞬間も、気づきがたりされるような、そんな世界です。(同73ページ)
「古代インド思想の根本的な考えに「梵我一如』というのがあります。
(中略) 聖なる世界と俗なる世界(中略)ある人はそのふたつの世界は同なじものだと直感した。(中略) 梵我一如という
インドの精神的な伝統のなかで、お釈迦様なりにそれを体験されたのだと思います」(同六六ページ)
といった具合に、「これが成仏」と何の根拠もなく言い放つ。増上慢ここに極まれりである。
説法を懇請 した梵天
釈尊は菩提樹下で音りを開いた直後、貪欲に支配された衆生の姿を見て、悟りの内容を説くべきか躊躇された。 そこに梵天(バラモン教の最高神。「梵我一如」の「梵」)が現われ、
「どうか真理を説いてください」と何度もお願いした。
熱意に押されて釈尊は説法し、インド土着のバラモン教 (=ヒンドゥー教) など旧来の信仰を捨」、仏の言葉に依るべきこと)を教示されている。
護摩のまやかし
真言宗の代表的な修法の「護摩」は、祭壇の炉の火炎で供物を燃やし、天の神仏に供物を届けるという、バラモン教の儀式「ホーマ」を踏襲したものだ。
このまやかしの儀式を、
「バラモンよ。木片を焼いたら浄らかさが得られると考えるな」(ブッダ 悪魔との対話 一四七ページ)
と、釈尊はきっぱり否定されている。拝火バラモンの司祭としてホーマ(護摩)を行っていたカッサバ三兄弟が、自らの行いを深く反省し、千人の弟子と共に釈尊に帰依した話は有名だ。
 釈尊の誠めを無視して行う護摩は、単に信者を満足させる見せ物に過ぎない。
釈尊の本心、法華経
釈尊は説法を開始されて四十数年後、出世の本懐たる法華経を説かれ、
「如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於て宣示頭説す」(法華経513ページ)
と、仏(如来)の一切の悟りが法華経に説かれている。ことを示されている。
 我が宗祖日蓮大聖人は、その生涯を通して法華経の一字一句を寸分違わず身をもって読まれ、法華経において釈尊から法華弘通を託された地涌の菩薩の上首、上行菩薩とは御自身であることを証明された。今日、仏法の一切は、末法の御本仏宗祖日蓮大聖人が御所持あそばされ、その御魂魄は本門戒壇の大御本尊として総本山大石寺に厳然と在す。
 真言宗が究極の教えを秘密にしなければいけなかった理由――それは、信仰者が 自分は仏と信じてしまった瞬間から、密教の教えや修行が無用と化すからに他ならない。
 こんなまやかしの宗教から、一人でも多くの人を救わねばならない。
 なおインドでは、護摩の祈祷などを取り入れ半はヒンドゥー教化した仏教 (密教)の、”すでに仏”という教義が仇となり、自滅の道をたどったというのが仏教滅亡の顛末である。


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