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臨済宗(禅宗)を破す

諸宗教破折2
概論
臨済宗では、「大梵天王問仏決疑経」という経中に、釈尊が涅槃の時、華を拈って大衆に示したところ、摩訶迦葉(まかかしょう)一人がそれを理解し、破顔微笑しました。釈尊は、

「吾に正法眼蔵・涅槃の妙心・実相無相・微妙の法門有り文字を立てず教外に別伝し摩訶迦葉に付嘱するのみ」

と述べて摩訶迦葉に法を付嘱したとします。
そして、その法は摩訶迦葉から阿難(あなん)・商那和修(しょうなわしょう)と付嘱し、二十七代目の般若多羅、二十八代目の菩薩達磨(だるま)(~五三四頃)に伝えられたとするのです。
達磨は、南インド香至国王の第三王子であったとされ、梁(りょう)の武帝普通元年(五二〇)九月十九日、百歳を越えてから三年の歳月をかけてインドから中国に渡ったと伝えられます。そして、

「寧(むし)ろ提婆達多となて無間地獄には沈むとも、欝頭羅弗(うずらんばつ)とはならじ」(撰時抄 御書八三九㌻)

という言葉を残したことで有名な梁の初代皇帝・武帝(四六四~五四九、在位五〇二~五四九)に会いました。
梁の武帝は達磨に、「朕(われ)は多くの寺を建立し、多くの僧を出家させた。どれほどの功徳があるだろうか」と尋ねたところ、
達磨は「無功徳」と答え、さらに武帝が「聖諦第一義、つまり最高の真理とは何か」と尋ねた、すると達磨は「廓然(かくぜん)無聖、つまり、虚空のように何も無い」と答えたとされています。
その後、達磨は武帝に失望して、嵩山少林寺に籠(こ)もり、石壁に向かって九年間座禅をしたと伝えられます。
次に、中国禅宗の二祖は慧可(四八七~五九三)です。達磨は慧可に袈裟と「楞伽(りょうが)経」四巻を、
「如来極談の法要」(国訳史伝部)
であると言って付嘱したとされ、さらに慧可は三祖僧璨(そうきん)に、そして、次第に四祖道信、五祖弘忍(ぐにん)へと付嘱し、五祖弘忍の時には、弟子が五百人とも千人ともいわれたとしています。
弘忍は、法を付嘱する者を選ぶため、禅の悟りを詩に託して書くように命じたといいます。弟子の大通神秀(じんしゅう)は、
「身は是菩提樹 心は明鏡の台の如し 時々に勤めて払拭し 塵埃(じんあい)を惹(ひ)かしむこと勿れ」
という詩を作り、また慧能(六三八~七一三)は文字が読めないため、他の僧侶から字を教わりながら、
「菩提本と樹無し 明鏡もまた台に非ず 本来無一物 何処にか塵埃を惹かん」
という詩を作りました。弘忍は二人の詩を見て、慧能に法を付嘱したといいます。弘忍は、
「お前のような者が、法を付嘱されたと皆が聞いたら、お前を害するかも知れない」
と言って、学の無い慧能に南の方に逃げるように教え、それに従い、慧能は南方で禅宗を弘めたと伝えられています。
神秀の禅を北宗禅・漸悟(ぜんご)禅というのに対し、慧能の禅を南宗禅・頓悟(たんご)禅と言います。現在ある禅宗は、この慧能の南宗禅・頓悟禅の流れを汲むもので、後に分派して五家七宗となりました。
慧能の弟子に青原行思(ぎょうし)・南岳懐譲(えじょう)等がおり、青原行思の流れから曹洞宗・雲門宗・法眼宗ができ、南岳懐譲の流れから潙仰(いぎょう)宗・臨済宗ができ、臨済宗の流れから黄竜(おうりゅう)派・楊岐(ようぎ)派ができました。これを五家七宗といいます。
日本の臨済宗は、栄西の建仁寺派が黄竜派に当たり、その他の、天龍寺派・妙心派・相国寺派・大徳寺派・南禅寺派・東福寺派・建長寺派・円覚寺派・方広寺派・向嶽寺派・国泰寺派・永源寺派・仏通寺派は、皆、楊岐派に当たります。一口に臨済宗といっても、日本には、この十四派があり、第二次大戦中のみ一宗として合同していただけで、十四派の行動はバラバラです。

本 尊
一応は、釈迦牟尼(むに)仏。但し、教化の方便として本尊は、衆生縁によるもので、一定していません。
釈尊でも、大日如来でも、阿弥陀如来でも、観世音菩薩でも、文殊菩薩でも地蔵菩薩でも構わないとします。

教 義
臨済宗の教義は、不立文字(ふりゅうもんじ)・教外別伝・以心伝心・直指人心(じきしにんしん)・見性成仏・即心即仏等があります。

① 不立文字・教外別伝・以心伝心
臨済宗を含め禅宗では、教典は「月を指す指」に過ぎない。悟りの月を見たならば、指(教典)は不要であると説きます。また、仏の心は、文字や教典によるものではなく、心から心へ伝わるものであると説きます。
栄西は「興禅護国論」に、
「禅宗は金剛般若経、維摩(ゆいま)経を所依と為し」(国訳諸宗部)
といい、
「与へて之を論ぜば一大蔵教皆是所依なり、奪って之を論ぜば一言の所依も無きなり」(国訳諸宗部)
ともいっています。結局のところ、禅宗では、教典は「不立文字」で一切不要なのか、「楞伽経」を所依とするのか、「金剛般若経」と「維摩経」を所依とするのか、一切経を所依とするのか、自分たちでもよく解っていないのです。

② 直指人心・見性成仏・是心即仏・即心是仏
また、私たちの心の中を極め、仏心を自覚することによって成仏することができると説きます。
「達磨大師血脈論」に、
「心は即ち是れ仏、仏即ち是れ心。心の外に仏無く、仏の外に心無し」(卍続)
とあり、禅宗では、凡夫の心が仏である。我々凡夫が即仏であるといいます。

③ 師嗣相承(ししそうじょう)
禅宗では、師匠から弟子に法を付嘱します。これを「師嗣相承」といい、これを宗旨の根本とします。師嗣相承は一対一で行われ、専門道場で行われます。稀に、道場の外で密かに行われる場合もあります。

④ 公案・看話(かんな)禅
日本の禅宗の、もう一つの勢力の曹洞宗が、ただ無念無想になって座禅することを黙照禅と言うのに対し、臨済宗では、師から公案を与えられ、それを工夫することを目的として座禅をします。この臨済宗の座禅を看話禅と言います。

破 折

画像

大聖人様は「選時抄」の中で厳しく禅宗を破折された
あなたは知っていますか?

①釈尊から迦葉尊者への付嘱は小乗経
「大梵天王問仏決疑経」は偽経
釈尊が迦葉尊者に法を付嘱されたことは事実ですが、「大梵天王問仏決疑経」は偽経であり、釈尊が涅槃のとき、迦葉尊者はその場におりませんでした。ゆえに「大梵天王問仏決疑経」のような華を拈って迦葉尊者が一人笑みを浮かべたということは、全く根拠のない作り話、嘘なのです。
大聖人様も『蓮盛抄』に
「何れの聖人、何れの人師の代に渡りしぞや、跡形(あとかた)無きなり。此の文は上古の録に載せず、中頃より之を載す。此の事禅宗の根源なり、尤(もっと)も古録に載すべし、知んぬ偽文(ぎもん)なり」(御書二六㌻)
と偽経であることを断言されています。つまり、禅宗は、その根源から嘘偽りで始まっているのです。

②禅宗の師嗣相承も誤り
釈尊よりの付法は、迦葉尊者・阿難尊者と次第して、第二十四祖師子尊者に至っています。しかし、禅宗では、その後、さらに婆舎斯多(ばしゃした)・不如蜜多・般若多羅・菩提達磨と付嘱したとしているのです。
ところがこれも何の根拠もない後世の偽説です。

③梁の武帝と達磨との問答も無し
菩薩達磨と梁の武帝が会って、問答したことも作り話で、全くそのような記録は残っていません。

④六祖慧能への付法も作り話
中国禅宗五祖の弘忍の後継者争いの、神秀と慧能との詩の話も、後世の偽作です。
慧能に関する話は、後世作られたと思われる作り話だらけといっても過言ではありません。禅宗では、どうしても、達磨と慧能とを美化しなければならないようです。

⑤禅宗は中国で作られた邪宗教
つまり、禅宗そのものが、インドにあったものではなく、中国において、慧能の門下が勝手に作った邪宗教ということなのです。
それは、取りも直さず、釈尊よりの付嘱がないということの証明であり、単なる凡夫から凡夫への相承ということにほかなりません。
禅宗では、自らを「仏心宗」と詐称(さしょう)していますが、その実は「凡夫心宗」であり、謂己均仏(いこきんぶつ)の「増上慢宗」と言えます。
大聖人様が『秋元御書』に、
「禅宗は天魔(てんま)の所為(しょい)」(御書一四四八㌻)
等と喝破される所以です。

⑥即心是仏は未得謂得 未證謂證の増上慢の言
凡夫の心がそのまま仏であると言い切る禅宗は、現在の創価学会の主張と全く同じ増上慢にほかなりません。
大聖人様は『蓮盛抄』に、
「心は是第一の怨(あだ)なり。此の怨最も悪と為す。此の怨能く人を縛(しば)り、送って閻羅(えんら)の処に到る。汝独り地獄に焼かれて、悪業の為に養う所の妻子兄弟等親属も救ふこと能はじ(中略)願ひて心の師と作るとも、心を師とせざれ」
(御書27頁)
の御経文を引かれて、愚痴無慙(ぐちむざん)の凡夫の心を仏だと言い切る禅宗を
「未得謂得。未證謂證」(開結一六五㌻)
「未だ得ざるを得たりと謂(おもい)い、未だ證せざるを證せりと謂えり」の増上慢であることを断言されております。

⑦公案を笑う
臨済宗が座禅の時に工夫する公案の数々は、とても仏教と言えないようなものがたくさんあります。
一例を挙げると、倶胝(ぐてい)和尚は天竜和尚に法を教えてくれるよう頼んだところ、天竜は指を一本立てました。それで倶胝は悟りを開いたというのです。以来、人が「仏とは」と質問しても、「衆生とは」「仏とは」「凡夫とは」と質問しても、倶胝は何も言わず、指一本を立てて示したといいます。
ある日、倶胝の留守の時、来客があって、倶胝に仕える小僧に「あなたの師匠は、普段どのような説法をしているのか」と尋ねたところ、その小僧は指一本立てました。後で倶胝がそれを聞いて、小僧の指を刀で切ってしまったのです。泣いている小僧に倶胝は、指一本立てて示したところ、その小僧は悟りを得たなどというのです。
禅宗とはこの程度の欺瞞(ぎまん)に満ちた邪宗教なのです。

(大白法第四二七号 平成七年三月一日)

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