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正しい終活を

諸宗教破折2
大白法令和2年6月16日号より
終活とは
 自らの人生の終わりにけた活動終活。エンディーングノートや生前葬、といった言葉と共に目を集め、今や関連業界が一堂に会しての見本市が開かれるほどである。
世に言う終店に含まれる。事柄はというと、葬儀・墓・遺言の準備や、財産相続、身の回りの生前整理など多岐にわたる。

子には負担をかけたくない
 言葉が一般化するにつれ、て、この頃は ”最期を考えることで、残りの時間をよ
りよく生きる。”という前向きなとらえ方がされるようになった。
 その一方で、親の介護や葬儀で疲弊した経験から、子や孫世代に迷惑をかけたくない”現実”もあるようだ。
 ある調査結果によれば、自分の葬儀は「直葬(通夜・告別式を行わず火葬のみ)でよい」とする人が過半数と、葬儀の規模を小さくしようと考える人は少なくなかったそうだ。
 中には、子世帯に負担をかけたくないと、地方の先祖代々の墓を自分の代で近くに移したり、納骨堂に乗り換えて五十年分の納骨料を先払いする人も。今も昔も、子を思う親心は変わらないことが見て取れる。

失われる 孝養
親心が変わらないのは、判った。しからば、子の親を思っ孝養の心はどうだろう。
日蓮大聖人は、
「二には父母の恩、六道に生を受くるに必ず父母あり」(御書 二六七)
「一切の善根の中に、孝養父母は第一にて候」(同一三六七)
と仰せになられている。
 出産は痛みを伴い、赤ん坊の時は昼夜かまわず世話が必要である。その後も「はいはいができた」「たいへん! 熱を出した」と何かにつけ大事に育てて見守ってくれた父母を、立派に送り、永く供養していくことは、子としてできる最高の孝養である。
 昨今は菩提寺との繋がりも負担と関係を終わりにする世帯が多い。その結果、僧侶を避け無宗教の葬儀も増えつつある。
 もとより、
「法華経にあらざれば謗法」(同 1574ページ)
で、堕落した謗法寺院の葬式仏教的姿に辟易したり、葬儀の意義に疑問を感ずるのは想像に難くない。
 今や、残される人々が葬儀の重要性や孝養の意義を判らなくなっているのだ。
さらには、親を供養するのを拒む子もいるという。
ある解剖学者は、
「人間一人ひとりに対する思いが軽くなったのだと思う。自分の代わりが
いくらでもいる。 人の価値が減り、死が重くない社会になった」
と警鐘を鳴らしている。
 故人を悼む葬儀の場が失われることは、人々から孝養の心が消えゆくことでもある。

今こそ正しい終活を!
大聖人は、
「現世には跡をつくべき孝子なり。後生には又導かれて仏にならせ給ふ」(御書635ページ)」
と仰せになっている。子供は家内を繁ださせる存在というだけでなく、亡くなった時に弔ってくれる大切な存在でもある。
「末代の凡夫此の詩聞かば、唯我一人のみ成仏するに非ず、父母も又即身成仏せん。此第一の孝養なり」(同 1209ページ)
と仰せの通り、追善供養は、亡くなった方に即身成仏の大功徳を贈るだけでなく、供養した人にも広大無辺の福徳を積ませる行い。
 それどころか、
「先づ臨終の事を習って、後に他事を習ふべし」(同1482ページ)
と、最初に心得るべきであると教えられる。
 信仰している我々として、死期を感してから慌てて伝えようとしても、一朝一ク
では間に合わない。子係が小さい頃から日蓮正宗の教えを聞かせることが大切
だ。 生命が三世に亘って続くことも、孝養の大切さも、正しく教えなければ正しく
伝わらないのだから。
 終活とは、残された者を思って行う”親心”である。 我が子を思う親だからこそ、 ”法灯相続”をして正しい信仰を承継し、親子で臨終の準備をしていくことが、最高の終活である。


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