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法華経について⑮

法華経について(全34)
15大白法 平成27年2月1日刊(第902号)より転載


『見宝塔品第十一』
 前回の『法師品第十』から、迹門の流通分に入りました。今回学ぶ『見宝塔品第十一』では、引き続き弘経の功徳深重が明かされ、釈尊滅後の法華経弘通を勧められています。
 品題の「見」は「顕われる」との意義も具えており、多宝如来の宝塔が大地より顕われ、法華経会座の大衆が空中に止まった宝塔を仰ぎ見る故に『見宝塔品』と称されるのです。
 

 宝塔の涌現
 釈尊が『法師品』を説き終わると突然、七宝(金・銀・瑠璃・硨磲・碼碯・真珠・玫瑰)で飾られた、高さ五百由旬(一由旬は行軍・牛車が一日で進む距離とも言われる)、縦横二百五十由旬もの大宝塔が地より涌現して空中に止まり、中から、
「善哉善哉、釈迦牟尼世尊、能く平等大慧・教菩薩法・仏所護念の妙法華経を以て、大衆の為に説きたもう。是の如し、是の如し。釈迦牟尼世尊、所説の如きは、皆是れ真実なり」(法華経336頁)
との、大音声が発せられました。宝塔の中には多宝如来という仏様がおられ、釈尊の説かれた法華経が真実であると証明されたのです。
 これを聞いて、一座の大衆は喜ぶと共に、未だ見聞きしたことがない出来事に驚き疑念を抱きました。大楽説菩薩という方が代表して、宝塔涌出と大音声について質問したところ、釈尊は、
「この宝塔の中には多宝如来という仏様がいらっしゃる。遠い昔、東方の宝浄という国で菩薩道を行じていたとき、自らの滅後に法華経が説かれる際には、宝塔と共に会座に出現し、説法が真実であることを証明しようとの誓願を立てられたのです(趣意)」(同337頁)
と、告げられました。

 分身諸仏の来集
 大楽説菩薩が歓喜し、多宝如来の御姿を拝見したいと申し上げると、釈尊は重ねて多宝如来の深い願いを明かされ、大楽説菩薩の願いに従い十方分身の諸仏を集めて宝塔を開くために、眉間の白毫から光を放って東方から順に十方の国土を照らしました。光に照らされた十方世界の仏様方は、釈尊のもとで多宝如来の宝塔を供養するために娑婆世界に集まってきました。すると、娑婆世界は、瑠璃の大地に黄金の道が走り、山河の別なく平らかな浄土へと変じました。分身の諸仏は、それぞれ一人の菩薩を侍者として娑婆世界に来ると、宝樹の下にある師子座(仏様の説法の座)に座禅せられました。
 次々と来集する諸仏によって三千大千世界は満ちましたが座は足りず、釈尊はさらに八方の二百万億那由他もの国土を浄土に変じたのです。しかし、それでもなお座が足りず、再度八方の二百万億那由他の国土を変じて、法華経の聴衆以外の衆生を他の国土に移し、通じて一つの仏国土となりました。このように三度国土を変じて浄土となした相を「三変土田」と言い、穢土即浄土・娑婆即寂光が顕わされたのです。
 こうして来集した諸仏が各々侍者の菩薩を遣わして釈尊に宝華を供養し、宝塔を開いて戴くように伝えると、諸仏の来集を見、その願いを聞いた釈尊は座を起ち空中に登り、一座の四衆が起立合掌する中、右の指をもって宝塔の扉を開けました。中を拝すると、多宝如来は師子座に座し、完全な肉体を具える様は禅定に入られているようにも見えました。すると、多宝如来は座の半分を開けて釈尊を宝塔の中に招き入れ、直ちに釈尊はその上座である右側の半座に座したので、二人の仏様が並んで座る形(二仏並座)となったのです。
 さらに釈尊は、四衆の念願に従って神通力をもって人々を空中に昇らせ、法華経の会座を霊鷲山から虚空に移し、『嘱累品第二十二』に至るまで行われる「虚空会」の説法が始められました。

 三箇の勅宣
 虚空会の説法の初めに、釈尊は大音声をもって、
「誰か能く此の娑婆国土に於て、広く妙法華経を説かん。今正しく是れ時なり。如来久しからずして、当に涅槃に入るべし。仏此の妙法華経を以て付属して在ること有らしめんと欲す」(法華経347頁)
と大衆に告げられ、その意義を詳らかにするために続けて偈頌を説かれました。
 この妙法弘通を勧める呼びかけは三回にわたって行われたので、「三箇の勅宣」あるいは「三箇の鳳詔」と言います。第一が先に挙げた経文で、妙法蓮華経を付嘱して正しく滅後に伝えるとの「付嘱有在の勅宣」、偈文に入り第二は妙法護持の誓願を発して久しく世に住せしめる「令法久住の鳳詔」、そして品末に及んで第三に滅後に法華経を持つことが諸経と比べて難事であることを「六難九易の諌勅」を説いて示され、
「法華経は受持し難いけれども少しの間でも受持する者がいれば、一切諸仏が歓喜し讃歎することでありましょう(趣意)」(同354頁)
と、滅後流通の誓願を勧められています。

 宝塔の意義
 中国の天台大師は、
「塔出に両と為す。一に音声を発して以て前を証し、塔を開して以て後を起す」(法華文句記会本―下 六頁)
と、宝塔涌現について証前・起後の義を示されました。
 証前とは、釈尊による法譬因縁の三周の説法、すなわち前の法華経迹門正宗八品の開三顕一・二乗作仏の説法が皆真実であることを多宝如来が大音声をもって証明なされたことです。また起後とは、宝塔涌現を契機とし、『従地涌出品第十五』の本化地涌の菩薩出現から『如来寿量品第十六』に釈尊の久遠本地の開顕を説かれるに至る遠序として、後の本門を起こす意義が存することを言います。
 しかし、これは像法時代における教相上の解釈です。総本山第二十六世日寛上人は、日蓮大聖人の御法門の上から、
「熟脱の迹本二門を証するを通じて証前迹門と名づけ、文底下種の要法を引き起こすを、正しく起後本門と名づくるなり」(御書文段 一二三頁)
と、迹門・本門共に証前迹門となり、寿量文底下種の要法を起こすことが起後本門となると御示しになられています。
 宗祖日蓮大聖人は、
「五陰和合するを以て宝塔と云ふなり。此の五陰和合とは妙法の五字なり」(御書1752頁)
と、また、
「妙法蓮華経より外に宝塔なきなり。法華経の題目宝塔なり、宝塔又南無妙法蓮華経なり」(同 七九二頁)
とも御教示されています。文上において、直ちに宝塔が妙法の五字七字であると拝することはできませんが、文底の義より見れば、宝塔とは地水火風空の五大にして、久遠元初の御本仏が所持される本因下種の妙法当体の意義を拝することができるのです。
 御法主日如上人猊下は、
「妙法蓮華経というすばらしい仏性を持っていても、正しい縁に値わなければ、宝塔が宝塔としての、妙法蓮華経が妙法蓮華経として用きをしないのだから、なんとしても縁をさせるということが大事であります。そこにまた、折伏の大事が深く存しているのであります」(大白法 七九八号)
と仰せです。この御指南のもと折伏行に励み、第二祖日興上人御生誕七百七十年の日には、御宝前において法華講員五十パーセント増達成を御報告申し上げ、さらに法華講員八十万人体勢構築に向けて出陣いたしましょう。

 六難九易 (法華経351~353頁より)
 〔六難〕
 ①仏の滅後の悪世末法において、法華経を説くことは困難なことである
 ②仏の滅後に、自ら法華経を書写し他人にも書写させることは困難なことである
 ③仏の滅後の悪世末法において、法華経を読誦することは困難なことである
 ④仏の滅後に、法華経を一人のためにも説くことは困難なことである
 ⑤仏の滅後に、法華経を聴聞し学ぶことは困難なことである
 ⑥仏の滅後に、法華経を受持信行することは困難なことである

 〔九易〕
 ①恒河沙ほどもある法華経以外の諸経を説いたとしても困難なことではない
 ②須弥山を手に取り、他土に投げつけたとしても困難なことではない
 ③足の指を用いて世界を動かし、他土に蹴り上げたとしても困難なことではない
 ④有頂天に立ち、無量の諸経を説いたとしても困難なことではない
 ⑤人が虚空を手に取り、飛び回ったとしても困難なことではない
 ⑥足の爪の上に大地を載せて、梵天まで昇ったとしても困難なことではない
 ⑦世界崩壊の時に起こるとされる大火の中に、乾いた草を背負って入り焼けなかったとしても困難なことではない
 ⑧八万四千の法門と十二部経をすべて説き、聴衆に六神通を体得させたとしても困難なことではない
 ⑨恒河沙ほどの衆生を阿羅漢の位に導いたとしても困難なことではない

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