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法華経について③

法華経について(全34)
3大白法 平成25年9月1日刊(第868号)より転載

 前回までは、釈尊の説かれた教えの中で、法華経が最第一の教えであることを「五時八教」を中心として学んできました。
 今回は、法華経の構成について学んでいきたいと思います。

 二処三会
 仏様が説法を行う場所のことを「会座」といい、特に説所を「処」、法会(会合)を「会」と呼んで、説法の場所を表現します。
 前々回の当コーナーでは「五時と法華経」について学ぶための補助として、インド・中国・日本の略年表を掲載しましたが、年表中には、
「摩竭陀国の霊鷲山と虚空会の二処三会」(大白法 八六二号)
と、法華経の会座にについて説明がありました。
 そもそも釈尊は七十二歳の時、法華経『序品第一』に、
「是の如く我聞きき。一時、仏、王舎城耆闍崛山の中に住したまい、大比丘衆、万二千人と倶なりき」(法華経 五五頁)
とあるように、摩竭陀国の首都・王舎城の艮(北東の方角)に聳える耆闍崛山で法華経を説き始めました。耆闍崛山とは梵語の音写で「霊鷲山」のことを言い、このことから会座を「霊山会」と称します。
 しかし説法が『見宝塔品第十一』に至ると、空中に多宝如来の七宝の大塔が涌現し、釈尊は神通力によって会座を霊鷲山から虚空に移動させ、塔中に多宝如来と並座して「虚空会」の説法が開始されます。
 その後『嘱累品第二十二』において、釈尊が塔中の座より起ち総付嘱を終えられると、宝塔は閉ざされて説法の会座は再び霊鷲山へ戻りました。
 このように、霊鷲山と虚空中の二カ所において三度の法会が行われたことから、法華経の会座を「二処三会」と言うのです。
 

 本迹二門
 法華経は、説所を移しながら八年にわたって説かれました。
 その全体は「一部八巻二十八品」からなります。開経である無量義経と結経の観普賢菩薩行法経とを加えて、「法華経十巻」とも称されます。
 法華経の構成を学ぶ上で欠かせないものとして、「本門」と「迹門」の位置付けがあります。
 「本」とは本地(本来の境地)・本体、「迹」とは本地・本体に対する垂迹(影)のことで、それぞれ仏・菩薩の本地と化身を示現する様を指します。また、それに続く「門」とは、真実の教えに入るとの意味を有しています。
 『方便品第二』を含む『序品第一』から『安楽行品第十四』までの前半十四品を「迹門」と言い、釈尊は諸法実相・二乗作仏を示して声聞等の弟子たちの未来成仏の保証を明かしました。
 そして『従地涌出品第十五』から『普賢菩薩勧発品第二十八』までの後半十四品が「本門」であり、『如来寿量品第十六』で釈尊の本地(本因・本果・本国土)・久遠実成を明らかにして在世・結縁の衆生を済度され、『如来神力品第二十一』において法華経の肝要を上行菩薩に付嘱して滅後末法の弘教を託されています。

 序正流通
 一部の教典をその内容から、「序文」・「正宗分」・「流通分」の三段に立て分けて解釈する方法があり、多くの経典に適用されます。
 序分とは、正意とする教法を説くための準備段階に当たり、その教法を説くに至った由来や因縁を述べる序論に該当する部分。
 正宗分とは、仏の本意とする中心・中核をなす教法が説かれている本論となる部分。
 そして流通分とは、正宗分で説かれた教法によって衆生を利益するために、教法を広く流布する方法等が説示される部分のことを言います。
 短い経典ですと、正宗分のみで序分・流通分がないものも存在しますが、法華経には三段の立て分けが明らかであり、会座や対告衆、説相を理解することができます。
 一つ目は、『序品第一』を序分、『方便品第二』より『分別功徳品第十七』の前半品までを正宗分、『分別功徳品第十七』の後半品より『普賢菩薩勧発品第二十八』までを流通分とする「一経三段」と呼ばれる立て分けで、法華経一部を概括的に理解するための立て分けです。
 二つ目として「二門六段」と呼ばれる立て分けがあり、これは法華経の迹門と本門それぞれに序分・正宗分・流通分を立てます。
 まず迹門の三段は、『序品第一』を序分、『方便品第二』より『授学無学人記品第九』までを正宗分、『法師品第十』より『安楽行品第十四』までを流通分に配当して教説の功徳・弘通の方法を説示します。
 次に本門の三段は、『従地涌出品第十五』の前半品を序分、『従地涌出品第十五』の後半品より『分別功徳品第十七』の前半品までを正宗分、『分別功徳品第十七』の後半品より『普賢菩薩勧発品第二十八』までを流通分に配当し、久遠実成の教説の功徳や諸天善神による行者守護の誓願などを示すものです。

 五重三段
 先の法華経における序正流通の三段は一般に法華経を解釈する上で用いられますが、日蓮大聖人は『観心本尊抄』において、「五重三段」の教判を示されています。
 これは釈尊の一代聖教を従浅至深して五重に括り、それぞれ序分・正宗分・流通分の三段に分けた教判で、末法の衆生が尊崇すべき本尊を明示するために立てられたものであり、その名目を挙げれば、「一代一経三段」・「法華経一経三段(法華経十巻三段)」・「迹門熟益三段」・「本門脱益三段」・「文底下種三段」の五つとなります。
 法華経を一代諸経の中心として示されたことから前の二つを「一往・総の三段」と言い、また後の三つは、それぞれ分々の本尊等が示され、末法の衆生が尊崇すべき本尊が明かされていくことから「再往・別の三段」と言います。
 特に法華経一経三段・迹門熟益三段・本門脱益三段は、一見すると一経三段・二門六段の配当と類似した印象を受けるかもしれませんが、三段に分(わ)かつ目的の相違を弁(わきま)えることが大切です。
 この五重三段によって、最終的に種脱の法体の異なりを判じるところ、末法弘通の観心の本尊の実義は、久遠元初自受用報身如来の再誕たる日蓮大聖人様が御図顕建立あそばされた人法一箇・独一本門の戒壇の大御本尊様に極まることを知るべきです。
 御法主日如上人猊下は、
「すべての根本は大聖人様にあるということなのです。御書を拝読するにしても、大聖人様が末法の御本仏であるということを頭に入れて、その立場から法華経や一代諸経を読めば、その意がよく解るのです」(大白法 七五五号)
と、仰(おお)せになられています。
 御本尊様への確信を深め実践行動のための教学を身につけるためにも、師弟相対の正しい筋道に則って信行学を錬磨していきましょう。

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