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法華経について㉚

法華経について(全34)
30大白法 平成28年9月1日刊(第940号)より転載

『観世音菩薩普門品第二十五』
 今回は、『観世音菩薩普門品第二十五』について学んでいきます。
 当品は、前回学んだ『妙音菩薩品第二十四』と同じく、付嘱流通中の化他流通に配当され、ここでは観世音菩薩が三昧乗乗をもって衆生を救済することが説かれています。
 題号は、観世音菩薩の衆生済度の姿として、「普門示現」が説かれることに由来し、あらゆる衆生に対して救済の門を開くことを「普門」と称します。また、仏法の中道実相の理が普遍であるとの真意も存しており、これを天台大師は『法華文句』に十の普門として明かされています。
 観世音菩薩は、『観無量寿経』では阿弥陀仏の脇士として説かれることからも西方、妙音菩薩は、浄光荘厳世界の浄華宿王智如来の弟子ですので東方を住処とします。この東西二方をもって十方法界を摂し、迹化の菩薩方も本来は妙法の化導に値遇し、ことごとく仏様の深遠な教えの内にあるということが示されています。
 なお当品は、『観音品』『普門品』とも称されますが、世間一般に『観音経』として尊ばれているのも、この『観世音菩薩普門品』のことです。 

 普門示現
 当品の冒頭で無尽意菩薩は、釈尊に対して観世音菩薩の名号の因縁についてた尋ね、釈尊は次のように答えられます。
「無量百千万億もの衆生が様々な苦しみを受けているとき、この観世音菩薩の名を聞いて一心にその名を称えれば、観世音菩薩は直ちにその声を聞き取り、衆生を苦悩から解放させるであろう(趣意)」(法華経 五五七㌻)
 また続けて、観世音菩薩を恭敬することで得られる種々の不思議な利益が示されます。
 まず、七難(災難・水難・羅刹難・王難・鬼難・枷鎖難・怨賊難)から、口業である称名の功徳によって救われること。次に、貪・瞋・癡の三毒を、意業の常念の功徳によって除くこと。そして、女人の願のままに身業の礼拝の功徳により好き子供を得られること。
 以上の身口意三業の教化の用きを説かれて、聴聞衆の信を増長なされたのです。
 そして、六十二億恒河沙もの菩薩の名号を受持・供養した功徳と、観世音菩薩の名号を一時でも受持・礼拝供養した福徳は、全く同じで異なることはないと説かれます。
 すると無尽意菩薩は、観世音菩薩が遊化(娑婆世界を巡って衆生を化導すること)する相はいかなるものであるかを重ねて問います。その問いに対して釈尊は、観世音菩薩が衆生の機に応じて種々の身を現わし、法華経を説いて衆生を導くという「普門示現」を明かされました。
 この種々の身を列挙すれば、仏身、辟支仏(縁覚)身、声聞身、梵王身、帝釈身、自在天身、大自在天身、天大将軍身、毘沙門天王身、小王身、長者身、居士身、宰官身、婆羅門身、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷身(四衆身)、長者婦女身、居士婦女身、宰官婦女身、婆羅門婦女身、童男・童女身、天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽(八部衆身)、執金剛神身の三十三身となります。
 妙音菩薩の三十四身と比べると一身少ないように思えますが、内容に大きな異なりはなく、一人ひとりに適するような各身相を現じて法を説かれるのです。 

 無尽意菩薩の供養
 このように観世音菩薩の普門示現を明かされた釈尊は、無尽意菩薩に観世音菩薩への供養を勧め、さらに、
「この観世音菩薩は、衆生が怖るべき危急の難に遭遇したとき、無畏(恐れのない心)を施す故に、この娑婆世界では施無畏者と称する(趣意)」(同 五六五㌻)
と仰せられました。すると無尽意菩薩は、首にかけていた高価な宝珠の瓔珞(装身具の一種)をはずし、観世音菩薩に捧げました。
 しかし、観世音菩薩は無尽意菩薩の重ねての願いにもかかわらず、なかなか受け取ろうとしなかったため、釈尊が受け取るように促されました。そこで、観世音菩薩は即座に瓔珞を受け取ると、身につけることなく二つに分け、一つは釈尊に、もう一つは多宝仏塔に奉りました。
 この後、無尽意菩薩の重ねての問いと釈尊の答え、そして観世音菩薩の徳を讃える様が偈頌をもって再び説かれ、最後に、持地菩薩が観世音菩薩の自在の業と、普門示現の功徳を讃歎されました。
 そして、会座の八万四千の衆生が、無等等、すなわち妙法に対する菩提心を等しく起こし、当品の説法は終了します。

 功徳の元を知る
 初めに触れたように、観世音菩薩は、智慧を顕わす勢至菩薩と共に慈悲を顕わす菩薩として、『観無量寿経』では阿弥陀仏の脇士とされています。要するに、本来は他方の菩薩であり、釈尊の行化を助顕するために娑婆世界に遊化したのです。
 しかし、本門『如来寿量品第十六』に至り釈尊の久遠実成が顕わされて後は、他方の菩薩方も押し並べて釈尊の弟子となり、その一切の力用も法華経に摂まりますから、観世音菩薩もその例外ではありません。
 そもそも当品の中で、「観世音菩薩が無尽意菩薩からの供養を直ちに釈尊と多宝塔に奉る」という姿が顕わされています。このことについて、前御法主日顕上人猊下が、
「自分(観世音菩薩)は今このように供養を受けたけれども、これも自分の得た功徳の元であるところの法華経に供養すべきである、また法華経を説かれた釈尊に供養すべきである(中略)観世音菩薩だけが尊いのではなく、その元に妙法蓮華経の功徳があるということを知らねばなりません」(大白法 五八四号)
と仰せのように、妙法蓮華経の法体にこそ真の功徳が存することは明らかです。三十三身の普門示現という妙用も、妙法受持によって顕われてくるのです。
 ましてや、今の世は、在世・正法時代・像法時代を過ぎた悪世末法の時代です。
 日蓮大聖人は『高橋入道殿御返事』に、
「末法に入りなば迦葉・阿難等、文殊・弥勒菩薩等、薬王・観音等のゆづられしところの小乗経・大乗経並びに法華経は、文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず。所謂病は重し薬はあさし。其の時上行菩薩出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生にさづくべし」(御書 八八七㌻)
と仰せられ、また『御義口伝』には、
「今末法に入って日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る事、観音の利益より天地雲泥せり(中略)観音既に法華経を頂受せり。然れば此の経の持者は観世音の利益より勝れたり」(同 一七八九㌻)
と、明確に御教示あそばされています。
 日本でも古くから観音信仰が行われてきましたが、法華経に説かれているからと言って観世音菩薩の名号を称えても、それは末法の正行とはならず、かえって仏様の教えに背くことになります。むしろ、釈尊在世に称える観世音菩薩の名号にすら様々な功徳があるのですから、その根本の久遠元初即末法の御本仏が唱え出された本因下種の妙法蓮華経を、末法当今に唱える功徳がいかに広大無辺であるかは、計り知ることができません。
 御法主日如上人猊下は、
「その時々によって弘めるべき論師・人師、そしてまた弘められるべき法というものが、仏法では決まっている(中略)末法はまさに大聖人様の仏法、いわゆる外用上行菩薩、内証久遠元初の御本仏が御出現せられて、妙法蓮華経という薬を一切衆生に授ける。一切衆生はその薬をいただいて成仏をしていくということが、明らかに説かれているのであります」(大白法 七九三号)
と御指南あそばされています。
 私たちは、「時」を正しく知り、本門戒壇の大御本尊を信受し妙法唱題に励むとき、真の良薬・功徳が戴けることに確信を持たなければなりま
 末法という時を違えて苦しむ多くの人々を救うためにも、怠りなく自行化他の唱題・折伏を実践してまいりましょう。

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