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自行化他の功徳で御命題達成を

布教講演
全国布教師 弾正寺住職  中村収道御尊師 (平成30年4月16日 大白法)

本日は総本山において御霊宝虫払大 法会が、御法主日如上人猊下大導師のもと、 厳粛かつ盛に奉修なされましたこと心よりお祝い申し上げます。
また、全国各地よりご参集の法華講員の皆様、海外ご信徒の皆様には、支部を代表しこの大法会にご参詣なされ、大きな功徳を積まれまして、まことにおめでとうございます。これより、御報恩のため「自行化他の功徳で御命題達成を」と題しまして、少々お話をさせていただきます。
御法主日如上人猊下は、「法華講員八十万人体勢の構築は、邪義邪宗の謗法の害毒によって塗炭の苦しみに喘ぐ多くの人々を救い、混迷を極めている末法今時の世情を争化し、仏国土を実現するため、宗門の総力を結集して、なんとしてでも達成しなければならない、最も大事な目標であります」(大白法 973号)
と仰せられております
今宗門は平成三十三年の御命題達成に向かって、僧俗一致、異体同心して勇躍前進しております本年は「行動の年」であります。
人ひとりが日々、勤行。唱題を励行して、さらに「折伏実践」と「人材育成」のために、総力を結集して行動していかなければなりません。

絶大なる仏力、法力と自行化他の題目
そこでまず総本山第26世日寛上人が示された「四方成就の信心」の上から「自行化他の功徳」について拝したいと存じます。
日寛上人は観心の修行について、
「凡そ当家の観心は是れ自力の観心に非ず。方に本尊の徳用に由って即ち観心の義を成ず」(御書文段 二)
と教示されています。
一般に法華経の観心とは「自己の心をつぶさに観察すること」によって一念三千の真理を悟ることです
ただし末法における大聖人様の下種仏法は、単なる自力による観心の修行ではありません。御本尊様の徳用による 「受持即観心」の修行であります。
すなわち大聖人様が『観心本尊抄』「釈尊の因行果徳の二法は妙法運華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与へたまふ」(御書 六五三)
と仰せのように、大御本尊様を受持信行すれば、凡夫の己心に仏の因果のあら ゆる功徳が具わるのであります。
また日寛上人は、御本尊の「仏力・法力」と凡夫の「信力・行力」の四力が相俟って功徳が生ずることを、蓮華の誓えをもって次のように説かれています。
「華は信力の如し。蓮は行力の如し。水は法力の如し。日は仏力の如し。当 こに知るべし、蓮華は水に依って生じ、我等が信力、行力は必ず法力に依って生ずるなり。(中略)蓮華の若し日光を得れば則ち必ず能く栄え敷くが如く、我等仏力を蒙れば則ち信行成就して、速やかに菩提を得るなり。故に末法今時の幼児は唯仏力・法力に依って能く観心を成ず。何ぞ自力思惟の観察を借らんや」(御書文段 二二八ページ)
この御教示に仰せのように、私共の信心修行は、あくまでも御本尊の「仏力・法力」が根本となる「四力成就」の功徳を顕わす信行であり、けっして凡夫による単なる偏向した自力観心の修行ではないということを知らなければなりません。
前御法主日顕上人猊下は、
「御本尊の仏力・法力と冥合する勤行唱題が絶え間なく厳然と修される時、不思議な仏法の功徳が皆様方の全身にみなぎってまいります。すなわち、因果倶時の不恩議の一法たる妙法本尊の当体がそのまま皆様の己心に合するところ、 不思議な生命の安定と充実を感得します。その喜びをもって妙法を他に伝えていく、この自行化他の題目に法界の一切を貫き、そのすべてを具える仏界が存し給うのであり、あらゆる人々の前世よりの宿業による種々の悪癖も次第に浄化、矯 正されるのであります」と仰せになり、御本尊様を拝する境智冥合の唱題と、その喜びをもって折伏を行ずるという、自行化他の修行の功徳について御指南あそばされています。
私共は、大御本尊様とその血脈の通った御本尊にこそ、衆生を教導くださる絶大なる仏力・法力が具わることに深く感謝し上げ、一層、信力,行力を尽くして御命題に向かって行動していかなけれぱなりません。

事の一念三千の御当体 拝し即身成仏の大功徳

 その上でさらに、下種仏法における「一念三千の観心」について拝すれば、日寛上人が、
  「但本門の本尊を受持し、信心無二に南無妙法蓮華経と唱え奉る、是れを文底事行の一念三千の観心と名づくるなり」(御書文段一九八ページ)
と仰せのように、文底下種仏法における事行の一念三千の観心とは、本門の大御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉ることであります。
 像法時代の天台大師が説いた理の一念三千とは、衆生の心に十界三千の諸法が具足し、理論の上で仏性が具わることを言います。
 それに対して、末法御出現の大聖人様が説かれた事の一念三千とは、仏の御魂たる御当体を事実の上に顕わすことであります。すなわち、大聖人様の下種仏法においては、事の一念三千の御当体とは三大秘法の大御本尊のことであります。
 私共、末法の衆生は、事の一念三千の御本尊を信じて唱題することによって仏性の功徳が具わることを確信すべきであります。
 私共凡夫は仏性を具えていますが、その仏性を己心に覚知するという、像法時代の観心修行では成仏することはできません。妙法の功徳を顕わすためには文底事行の一念三千の観心が必要となるのです。
 すなわち、本門の大御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉ることによって、即身成仏の大功徳を得ることができるのであります。

主・師・親の三徳を 正しく拝する信心

そこで次に、御命題達成に向かって信行具足の信心で折伏育成を実践していくためには、どのような信心姿勢を心得て行動すればよいのか、これについていくつか申し上げたいと思います。
 まず心得るべきは「主師親の三徳を拝する信心」であります。
 日寛上人は、
  「蓮祖大聖人は正しく末法の法華経の行者にして三徳有縁の仏なり。然るに日本国の上下万民は未だ曽て此の事を知らず」 (同 五三ページ)
と仰せられています。
 大聖人様は、末法の衆生にとって末法下種・三徳有縁の御本仏であります。三徳と言いますのは、主君の徳、師匠の徳、親の徳の三つのことであります。
 大聖人様は、
  「日蓮は日本国の諸人に主師父母なり」 (御書五七七ページ)
と仰せられ、また、
  「日蓮が慈悲廣大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。
 日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ。此の功徳は伝教・天台にも超へ、竜樹・迦葉にもすぐれたり」(同一〇三六ページ)
 と仰せられております。
  ここには、日蓮大聖人様が末法有縁の御本仏であられるとして、衆生を守護する「主君の徳」と、衆生を正しく教導する「師匠の徳」、さらに衆生に利益を与え、衆生を慈愛する「親の徳」を示されております。
 すなわち、これらの御教示は、末法に出現なされた大聖人様が、主師親の三徳を兼ね備えた、末法有縁の下種の御本仏であることを、御自ら表明された御言葉であります。
 第二祖日興上人は、大聖人様の主師親三徳を拝され、大聖人様の御遺命の通りに、本門戒壇の大御本尊様を根源の御本尊と定め置かれて、広宣流布の根源を明確にされています。
 それは日興上人が大聖人様に、常随給仕の上から師弟相対なされ、大聖人様の血脈法水を正しく承継されたからに他なりません。
 私共は常に正しい血脈に随順する信心に立って、大聖人様と大御本尊様に日々守られ、導かれ、慈愛されていることを片時も忘れず、その主師親の三徳を拝し深く感謝して、自行化他の信心に邁進してまいりましょう。
 大聖人様は。
  「諸宗は本尊にまどえり」(同五五四ページ)と仰せられて、諸宗は信仰の根本となる本尊に迷っていると破折されております。本尊に迷うということは、取りも直さず御本仏の御命が長遠なることを知らず、衆生を救済される真実の仏法の大恩を忘れているということに他なりません。
 この御本仏の尊い大恩を忘れている諸宗の人々は、その不知恩の罪過によって、煩悩・業・苦の三道の中で不幸な人生を強いられているのであります。
 例えば今の天台宗は、法華経に密教の教えを交え謗法化しており、真言宗は法華経の本仏を下して権仏の大日如来を本尊とする謗法を犯しています。浄土宗は娑婆世界とは無縁の阿弥陀仏を本尊とし、禅宗なども慢心を起こし仏法を軽んじています。
 不相伝の日蓮宗各派は、今もって本尊の雑乱甚だしく、正法違背の姿を呈しております。創価学会も、自らが大御本尊様との結縁を閉ざし、「創価学会仏」なるものを立てております。
 これらの宗教宗派は、皆本尊に迷い、謗法を犯しているのであります。
 これら謗法の諸宗に対して、大聖入様は、
「寿量品をしらざる諸宗の者は畜に同じ。不知恩の者なり」 (同)
と厳しく破折されております。
 法華経『寿量品』に説き示された久遠元初の御本仏の御化導を知らない諸宗は、三徳有縁の御本仏への仏恩報謝をせず、愚かなる畜生に等しく、不知恩の者であるということです。
 私共は、下種仏法の御恩徳を知り、その御報恩のためにも諸宗の謗法を破折して、広宣流布と一生成仏をめざしていかなければなりません。謗法破折の信心修行によって、過去世からの謗法、罪障等によって汚れた凡夫の弱い命を、清浄なる力強い命に変えることができるのであります。

成仏の根源となる大御本尊に具わる功徳
 次に大事なのは「根源を拝する信心」であります。
 およそ宗教において正邪の判断基準となるのは、信仰の対境となる本尊であります。その本尊は、果たして三宝の徳を具えているか、唯授一人の血脈に適ったものか、さらに無上の功徳を具えているか、これらのことが重大なのです。
 私共が、いくら強い信心をもって修行を積んだとしても、対境となる肝心の本尊が邪なものであれば、その信心修行邪なものとなり、けっして正しい功徳は生じてこないのであります。
 故に大聖人様は、
  「本尊とは勝れたるを用ふべし」 (同一二七五ページ)
と仰せになり、また日寛上人は、
  「本尊とは所縁の境なり」(六巻抄四二ページ)
 「正境とは本門戒壇の本尊の御事なり。是れ則ち正中の正、妙中の妙なり」(御書文段二九九ページ)
と説かれているのです。
 大聖人様が身命を賭して顕わされた大御本尊様は、末法の衆生が対境として拝すべ御法体であり、唯一無二の御本尊であります。
 仏法の道理において、文証において、功徳の実証において、また五重相対等の教判に照らして、この大御本尊様に勝るものはありません。大御本尊様は、謗法迷いの中で苦悩する末法の衆生を、即身成仏へと正しく導いてくださるのです。
すなわち、総本山に厳護せられ、唯授一人の御歴代上人に承継あそばされている本門戒壇の大御本尊様は、一切衆生の成仏の根源となる御本尊様であるということです。
 皆様の家庭に安置されている御本尊様も、すべて日興上人以来、御歴代上人が唯授一人の血脈相承によって戒壇の大御本尊様の御内証を書写あそばれたものであります。
それ故に、家庭の御本尊様に具わる功徳は、すべて根本の大御本尊様から流れ通うところの尊い功徳なのであります。日頃の信心生活や折伏行動の上でも、この「根本を拝する信心」を忘れてはなりません。

恩を知り感じ報ずる信行に感謝と喜び
 次に申し上げたいことは「御報恩謝徳の信行」であります。
仏法では、人の道として恩を知り、恩を心に感じ、その恩に報いることの大切さを教えています。
私共は、この世に生まれて現在に至るまで、父母をはじめ周りの人々、あらゆる存在から、よき縁や恩恵を受けて生きてきたのです。この「恩」を知ることで、周りとの因縁の有り難さが判り、その中で感謝の心が芽生え、人としてよりよい人生を送ることができるのであります。
 大聖人様は、
 「仏弟子は必ず四恩をしって知恩報恩をいたすべし」(御書 五三〇ページ)
と仰せのように、父母の恩・衆生の恩・国主の恩・三宝の恩を知って、報恩の誠を尽くすことの大切さを説かれています。とりわけ一切衆生を救済する三宝の恩は、最も大切なものです。
 三宝とは仏様と、仏様の悟られた法と、その仏法を正しく伝持される僧、この三つの宝のことであります。
 御本仏大聖人様と大御本尊様、そして唯授一人の血脈の御正師の大恩を知り、御恩を感じて「御報恩謝徳の信行」を尽くすところに、凡夫の命を蘇生させる力用と、感謝と喜びの心が、妙法の功徳として涌いてくるのだと思います。
唯授一人の血脈相承によって戒壇の大御本尊様の御内証を書写あそばされたものであります。 
それ故に、家庭の御本尊様に具わる功徳は、すべて根源の大御本尊様から流れ通うところの尊い功徳なのであります。日頃の信心生活や折伏行動の上でも、この「根源を拝する信心」を忘れてはなりません。

自行化他を実践できる その功徳に感謝

 今年で七年目となった、東日本大震災の被害に遭った法華講員の方の体験が、当時の『大白法』にも掲載されていました。
 被害に遭われた法華講員の方々は、御本尊様に守られながら、未曽有の災難を乗り越えてこられたことに深く感謝されていました。特に、仏法で説かれる三世の生命の上から、命の尊さと、今生きていることの有り難さ、仲間と共に生死を乗り越えることができたことへの感謝の思いを述べておられました。
と、改めて私共の生きる一日一日が、本当にかけがえのない命の時間であることが判ります。そのことを忘れて万が一にも、御本尊様に日々見守られている功徳の生活を「当たり前」のように過ごしているとしましたら、自分の信心を見つめ直す必要があります。
 大御本尊様の大恩をはじめ、あらゆる存在から受けてきた「恩」ということを知らなければ、けっして本当の意味で「感謝の信心」が生まれることはありません。
 何事にも恩を知り、恩を感じて御報恩謝徳の御題目を唱えるならば、その功徳と、その命で自分を揺り動かすほどの生命力と、「折伏をさせていただきたい」という気持ちが自然と涌いてくるはずです。
 仏法では三世の上から、一切衆生の生命論を説き明かしていますが、大聖人様は、
「命と申す物はい一身第一の珍宝なり。一日なりともこれをのぶるならば千万両の金にもすぎたり」 (同 七六一ページ)
と、生命の尊さについて述べておられます。
 この生命とは一面から言えば、一生を終えるまでの生きている尊い貴重な「時間」のことと言えます。
 御法主上人猊下は、
  「この平等に与えられた尊い時間をいかに生きるか、いかにしたら価値ある時間とすることができるのか、いかにしたら広布のために役立つすばらしい時間とすることができるのか。それとも、愚かにも、またとない貴重な時間を無為に過ごして悔いを万代に残すのか。それを決めるのは、我々自身であります。我自身の信心であります」(大白法七〇五号)
と仰せられています。
 人間は、この世に生まれてきて一日二十四時間という時間が平等に与えられています。その限られた時間をどのように感じ、どのように過ごし、どのように活かすかは、人としての生き方の大事な一面であります。
 私共は自行化他の仏道修行に尊い時間を割くことが、我が命を仏様に捧げ、自分の迷いの命を蘇生させることであると、自覚することが大切であります。
 自行化他の実践の中で「唱題の功徳」と「折伏育成の功徳」を感じ、その自行化他の功徳に感謝して、一日一日を異体同心して折伏前進していくならば、必ずや御命題と支部の年間折伏誓願目標が達成されるものと確信いたします。
 今後とも、下種三宝尊への固い信心をもって、御法主日如上人猊下の御指南のもと、僧俗一致・異体同心して共々に精進してまいろうではありませんか。
 皆様のご健勝とご活躍を心よりお祈り申し上げ私の話とさせていただきます。ご清聴まことにありがとうございました。 


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