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論議式

記念品

論議式について



宗旨建立750年慶祝記念法華講30万総登山大法要の中で「論議式」が奉修されている。この「論議式」は日蓮正宗の歴史において、日興上人が認められた『遺戒置文』や『原殿御返事』には、「問答講」が行われていたことが記されている。そして、この「問答講」が現在に「論議式」として伝えられる儀式の原型と言われている。

論議式

「論議式」は、日蓮正宗の伝統法義をお互いに研鑚し問答し、論議することによって記録として残していくとともに、大聖人様の仏法を後世に正しく伝えていくためのこのである。「論議式」は、「問者(もんじゃ)」と呼ばれる僧侶が「講師」と称される御僧侶に大聖人様の教えについて質問し、講師がその質問に慈悲をもって答えるという問答形式で行われる。そして最後に、この問答の内容について、御法主上人猊下が講評を下されるとともに、本宗甚深の意義を述べられる。


<師弟相対による令法久住の姿を表す>

法要において、御経行(おきょうぎょう、自我偈訓読・行道散華)が終わると、厳粛な雰囲気の中、はじめに「証義(しょうぎ)」の御法主上人猊下が登高座(とうこうざ)あそばされ、次いで講師・問者の御僧侶方が着座し、論議式が始まる。

まず、講師の御僧侶が「表白文(ひょうびゃくもん)」を両手にかざして奉読する。これは、論議式の趣旨を述べるとともに、座に臨むご自分の覚悟のほどを披瀝するものである。講師の奉読が終わると、問者は「お伺いいたします!」と講師に対して質問を発し、気迫みなぎる問答が始まる。問答は、第一問に次いで、第二問、第三問と三人の問者が続き、次第に深い内容の法門に及ぶ。

問答

問答の内容は、日蓮大聖人様の甚深の御法門である、「本尊論」・「仏身論」・「三宝論」・「題目論」・「行儀論」・「成仏論」の6つに分れており、それぞれの会座において、この中から一つが論題に選ばれ、重々の論議が繰り広げられる。

【本宗本尊論】第一問答では、本宗の本尊につき、『本尊問答抄』の御教示から、法華経の題目すなわち本門の大漫荼羅を本尊とすべきこと、および宗祖が一部信徒の釈尊像造立を方便として讃歎された意義が述べられる。第二問答では、『報恩抄』の「本門の教主釈尊を本尊とすべし」との御教示につき、「教主釈尊」とは久遠元初の釈尊であり、その実義とは人法一箇の大漫荼羅本尊にあることが述べられる。第三問答では、宗祖所顕の大漫荼羅御本尊の御化導に究覧・未究覧の次第があり、弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊こそ、宗祖御化導における究寛本懐の本尊であることが述べられる。

【本宗仏身論】第一問答では、爾前の円教仏身と、法華実経の仏身について、爾前円教の仏身は、種々の方便が付帯して、その実義が顕れないことから、法華経の仏身との間に大きな勝劣があることが述べられる。第二問答では、本迹二門の仏身について、たとえ本門寿量品の開顕以後であっても、迹仏は迹仏であり、本門久成の仏身に及ばないことから、本迹の仏身に、自ずと天地の相違勝劣があることが述べられる。第三問答では、寿量文上の仏身と文底の仏身との間には、本地自行と垂迹化他、名字凡身と色相荘厳、人法体一と人法勝劣、本因妙の教主と本果妙の化主など、法体そのものに相違勝劣があることが明かされるとともに、宗祖日蓮大聖人こそ、久遠元初即末法の御本仏にましますことが述べられる。

【本宗三宝論】第一問答で、寿量品の「時我及衆僧、倶出霊鷲山」との文より、末法の私たちの尊信すべき三宝が、寿量文底・久遠元初・本因下種の仏法僧にあることを述べられる。第二問答では、文底下種の仏宝の真意が宗祖大聖人にましますことを、上行菩薩と宗祖日蓮大聖人との外用・内証の筋目より明かし、さらに本仏としての御振る舞いを、宗祖大聖人の三大秘法建立の御化導の上から示される。第三問答では、『百六箇抄』の「久遠元初の結要付嘱」との文の意義、および客殿の別体三宝の本尊奉安式と猊座の意義より、末法下種の僧宝の真意が、日興上人を随一とする唯授一人血脈付法の歴代御法主上人にましますことを述べられる。

問答

【本宗題目論】第一問答では、『報恩抄』の「如是我聞の上の妙法蓮華経」の文に一往・再往の筋道があり、宗祖大聖人が唱え出だされた題目とは、寿量文底下種の妙法であったことが述べられる。また第二問答では、『三大秘法抄』の「題目に正像と末法の二意あり」との仰せにつき、正像と末法に法体の相違があることから、修行にも自行と自行化他の違いがあり、本門の題目は大聖人が初めて唱え出だされたことが述べられる。第三問答では、法華経に説かれる五種妙行は、本門の木尊を受持する一行に具わることから、末法の自行とは本尊受持の唱題行にあり、また化他とは折伏にあることが述べられる。

【本宗成仏論】第一問答では、即身成仏につき、種熟脱の三益が説かれない華厳・大日両経等の爾前諸経にはその実義はなく、ただ法華経のみに限ることが述べられる。第二問答では、釈尊の本門寿量品の説法によって、在世の衆生は初住ないし等覚の位に至る利益を受けたが、再往文底より拝すると、在世の衆生はその内証において久遠元初本因下種の妙法を覚知し、等覚に至る行位を一転して名字即の信行に徹し、さらに妙覚果満の位に到ったことが述べられる。第三問答では、末法本未有善の私たちは、本門戒壇の大御本尊に対する信行により、どのような道筋をもって境智冥合し、即身成仏の大利益を得ていくか、その方途が述べられる。

【本宗行儀論】第一問答では、本宗の助行において方便・寿量の二品のみを読誦し、一部八巻にわたって読誦しない理由が述べられる。第二問答では、方便品の読誦について、『観心本尊得意抄』の、「所詮、在々処々に迹門を捨てよと書きて侯事は、今我等が読む処の迹門にては侯はず」との仰せより、寿量顕本の意義から、迹門所詮の理を破す所破とともに、方便品の文を借りて寿量文底の妙法を助け顕す借文の意義があることを明かす。第三問答では、寿量品の読誦に、文上と文底、能詮と所詮等の立て分けより、文底体内の文上寿量品を所破のため、また文底内証の寿量品をただちに用いる所用の意義として示し、さらに文底所詮の南無妙法蓮華経の題目を正行として唱え奉ることが述べられる。


第三問が終わると、証義の御法主上人猊下が、講師に精問(せいもん)を下される。これを受けて、講師は精答(せいとう)を言上する。この後、証義から講師と問者との問答に対する講評(こうひょう)が下されるとともに、論議式の結論が述べられる。

そして、御法主上人猊下の御言葉が終わると、題目三唱の後、講師と問者の御僧侶が互いに向かい合って合掌し、次いで証義の御法主上人猊下に合掌した後、高座より降りる。

御講降の鐘?

最後に、御法主上人猊下から、この度の宗旨建立750年慶祝記念法華講30万総登山大法要の意義等について、甚深の御指南を賜る。そして,題目三唱の後、僧俗一同が唱題する中を御法主上人猊下が高座より退かれる。

※写真は『妙教』(108,109号)より転載させていただいたものです。

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