光明
本年度のポスターの標語に「今こそ折伏の時」とある。
これには二つの意味がある。一つは謗法が充満する”今こそ折伏の時”ということ。もう一つは我々の一生は短い、だから〝今こそ折伏の時”であるということ。
今や、世の中は、新型コロナの蔓延が長期化し、三毒強盛の様相を呈している。
『コロナ後』という本に、
「今、アメリカの企業は優秀な人材の採用と確保に苦労しいる。パンデミック前に働ていた職場に戻りたがらない人が増えている。人々はコロナ禍で、人生があまりにもに短いことに気づきはじめている。不快な仕事をしたり、やりがいのない仕事をしたりする時間などはない(趣意)」
(新潮社 佐藤智恵編著)とあった。
老少不定にして儚い人生である。人は誰しも幸せと世の安寧を願うが、御本尊様を根本とした生活の中にこそ実りある人生が送れる。
『富木入道殿御返事』には、
「命限り有り、惜しむべからず。遂に願ふべきは仏国なり」(御書 四八八ページ)
と御教示である。限りある命を惜しまず広布に尽くすところに自ずから果報が得られる。
御法主日如上人猊下は、折伏の意義について、
「地涌の菩薩の眷属の使命。一切衆生救済の慈悲行。仏祖三宝尊への報恩行。 過去遠々劫の罪障を消滅する仏道修行(趣意)」(大日蓮七九六号)
と仰せである。折伏の成果に関わらず、相手の幸せを願って折伏に動くとき、必ずや広大無辺の功徳が積まれる。
『上野殿御返事』には、
「日蓮生まれし時よりいまに一日片時もこころやすき事はなし。此の法華経の題目を弘めんと思ふばかりなり」(御書 一三六一ページ)
と御教示である。
明日がある。明後日があると考えている間は、肝心の「今」は決して来ない。
大聖人様の御意を深く拝し、「今こそ 折伏の時」と心得、果敢に動こう。(観)
(大白法 令和4年5g津16日号転載)