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正信の一念は、必ずや御本尊へと通ずる

 光明
 人は往々にして、自らの不徳を弁えずに、思い通りに事が運ばぬ原因を周りの誰かへ転嫁してしまいがち。
 しかし、そうした思いに執われている限り、いつまでも貪瞋癡の三毒に振り回されるばかり、不徳をさらに重ねてしまう。
 宗祖日蓮大聖人は、「衆生の心けがるれば土もけがれ、心漬ければ土も清して、浄土と云ひ穢土と云ふも土に二つの隔てなし」(御書 四六ページ)
と依正は不二一体である御教示あそばされ、その淵
「只我等が心の善悪によると見えたり」(同)
と仰せられている。
 何事も己が因果因縁に基づく果報と知れば、他をとやかく責めても意味がないと思い至る。そんな愚かな所業に時間を割くよりも、自らの心を磨くことが何より最優先であり、その術を
「深く信心を発こして、日夜朝暮に又憚らず磨くべし。何様にしてか磨くべき、只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを、是をみがくとは云ふなり」(同)
と明かされている。
 私たちの一念は、御本尊と境智冥合する。本門の題目行を貫くとき、本門の本尊へと通じているのである。その功徳に誰彼の違いなど些かも存しない。
 苦悩に苛まされる者も、四苦八苦を前に立ち止まる者も、真剣に題目を唱える信心と精進は必ず御本尊へと届き、大きな功徳を成就することは疑いない。
 これを御先師日顕上人は、「南無妙法蓮華経の下種本法を鏡として一切を照らすとき、十界の衆生、種々雑多なる命は、すべて本覚無作の三身としての本質が顕れます」(寿量品説法増補版 上二三八)
と御指南くださっている。
 自ら唱題に励み、誓願成就へ向けて折伏に励む。自行と化他にわたる本門の題目行を徹底するならば、我ら凡夫の心の中に、尊き仏界の命が必ずや涌現する。その心地を味わい楽しむことが、真の即身
成仏の姿である。
 いよいよ本年も来月から御会式が始まる。 共々に、悔い勇猛精進をもって自他に邁進していこう。
(妙叡)


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