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63常随給仕

教学ノート
大白法 令和2年8月16日付
 常随給仕とは、弟子が常に師匠に随って仕えることです。
 日蓮大聖人様は、『御義口伝』に、
「随とは信の異名なり云云。唯信心の事を随と云ふなり」(御書1775㌻)
と、随うとは信心であると説かれています。
 第二祖日興上人、第三祖日目上人は、宗祖大聖人に常随給仕されました。
 日興上人は、正嘉2(1258)年に、大聖人様が一切経閲覧のため、岩本(静岡県富士市)の実相寺に入られた際に、大聖人様の弟子になられました。その後、大聖人様は、弘長元(1261)年に伊豆に、文永8(1271)年に佐渡に配流されましたが、日興上人はいずれにも随従してお仕えし、共に忍難弘通の時を過ごされました。
 佐渡から移られた後、日興上人を慕った佐渡の信徒から手紙が届いたりしていることからも、佐渡で常に大聖人様のお側で給仕されていたことが判ります。
 伊豆配流の後から佐渡配流までの間、日興上人は実相寺や四十九院から、大聖人様が住まわれた鎌倉を往復して、教えを受けられました。大聖人様が身延に入山されると身延へお供をされ、甲斐(山梨県)や駿河(静岡県)への弘教に励まれながら、下種仏法の深義を受け継がれました。
 日興上人は、自らの考えを挟むことなく、大聖人様から正直に仏法を学び、後世に正しく伝えようと精進されました。それはまさに大聖人様への純粋な信心によるものであり、その篤き信心によって、大聖人様を末法の御本仏と拝することができたのです。
 そして日目上人も、日興上人が『日興遺誡置文』に、
「十七の歳、日蓮聖人の所に詣で甲斐身延御在生七年の間常随給仕し」(同1883㌻)
と仰せのように、身延の大聖人様のもとで常陸給仕されました。
 毎日、沢から水を汲んで水桶を頭に乗せて運ばれたので、頭が窪んだと伝えられます。
 日興上人、日目上人が、影の形に添うが如く大聖人様に常随給仕されたように、私たちも日々御本尊様にお給仕申し上げ、御法主上人猊下の御指南のもと、御住職・御主管の御指導に従って、素直に信行に励んでいくことが大切です。

★ポイント
第二祖日興上人は、
「このほうもんは、しでしをたゞしてほとけになり候。しでしだにもちがい候へば、おなじほくゑをたもちまいらせて候へども、むげんぢごくにおち候也」(歴代法主全書)
と、師匠と弟子の筋道を正しく貫いてくことが大切であると説かれています。

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