大白法 平成28年4月16日付
誓願とは、誓いを立てて成し遂げようと願うことを言います。
特に、仏様が衆生を救済するために誓願を立てて、その成就のために実践することを言います。
釈尊は『法華経方便品第二』に、
「舎利弗に知るべし 我本誓願を立てて 一切の衆をして我が如く等しくして異ること無からしめんと欲しき」(法華経111㌻)
と説かれているように、一切衆生を成仏せしめようとの誓願を立てられています。そして、
「我が昔の所願の如き 今者已に満足しぬ 一切衆生を化して 皆仏道に人らしむ」(同㌻)
と、法華経に至って、その誓願は満足、成就したと説かれています。
また天台大師は誓願の大事について、誓願を立てない修行は、あたかも御者のいない猛牛のようなものであり、行き着く先を見失ってしまうと示されています。そして誓願を立てることで修行が持たれ、趣くべきところに導かれると説かれています。(摩訶止観弘決会本下一195㌻)
このように、誓願を立てるということは、「修行を持続する力」が生まれることであり、私たちの仏道修行において必要不可欠なものなのです。また、この誓願の力によって修行が正しく維持でき、趣くべき境界へと正しく導かれるのです。
日蓮大聖人様は『開目抄』に、
「我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならも、我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず」(御書 572㌻)
と、御本仏としての御立場から、日本乃至全世界の一切衆生を救済しようという大誓願(三大誓願)を立てられています。
また御法主日如上人猊下は、
「誓願は、掛け声だけであってはなりません。誓願は達成して初めて仏様との誓いを果たすことができるのであって、仏様との約束を果たすため、なんとしてでも総力を結集して達成しなければならないのであります」(大白法 901号)
と仰せです。
私たちは、全世界の一切衆生を救済せんとの大誓願を立てられた大聖人様の弟子檀那として、勤行・唱題、折伏・育成に対して常に誓願を掲げることが大切です。そして、力強い実践のカによって、必ず誓願を果たすことができるのです。
★ポイント
仏と菩薩に共通する誓願に四弘誓願(衆生無辺誓願度〈衆生を救おうとする誓い〉・煩悩無数誓願断〈煩悩を断とうとする誓い〉・法門無尽誓願知〈仏の教えを学ぼうとする誓い〉・仏道無上誓願成〈仏道を修して成仏しようとする誓い〉)があります。
大聖人様は、四弘誓願の中で化他行の衆生無辺誓願度が最も肝要であり、大聖人様が顕わされた末法本因妙の下種仏法により、一切の衆生を救っていく以外に誓願はないと仰せです(御書1862㌻)。