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法華講連合会第57回総会の砌

 日如上人猊下お言葉
 本日は、法華講連合会第五十七回総会が、ここ戒壇の大御本尊まします本山において開催され、まことにおめでとうございます。
 本年は、新型コロナウイルス感染症によって、例年とは異なり、委員長をはしめ理事・幹事、各地方部理事および各支部講頭等、それの代表者のみの参加となりましたが、皆様方には万難を排し、御登山、出席され、まことに御苦労さまでございます。
 さて、皆様も既に御承知の通り、今月は大聖人様が「立正安国論」をお認めあそばされた月であります。すなわち『立正安国論』は、今を去る七百六十一年前、文応元(一二六〇)年七月十日、宗祖日蓮大聖人様御年三十九歳の時、宿屋左衛門入道を介して時の最高権力者・北条時頼に提出された、国主への陳暁書であります。
 大聖人様は、この『立正安国論』について『安国論御勘由来』に
「正嘉元年太歳丁巳八月二十三日戌亥の時、前代に超えたる大地震

。同二年戊午八月一日大風。同三年己未大飢饉。正元元年己未大疫病。同二年庚申四季に亘りて大疫已まず。万民既に大半に超えて死を招き了んぬ。而る間国主之に驚き、内外典に仰せ付けて種々の御祈祷有り。爾りと雖も一分の験も無く、還りて飢疫等を増長す。日蓮世間の体を見て粗一切経を勘ふるに、御祈請験無く還りて凶悪を増長するの由、道理文証之を得了んぬ。経に止むこと無く勘文一通を造り作し其の名を立正安国論と号す。文応元年庚申七月十六日辰時、屋戸野入道に付し故最明寺入道殿に奏進し了んぬ。此偏に国土の恩を報ぜんが為なり。」(書三六七)
と仰せられています。
 すなわち大聖人様は、天変地天・飢饉・疫癘等、遍く天下に満ち、混沌とした末法濁悪の世相を深く憂えられました。そして、天変地天や疫病等による国土退廃の根本原因は、邪義邪宗の謗法の害毒にあると断じられ、邪義邪宗への帰依をやめなければ、自界叛逆・他国侵逼の二難をはじめ、様々な難が必ず競い起こると予言され、こうした災難を防ぐためには、
「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ」(同二五〇ページ)
と仰せられて、仏国土を建設するためには一刻も早く謗法の念慮を断ち、「実乗の一善」に帰することであると御誡められたのであります。
「実乗の一善」とは、大聖人様の元意は文上の法華経ではなく、法華経本門寿量文底独一本門の妙法蓮華経のことであります。
 また、総本山第二十六世日寛上人は「立正」の両字について、
「立正の両字は三箇の秘法を含むなり」(御書文段六ページ)
と仰せられています。
 すなわち「立正」の「正を立てる」とは、末法万年の闇を照らし、弘通するところの本門の本尊と戒壇と題目の三大秘法を立つることであり、正法治国・国土安穏のためには、この三大秘法の正法を立つることこそ肝要であると仰せられているのであります。
 また「安国」の両字については、
「文は唯日本及び現在に在り、意は閻浮及び未来に通ずべし」(同 五ページ※)
と仰せられています。つまり「国」とは 一往は日本国を指しますが、再往は世界、一閻浮提を指しているのであります。
 さらに『立正安国論』は、その対告衆は鎌倉幕府の前執権で、時の最高権力者であった北条時頼であり、予言の大要は自界叛逆難・他国侵逼難の二難でありますが、実には一切衆生に与えられた諫言書であります。
 また、一往は専ら法然の謗法を破折しておりますが、再往元意の辺は広く諸宗の誤りを糾しているのであります。
 しかし、大聖人様の国を憂い、御本仏としての大慈大悲の上から一切衆生救済の大願に立って諌暁せられた『立正安国論』の上呈も、幕府は無視したのであります。
 もし幕府・為政者のなかに真に国を憂える者がいたならばを、大聖人様の国家諌暁を真摯に受け止めて、しかるべき施策を講じたのでありますが、むしろ邪義邪宗の者どもの策謀によって、翌月二十七日、北条重時ら、念仏を信仰していた権力者をうしろ楯として、深夜、松葉ヶ谷の草庵を襲撃し、大聖人様を亡き者にしようとしたのであります。
 このことについて『下山御消息』には、
「国主の御用ひなき法師なればあやまちたりとも科あらじとやおもひけん。念仏者並びに檀那等、又さるべき人々も同意したるとぞ聞こへし。 夜中に日蓮が小庵に数千人押し寄せて殺害せんとせしかども、如何がしたりけん、其の夜の害も脱れぬ」(御書 1150ページ)
と仰せであります。
 すなわち、大聖人様は『立正安国論』をもって鎌倉幕府に対して諌暁されましたが、幕府はこれを無視し、用いなかったのであります。この対応を奇貨として念仏者達は、幕府が用いない者であれば殺しても構わないであろうと、大聖人様のまします松葉ヶ谷の草庵を襲ったのであります。
 先程の御文中「さるべき人々も同意した」とありますが、「さるべき人」とは極楽寺重時のことであります。 重時は鎌倉幕府の連署・北条重時のことで、執権・北条長時の父であります。出家して極楽寺に別邸を構え住んでいたため「極楽寺殿」と呼ばれていたのであります。
 つまり、大聖人様が『立正安国論』をもって国主を諌暁されましたが、このことが幕府・権力者達の怒りを買い、念仏者をはじめ諸宗の者たちも、異常な恨みを抱き、翌月二十七日、北条重時ら、念仏を信仰していた権力者をうしろ盾として 深夜、松葉ヶ谷の草庵を 襲撃したのであります。
 しかしながら、大聖人様はこの夜の難を逃れ、一時、鎌倉を出て、下総の富木常忍のもとに身を寄せられましたが、以後、幕府側は理不尽にも大聖人様を伊豆・伊東に無実の罪で配流にするなど、様々な迫害を加えてきたのであります。
 すなわち、弘長元(一二六一)年五月十二日には『下山御消息』に、「日蓮が生きたる不思議なりとて伊豆国へ流されぬ」(同ページ)と仰せのように、松葉ヶ谷の法難において大聖人が難を逃れ、いまだ生きていることが不思議であるという全く理不尽なる理由によって、幕府は大聖人様を伊豆・伊東に配流したのであります。
 さらに、文永元年(一二六四)年十一月十一日には、地頭の東条景信が小松原 (現在の千葉県鴨川市) において、大聖人の御一行を襲ったのであります。すなわち、小松原の法難であります。
 しかし、その後、この東条景信は、
「法華経の十羅刹のせめをかほりてはやく失せぬ」(同1031ページ)
と仰せのように、法華の現罰を受けて夭逝しているのであります。
 その後、大聖人は文永八年九月十日、問注所に呼ばれ、平左衛門尉頼綱に見参され、自界叛逆難・他国侵逼難を予告されますが、幕府の要人・後家尼等は大聖人様を恨み、
「頸をはぬるべきか、鎌倉ををわるべきか。 弟子檀那等をば、所領あらん者は所領を召して頚を切れ、或はろうにてせめ、あるいは遠流すベし等云々」(同1056ページ)
と大聖人の献言を非難し、「頚を斬れ」と騒ぎ立てたのであります。
 そして九月十二日、平左衛門尉は松葉ヶ谷の草庵を襲い、大聖人様を評定所に連行したあと、竜 口において頸の座に据えたのであります。
 しかし、まさに太刀取りが大聖人様の頚を斬らんとした時、突如として江ノ島の方向から月のように光る鞠のような物が、東南のほうから西北の方角ヘ光り渡ったのであります。頚を斬ろうとしていた太刀取りは、目がくらんで倒れ伏し、兵士どもは怯み、恐れ、頚を斬る勇気を失って、一町ばかり走り逃げる者もあり、ある者は馬から降りてかしこまり、またある者は馬の上でうずくまってしまったのであります。
 この竜口法難について、大聖人様は『開目抄』に、
「日蓮といるし者は、去年九月十二日子丑の時に頚はねられぬ。此は.魂魄佐土の国にいたりて、返る年の二月雪中にしるして、有縁の弟子へをくれば、をそろしくてをそろしからず。 みん人、いかにをちぬらむ。此は釈迦・多宝・十方の諸仏の未来日本国、当世をうつし給ふ明鏡なり。かたみともみるべし」(同五六三ページ)
仰せられています。
 この御文について、日寛上人は『開目抄文段』に詳しく御指南であります。
今、解りやすく、要約して申し上げますと、
「大聖人が『開目抄』に『去年九月十二日子丑の時に頚はねられぬ』と仰せであるが、子の刻は鎌倉を引き出された時刻を言い、丑の刻は竜口の頸の座に据えられた時を指す。この法難こそ、法華経に予証せられた大難であり、これによって大聖人が法華経の行者であることが明白になったのである。 ただし、これは付文の辺であり、『開目抄』の御文の元意は、大聖人の名字凡夫の当体が、久遠元初の自受用身と顕れた明文である」(御書文段 一六六ページ取意)
と仰せられているのであります。
 されば、私どもは宗祖日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ奉り、大聖人の御教示のままに至心に唱題に励み、いかなる困難や苦難にも挫けず、広宣流布を実現すべく異体同心して折伏を行じ、妙法広布に挺身していくことが、今、最も大事であることを知り、自らの幸せのため、また一人でも多くの人達の幸せのため、いよいよ自行化他の信心に励むことが肝要であろうと存じます。
 特に今、世界中が新型コロナウイルス感染症によって、混沌とした様相を呈していますが、かかる時こそ、私どもは、講中一結・異体同心して、いかなる障魔にも負けない強盛なる信心を振るい起こし、妙法広布に全力を傾注していかなければならないと思います。
 大聖人は『正安国論』に、
「広く衆経を披きたるに専ら謗法を重んず。 悲しいかな、皆 正法の門を出でて深く邪法の獄に入る。愚かなるかな各 悪教の綱に懸かりて鎮に謗教の網に纏はる。 此の朦霧の迷ひ彼の盛焔の底に沈む。豈愁へざらんや、豈苦しまざらんや。 汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。国に衰微無く土に破壊無くん二 ば、身は是安全にして心は是禅定ならん。 此の詞此の言信ずべく崇むべし」(御書 二五〇ページ)
と仰せであります。
 私どもはこの御金言を拝し、特に今日、新型コロナウイルス感染症によっ来て世界中が混沌としている状況を見る時、僧俗一致・異体同心して、いよいよ強盛に自行化他の信心に励み、一人でも多くの人に妙法を下種し、もって全人類の幸せと全世界の平和を実現す開べく、一天広布を目指して大折伏戦を展開し、たくましく前進していくことこそ、今、最も肝要であろうと存じます。さすれば、そこから必ず大きく未来広布への展望が開かれてくるのであります。
 どうぞ皆様には、今日の連合会総会を契機として、いよいよ信心強盛に、一天広布を目指し、自行化他の信心に
励まれますよう心から祈り、本日の挨拶といたします。

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