日如上人猊下お言葉
本日は、7月度の唱題行に当たり、皆様には諸事万端繁忙のところ、信心強盛に参加され、まことに御苦労さまでございます。
既に店様も御承知の通り、今、全国的に新型コロナウイルス感染症が蔓延し、末法濁悪の世相そのままに騒然とした様相を呈しておりますが、我々はかくなる時こそ『聖愚問答抄』の、
「今の世は濁世なり、人の情もひがみゆがんで権教謗法のみ多ければ正法弘まり一がたし。此の時は読誦・書写の修行も観念・工夫・修練も無用なり。只折伏を行じて力あらば威勢を以て謗法をくだき、又法門を以ても邪義を責めよとなり」(御書四〇三)
との仰せを拝し、濁世末法の世相そのままに混沌とした今日の状況を救済するためには、講中一結し、決然として折伏を行じていくことが最も肝要であります。
されば『立正安国論』には、
「早く天下の静謐を思はば 須く国中の謗法を断つべし」(同 二四七頁)
と仰せられ、今日のコロナ感染症による窮状を根本的に救えるのは、末法の御本仏宗祖日蓮大聖人の三大秘法の仏法以外にはないことを銘記し、一人ひとりが断固たる決意を持って、不幸と混乱と苦悩の原因たる邪義邪宗の謗法を対治し、もって妙法広布に挺身していくことが、今、最も急務であると知るべきであります。
大聖人様は『太田左衛門尉御返事』に、
「法華経申す御経は身心の諸病の良薬なり。されば経に云はく『此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり。若し人病有らんに是の経を聞くことを得ば病即消滅して不老不死ならん』等云云」(同1223頁)
と仰せであります。
さらに『上野尼御前御返事』には、
「法華経と申すは手に取れば其の手やがて仏に成り、口に唱ふれば其の口即ち仏なり。譬えば天月の東の山の端に出づれば、其の時即ち水に影の浮かぶが如く、音とひびきとの同時なるが如し。故に経に云はく『若し法を聞くこと有らん者は一として成仏せずといふこと無けん』云云。文の心は此の経を持つ人は百人は百人ながら、千人は千人ながら、一人もかけず仏に成ると申す文なり」(同 一五七四頁)
と仰せであります。
このなかで「法華経」と仰せられているのは、申すまでもなく本因下種の妙法蓮華経のことであります。すなわち、身心の諸病を克服する最高の良薬こそ、本因下種の妙法蓮華経であると仰せられているのであります。
されば今、コロナ感染症によって世情騒然としている時、私どもは謗法の害毒によって、いまだ大聖人様の偉大なる教えに縁することもなく、苦悩に喘いでいる多くの人々に対して、異体同心・一致団結して勇猛果敢に折伏を行じ、妙法広布へ向けて前進していくことが最も肝要であります。
『経王殿御返事』には、
「南無妙法蓮華経は師子吼の如し。いかなる病さはりをなすべきや。鬼子母神・十羅刹女、法華経の題目を持つものを守護すべしと見えた。り。 さいはいは愛染の如く、福は毘沙門の如くなるべし。いかなる処にて遊びたはぶるともつつがあるべか」らず。遊行して畏れ無きこと師子王の如くなるベし。十羅刹女の中にも皐諦女の守護ふかかるべきなり。 但し御信心によるべし」(同 六八五頁)
と仰せであります。
改めて、この「南無妙法蓮華経は師子吼の如し。いかなる病さはりをなすべきや。鬼子母神・十羅刹女、法華経の題目を持つものを守護すべしと見えたり」との御文を拝し、講中一結・異体同心して一天広布を目指して、いよいよ精進されますよう心からお祈りして、本日の挨拶といたします。