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6月度広布唱題会の砌

日如上人猊下お言葉

 本日は、六月度の広布唱題会に当たり、皆様方には新型コロナウイルス感染症によって何かと御不便のところ、信心強盛に参加され、まことに御苦労さまでございます。
 本年も早、六月となりましたが、皆様方には日夜、折伏誓願達成へ向けて、いよいよ御精進のことと思います。
 さて、法華経不軽品を拝しますと、
「時に増上慢の四衆の、比丘、比丘局、優婆塞、優婆夷の、是の人を軽賤して、為に不軽の名を作せし者、其の大神通力、楽説弁力、大善寂力を得たるを見、其の所説を聞いて、て皆信伏随従す」(法華経 五〇二ページ)
とあります。
 この御文は、不軽菩薩について述べられている箇所でありますが、既に皆様も御承知のように、不軽菩薩は威音王仏の滅後、像法時代に出現した方で、一切衆生に仏性があるとして礼拝讃歎し、
「我深く汝等を敬う。敢えて軽慢せず。所以は何ん。汝等皆菩薩の道を行じて当に作仏することを得べし」(私は、深くあなた方を敬います。敢えて軽蔑するようなことはいたしません。なぜなら、あなた方は皆、菩薩の道を行じて、必ず仏に成ることができるからであります)」(同500ページ)
と唱えて、会う人ごとに対して専ら礼拝を行じたのであります。 また、遠く離れた人に対しても、
「我敢えて汝等を軽しめず。汝等皆、当に作仏すべきが故に(私は、あえてあなた方を軽んじません。あなた方は必ず仏と成るべき方であるからであります)」(同)
と言って礼拝したのであります。
 しかし、増上慢の者達は、不軽菩薩に対して瞋恚の心、つまり怒りの心を生じて、
「是の無智の比丘、何れの所より来って、自ら我汝を軽しめずと言って、我等が与に当に作仏することを得べしと授記する。 我等、是の如き虚妄の授記を用いず(この無智の比丘は、一体どこからやってきたのか。自分で『私は、あなたを軽んじたりしない』と言って、我らのことを『必ず仏と成ることができるだろう』と予言している。 我らは、そのような偽りの予言など用いない。)」(同ページ)
と、悪口罵詈したのであります。
 しかし、不軽菩薩は悪口罵詈されながらも瞋恚の心を生ぜず、多年にわって常に
「汝当に作仏すべし」(同五〇一ページ)
と言って、礼拝行をやめなかったのであります。
 そのために増上慢の四衆は、不軽菩薩に対して、枕木瓦石をもって打擲し、迫害を加えたのであります。
 しかし、それでも不軽菩薩は、それを避けて遠くに行き、声高に、
「我敢えて汝等を軽しめず。汝等皆当に作仏すべし」(同)
いと言って、なおも礼拝行を続けたのであります。
 ひたすら礼拝行を続けた不軽菩薩は、その功徳によって、命が終わらんとする時に至って、威音王仏の説かれ法華経を虚空のうちに聞いて、ことごとく受持して六根清浄を得終わって、さらに寿命を延ばすこと二百万億那由他歳、その間、広く人々のために法華経を説いたのであります。
 その結果、かつて不軽菩薩を軽蔑し、悪口罵詈し、枕木瓦石をもって迫害した増上慢の四衆、すなわち不軽菩薩を軽しめ「常不軽」と名付けた者達も、但行礼拝の功徳によって不軽菩薩が大神通力、楽説弁力、大善寂力を得るを見るに及びまた、その説くところを聞いて皆、信伏随従するに至ったのであります。
 大神通力とは、身に神通力を示現することであります。楽説弁力とは、自在無礙に弁舌する力です。大善寂力とは、心に禅定、つまり心を静めて真理を観察し、心身共に動揺することがない、安定した状態を得ること
『法華文句』には、この三力を身口意の三業、および衣座室の三軌に配して、
「不軽菩薩が、一切衆生に仏性ありとして人々を軽んぜず、深く敬ったのは、衣座室の三軌のうちには如来の座に当たり、身口意の三業に当てはめれば意業に当たる。 悪口罵詈・枕木瓦石の難を忍んだのは如来の衣を著るに当たり、また『我深く汝等を敬う』等の二十四字を説いたのは口業に当たる。 慈悲の心をもって、ことさらに礼拝行を続けたのは如来の室に当たり、また身業に当たる」
(学林版文句会本下 四五一ページ取意)
と仰せであります。
 すなわち不軽菩薩は、但礼拝行を通して衣座室の三軌を身口意の三業にわたって行じた功徳によって、大神通力等の三力を得、また、これを目の当たりにした増上慢の四衆も、法華経に帰することができたのであります。
 つまり、不軽菩薩を迫害した増上慢の者も、さすがに不軽菩薩の大神通力、楽説弁力、 大善寂力を見て、ついに信伏随従するに至らざるをえなかったのであります。
 このことは、私どもの信心、特に折伏において、まことに大事なことが示されているのであります。
 折伏には説得力が必要であります。説得力が乏しいと、相手はなかなか信じません。したがって説得力を身に付けなければなりませんが、説得力と言っても、言葉が巧みなだけでは相手は入信しません。
大聖人様は『法蓮抄』に、
「凡夫は此の経は信じがたし。又修行しても何の詮かあるべき。是を以て之を思ふに、現在に眼前の証拠あらんずる人、此の経を説かん時は信する人もありやせん」(御書 八一四ページ)
と仰せであります。すなわち、折伏に当たって最も説得力があるのは、信心の功徳を身をもって示す、すなわち現証として示すことだとおっしゃっているのです。
 今、私どもの折伏も、不軽菩薩の大神通力、楽説弁力、大善寂力を目の当たりにして、増上慢の四衆が等しく、その説くところを聞いて信伏随従するに至ったように、確たる信心の現証を示すことが肝要であります。
 そのためには、まず自らが自行化他の信心に励むことが大事であります。自行化他の信心に励むところ、おのずと妙法の広大無辺なる功徳によって、我らもまた不軽菩薩と同様に、大神通力、楽説弁力、大善寂力を得ることができるのであります。
 故に、大聖人様は『御義口伝』に
「所詮今日蓮等の類南無妙法蓮経と唱へ奉る行者は末法の不軽菩薩なり」(同一七七八ページ)
と仰せられているのであります。
 すなわち、私どもが不軽菩薩と同様に、大神通力、楽説弁力、大善寂力を得ることができれば、おのずと我らの身口意の三業にわたる所行のすべてが折伏に役立つ、強烈な説得力を持つことになるのであります。
 例えば、折伏の言葉一つ取っても、自然と楽説弁力等の功徳が発揮され、相手の信頼を得ることができるのであります。
 折伏は結局、我々の言っていることを、相手が信じてくれなければ何もなりません。相手の信頼に足る言葉、行い、意がなければ、折伏は成就しないのであります。
 大御本尊様への絶対信をもって自行化他の信心に励む時、妙法の広大なる功徳によって自らが変わり、自らが変わることによって相手が変わり、折伏成就に至るのであります。
 今、宗門は本年を「折伏躍動の年」と銘打って、僧俗一致・異体同心して力強く前進しております。
 この時に当たり、私ども一同、一人も漏れず、勇躍として折伏に起ち上がり、もって必ずや折伏誓願を達成され、広大無辺なる功徳を享受されますよう心から念じ、本日の挨拶といたします。



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和歌山県田辺市の在住、日蓮正宗法華講員です。
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