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唱題行(7月1日)の砌

日如上人猊下お言葉

 本日は、本年七月度の唱題行の初日に当たりまして、皆様には諸事御繁忙のところ、また新型コロナウイルス感染症によって何かと御不便のところ、信心強盛に参加され、まことに御苦労さまでございます。
 この唱題行は、七月中、毎日午前八時より一時間行いますが、七日、十三日、十五日は、午前七時から御影堂において御講を奉修いたしますので、時間をずらして、午前九時より行います。皆様には、よろしく御承知くださるようお願いいたします。
 さて『諸経と法華経と難易の事』を拝しますと、
「生死の長夜を照す大灯、元品の無明を切る利剣は此の法門には過ぎざるか」(御書 一四六八㌻)
と仰せであります。
 「生死の長夜」とは、衆生が三界六道の世界において、生死を繰り返すさまをこのように言っているのであります。その生死の長夜につきまとう暗黒の如き迷いや苦しみを照らす灯火こそが、妙法蓮華経であると仰せられているのであります。
 また「元品の無明を切る利剣は此の法門には過ぎざるか」の「元品の無明」とは、衆生に本来的に具わっている根本的な迷いのことであります。つまり「元品」とは根本・根源を意味し、「無明」とは迷いのことで、物事に明るくなく、暗いという意味であります。
 すなわち、妙法蓮華経という絶対の真理に対して、一切の煩悩の根本となるのが元品の無明であります。そこで、この元品の無明を断ずれば、成仏の境界を得られるということで、その元品の無明を切る利剣こそ「此の法門」すなわち、妙法蓮華経であると仰せられているのであります。
 さらに、大聖人は『御義口伝』に、
「元品の無明を対治する利剣は信の一字なり」(同 一七六四㌻)
と仰せであります。つまり、大御本尊様に対する「信の一字」すなわち、無疑日信の信こそ、無明を断破する利剣であると仰せられているのであります。
 今、宗門は「折伏躍動の年」を迎え、全支部ともに僧俗一致の体勢を構築して、一天広布を目指して力強く前進をしております。
 しかして『日女御前御返事』には、
「南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり」(同 一三八八㌻)
と仰せられているように、その原動力となるのが唱題行であります。
 折伏は相手が納得しなければ入信しませんが、相手を納得せしめるものは、私達の人格であり、私達の慈悲心であり、決意であります。したがって、自分自身がしっかりと題目を唱えていくなかに、おのずと信心と人格が磨かれ、慈悲の心をもって決然として折伏を行じていく勇気と智慧と行動力が生まれてくるのであります。
 折伏が盛んなる支部は、いずれも講中挙げて唱題行を実施し、その功徳と歓喜をもって折伏に打って出て、大きな成果を挙げております。
 されば、本年「折伏躍動の年」、私ども一人ひとりが、
「願はくは『現世安穏後生善処』の妙法を持つのみこそ、只今生の名聞後世の弄引なるべけれ。須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ、他をも勧めんのみこそ、今生人界の思出なるべき」(同 三〇〇㌻)
との御金言を拝し、本年度の折伏誓願の達成を目指して唱題に励み、その功徳と歓喜をもって講中一結して折伏に打って出て、もって全支部が必ず折伏誓願を達成されますよう心より願い、本日の挨拶といたします。
(大白法 令和5年7月16日号より)

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和歌山県田辺市の在住、日蓮正宗法華講員です。
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