日如上人猊下お言葉
本日は広布唱題会に当たりまして、皆様には諸事御繁忙のところを参加され、いよいよの御精進をお誓いのことと存じます。
既に御承知のように、本年「折伏前進の年」を勝利するためには、各講中ともに異体同心の団結をもって、弛まず行動を起こすことが必須であります。
すなわち、一閻浮提第一の大御本尊様への絶対の確信を持って、一切衆生救済の誓願に立ち、妙法広布に挺身する断固不動の信心と実践活動、そして異体同心の団結こそ、折伏誓願達成の鍵であります。
我ら末代の衆生は、たとえその身は貪瞋の三毒に苛まれた者であったとしても、大御本尊様への絶対の信心によってその身そのままの姿で成仏の相を現じ、三世にわたる真の幸せを築くことができるのであります。
故に、大聖人様は『南部六郎三郎殿御返事』のなかで、
「阿闍世王は父を殺害し母を禁固し悪人なり。然りと雖も涅槃経の座に来たっ法華経を聴聞せしかば、現世の悪瘡を治するのみに非ず四十年の寿命を延引したまひ、結句無根初住の仏記を得たり。提婆達多は閻浮第一の一闡提の人、一代聖教に捨て置かれしかども此の経に値ひ奉りて天王如来の記別を授与せらる。
彼を以て之を推するに末代の悪人等の成仏不成仏は、罪の軽重に依らず但此の経の信不信に任すべし (中略) 法華経の心は当位即妙・不改本位と申して罪業を捨てずして仏道を成するなり。 天台の云はく『他経は但善に記して悪に記せず、今経は皆記す』等云云。妙楽の云はく
『唯円教の意は逆即是順なり。 自余の三教は逆順定まるが故に』等云云」(御書六八四ページ)
と仰せであります。
すなわち、阿闍世王は提婆達多にそそのかされて、父の頻婆娑羅王を殺害して王位に聞いた残虐非道の者でありますが、名医と言われた耆婆の勧めによって釈尊に会って帰依し、法華経を聴聞して、全身の悪瘡を治すのみならず、四十年も寿命を延ばすことができ、無根初住の仏記を得たのであります。無根とは、信心の機根のない者が妙法の力によって信ずる心を生じ、初住、つまり不退転の位に至ることであります。
また、提婆達多は釈尊を妬み、ことごとく敵対し、三逆罪、すなわち大石を落として釈尊の足から血を出し、蓮華比丘尼を殺し、和合僧を破るの三罪を犯した閻浮第一の一闡提人、つまり正法を信ぜず、悟りを求める心がなく、成仏する機縁を持たないと言われた者であります。
一度は地獄に堕ちましたが、法華経提婆達多品において釈尊は過去世の因縁を説い人て、提婆達多が善知識であることを明かし、天王如来との成仏の記別を与えられたのであります。
あります。
これら阿闍世王や提婆達多の例に示されるが如く、末代の衆生の成仏、不成仏は、罪の軽重によって決まるのではなく、その人の信、不信、すなわち信心があるか、ないかによって決まると仰せられているのであります。つまり「以信導入」と仰せのように、信こそ成仏得道の要であります。
したがって、もし過去の罪障の軽重によって成仏、不成仏が決まるというのであれば、悪逆の提婆達多も阿闍世王も、その罪のあまりにも深いことによって、成仏することはできなかったはずであります。
つまり、爾前権教においては善根の者には成仏を保証するも、阿闍世王や提婆達多が如き悪人につ
いては成仏を許されなかったのであります。しかし、法華経に至って「当位即妙・不改本位」と申して、過去に罪障を積んだ者でも、その身そのままの位で成仏することができたのであります。
故に、大聖人様は『妙一女御返
「今本門の即身成仏は当位即妙、本有不改と断ずるなれば、肉身を其のまゝ本有無作の三身如来と云へる是なり。此の法門は一代諸教の中に之無し。文句に云はく『諸教の中に於て之を秘して伝へず』等云云」(同一四九九ページ)
と仰せられているのであります。
また「逆即是順」と説かれて、爾前権教では順緑の者のみ成仏し、逆縁の者は成仏は許されなかったのでありますが、法華経に来たって、十界互具・一念三千の法門が明かされたことによって、順逆二縁ともに即身成仏することが明かされたのであります。
故に『一念三千法門』には、
ま 「そ此の経は悪人・女人・二乗・闡提を簡ばず。故に皆成仏道とも云ひ、又 平等大慧とも云ふ。善悪不二・邪正一如と聞く処にやがて内証成仏す。故に即身成仏と申し、一生に証得するが故に一生妙覚と云ふ。 義を知らざる人なれども唱ふれば唯仏と仏と悦び給ふ。 『我歓喜諸仏然』云云」(同 一一〇ページ)
と仰せられているのであります。
すなわち、本門戒壇の大御本尊様に対す説いる絶対的確信を持って信行に励むことこそ、一生成仏のための最高至善の方途であので、大御本尊様の広大なる力用と信受し奉る我らの信心、一切を御本尊様に帰命し奉る強盛なる信心があって、三世にわたる真の幸せを築くことができるのであります。
されば皆様には、大御本尊様への絶対的確信を持って、まず、本年立てた折伏誓願は必ず達成され、本年を悔いなく戦いきられますよう心からお祈り申し上げ、本日の挨拶といたします。
(大白法令和6年3月16日号より転載)