大聖人様の三回忌に不参 勘当された日頂

信行のポイント

◇大聖人様三回忌に不参
     勘当された日頂◇
《泣き銀杏》
 千葉県市川市にある日蓮宗・中山法華経寺というお寺をご存知でしょうか。名前らいは聞いたことがあると思います。このお寺は、大聖人様の強信な信徒の一人、富
木常忍さんが自分の家をそのままお寺にした所です。この法華経寺に「泣き銀杏」と呼ばれるイチョウの木があります。実はこの名前の由来が私たちの信心に大変大事なことなのです。

 御会式の時期に「泣き銀杏」の話かと、ピンとくる方もいると思いますが、この大切な話をしたいと思います。
~法華経寺「泣き銀杏」

 (法華経寺HPより)~
《日頂を勘当》
 富木常忍さんは、大聖人様から『観心本尊抄』や『四信五品抄』など、四十三通ものお手紙を頂いた方です。そして、自分の息子をぜひ大聖人様の弟子にと十五歳の長男を捧げ、後に名前を日頂と授けられます。
 この日頂は、大聖人様に大変よくお仕えをして、大聖人様が佐渡に流された時もお供をし、身延に入られた後もお仕えの傍ら、各地を折伏・弘教に東奔西走されていました。その姿に、後に優れた弟子として六老僧の一人に加えられます。
 しかし、連絡手段の乏しい当時、大聖人様が御入滅(お亡くなり)になられた時には、知らせを受けることができず、大聖人様の直接の弟子でありながら葬儀にも百ヶ日忌の法要にも参加できなかったのです。そして、父・富木常忍さんは、「大聖人様の三回忌には必ず出席するように」と、日頂と約束をしました。
 いよいよ三回忌が近づき、鎌倉(神奈川県)周辺で布教をしていた日頂け、準備をして出発しようとしました。するとその時、天台僧から問答を持ちかけられ、「師匠(大
聖人)の悪口を許さし」と問答に応じ、相手を屈服せしめ、急いで法要に駆けつけたのです。しかし、時すでに遅し、法要は終わり、皆解散した後でした。
 急ぎ富木常忍さんの元へ行くも、約束を破った日頂に怒りをなし、お寺ヘー歩も入れず、焼香さえも許さず、
  「大聖人の仏法を修行する者は、折伏は当然の修行である。しかし、師匠・大聖人の三回忌は千年待っても二度とこない。師匠への報恩は絶対に忘れてはいけない。お前は報恩をいい加減に考え怠けたのだ。この罪は絶対に許されることはない!」
と強く、その場で父子の縁を切ったのです
 日頂け泣きながら、富木邸の前にある大銀杏の本の回りを一週間、読経唱題し師匠への不孝を懺悔しますが許されず、とうとう追放されたのでした。
(これが「泣き銀杏」の謂われです)

《後世のために厳しい遺言》
 それから十五年後、富本常忍さんが重い病気にかかり臨終間近になった時、同じ六老僧の日昭と日朗が見舞いに行き
「日頂の勘当を許して下さい」とお願いしました。しかし富本常忍さんは、
 「もしここで勘当を許すならば、後の世でも布教に名を借りて、師匠に対する報恩の誠を尽くすことを怠る者が出てくる。それが信心の退転につなが
るから、末法万年のためにも、ここで息子を許すわけにはいかない」
と言葉を残し、最期まで勘当を解かず、形見として着物を二師に託して、日頂と顔を合わせることかく亡くなられたのです。

 三年後、日頂は違背していた富士の重須の日興上人の元を訪れ、帰伏しています。
《御会式・御講には何が何でも参詣》
 御会式は、年に一度の大聖人様の御祥月御命日(お亡くなりになられた月日)であり、毎月の御報恩御講け大聖人様の御命日に行われる大事な法要であります。

 折伏・家庭訪問も大切ですが、それ以上に大切々のが師匠への報恩です。ましてや、御会式・御講に自分の遊楽のために参加しない、家で寝ているなど絶対にあってはい
けないこと!「御会式・御講は毎年・毎月のことで、ちょうどその日は用事が・・・」と耳にしますが、御会式・御講以上に大事な用事はありません。
仏法の根本は、知恩報恩であり、師弟相対(弟子が師匠に絶対の信を持って随っていくこと)です。この話を忘れず、御会式・御講に必ず参詣しましょう。

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