創価学会
8/6/2018
創価学会の迷走は一体どこまで続くのか、破門から既に四半世紀を超え、本宗の信徒団体として正しく信仰していた往時と比べると、現在の学会は、全くの別物になり果てた。
まるで糸の切れた巨大な凧(たこ)である。
風の吹くまま右往左往し、止めどなく変節を繰(く)り返す。どんなに威勢を張ったところで、早晩、地に堕(おち)ちることは間違えない。
三証不備の創価学会
さて、その学会の現状を、宗教の正邪を判定する三証(理証・文証・現証)に照らし、改めてその邪宗たる所以(ゆえん)を検証してみたい。
①理証
これは、信仰内容の改変に続く改変を見れば一目瞭然だ。
「仏法と申すは道理なり」(御書 一一七九㌻)
である。
二枚舌による過去の指導との自語相違。さらに、大聖人直結、御書根本、血脈否定、本尊迷乱などの邪説は、ことごとく仏法の道理を無視している。
池田大作自ら
「嘘も百回言えば本当になる」
などと大言し、「断じて勝て」と会員を煽(あお)って、嘘やでっち上げなどで理不尽を通してきたのが学会だ。変容著しい今の学会には、仏法の道理すらない。
②文証
本門戒壇の大御本尊への信仰を放棄し、唯授一人の血脈を否定する学会を、正しいと証明する経文や御書は一切ない。反対に、学会の誤りを証明する文証は枚挙(まいきょ)にいとまがない。例えば『上野殿御返事』に、
「日蓮が弟子等の中になかなか法門し(知)りたりげに候人々はあしく候げに候」(同 一二一九㌻)
とある。深遠なる日蓮大聖人の仏法を知ったかぶりする慢心の者が間違いを犯す。まさにこの御文は「未得謂得(みとくいとく)」の学会を指すと知れ。
また『四恩抄』に、
「仏宝・法宝は必ず僧によて住す」(同 二六八㌻)
との仰せがある。仏宝・法宝は、僧宝が護り伝えなければ存在し得ない。”僧侶不要”などと喚(わめ)く在家団体に、三宝は永遠に具(そな)わらない。
彼らが示してくる文証は、すべて宗門を誹謗中傷するために、大聖人の仰せを曲解して引用しているものだ。
『法華真言勝劣事』に、
「文証の所出を知らざる我意の浮言ならば之を用ふべからず」(同 三〇七㌻)
とある。学会の為にする曲解は、「我意の浮言」であり信用に値せず、彼らを正統と証明するものは一つもない。
③現証
創価学会員を折伏したことがある者ならば誰しも目の当たりにしているだろう。
現実に多くの学会員が、正法誹謗の報いで苦しんでいる。
これほど明確な証拠が他にあろうか。
さらに、昨年の衆院選。言わずと知れた、創価学会を支持母体に持つ公明党は、比例代表制が導入されてから初めて得票が七百万票を割り、
前回より三十万票以上減らした。首脳部はさぞかし焦(あせ)っているだろう。この大敗は、組織の衰退を物語っているからだ。衰退こそ邪教の結末である。既に、学会の邪教たる証拠は歴然であり、仏法の裁きに照らせば、彼らの衰退は必定(ひつじょう)である。
三証整足の日蓮正宗
大聖人が『破良観等御書』に仰せの、
「いづれも仏説に証拠分明(ふんみょう)に道理現前ならんを用ふべし」(同 一〇七八㌻)
との御金言によれば、仏法の道理に基づき、大聖人の仰せのままに大聖人の教えを弘めているのは、本宗をおいて他にない。
『三三蔵祈用事』には、
「日蓮仏法をこころみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よりも現証にはすぎず」(同 八七四㌻)
と仰せである。現証と文証に裏付けされた実際の功徳があるかどうか。これが最も重要である。そして現実に、多くの法華講員が功徳を体験し、平成三十三年に向かい、喜び勇んで前進している姿こそ、三証が整足する本宗の正義を証明しているのである。
学会員各位には、一日も早く正法に帰伏することを切に祈る。
(大白法 第九八六号 平成三十年八月一日)