大御本尊への信仰を捨てた創価学会をただす―矛盾のスパイラルにおちいった創価学会
まず初めに破折すべきは、御遺命の戒壇を否定していることです。
大聖人は『三大秘法禀承事』に、
「戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ」 (御書一五九五頁)
と、「霊山浄土に似たらん最勝の地」に戒壇を建立すべきことを仰せられています。
また『日蓮一期弘法付嘱書』には、
「日蓮一期の弘法、白蓮阿開梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」(同一六七五頁)
と、「本門寺の戒壇」を建立すべき最勝の
地は富士山であると教示されています。
にもかかわらず創価学会は、「ある場所
に特定の戒壇があり云々」と述べて、大聖
人が遺命された戒壇を暗に否定しているの
です。
日寛上人は、富士大石寺が「戒壇」の地
であることについて、
「一器の水を一器に瀉すが如く三大秘法を付属なされて大石寺にのみ止まれり、未だ時至らざる故に直ちに事の戒壇之れ無しと雖も既に本門の戒壇の御本尊在す上は其の住処は即戒壇なり」(寿量演説抄・歴全四―一四五頁)
と記されています。
すなわち、本門戒壇の大御本尊まします大石寺が「戒壇」であり、創価学会がいう「特定の戒壇」に当たることは明白です。
これらのことから、創価学会が「特定の戒壇」を否定することは、大聖人の御遺命に違背し、日寛上人の御指南に反する大謗法なのです。
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