大御本尊への信仰を捨てた創価学会をただす―矛盾のスパイラルにおちいった創価学会
創価学会は、ことあるごとに「創価学会こそ広宣流布を推進する教団」と主張しますが、日寛上人は広宣流布について、
「文底深秘の大法、其の体如何。答う、即ち是れ天台未弘の大法こ二大秘法の随一・本門戒壇の御本尊の御事なり(中略)此の本尊は広布の根源なり」(撰時抄愚記・文段二九〇頁)
と仰せられています。
つまり、広宣流布とは本門戒壇の大御本尊を流布することであり、本門戒壇の大御本尊こそ、広宣流布の根源なのです。
かつて、不相伝家の他門のなかにも、言葉のみの広宣流布を盛んに主張した例が、いくつかあります。
日蓮宗(身延派)の宗制には、
「本宗の布教は、広宣流布の祖願達成を主眼とする」(日蓮宗宗憲第七条)
とあり、日蓮宗の一如日重(身延二十世)は『見聞愚案記』に、
「誓願の事、広宣流布の願望肝心なり(該書二〇―一五頁)
と言い、
本門仏立宗の長松清風(旦扇)は、
「今生人界の思ひ出をはたさんと、弘通広宣の道に励み給ふべき事専要に侯」(仏立宗義書四―二八四頁)
と言っています。また、国柱会の田中智学も。
「妙信妙行を具足したる一大主義は(中略)終に宇内万邦に広宣流布すべき、末法応時の憲教たる本化妙宗これ也」(日蓮主義教学大観一―四二三頁)
と言っています。
これらの宗派は、本門戒壇の大御本尊を知らず、御本仏大聖人の御聖意に背いているのですから、広宣流布という言葉はあっても、その実はないのです。
創価学会も同様に、いかに「広宣流布」を口にしようとも、それは所詮、空虚な妄想でしかありません。