大御本尊への信仰を捨てた創価学会をただす―矛盾のスパイラルにおちいった創価学会
本来、創価学会は本門戒壇の大御本尊への信仰を世の中に弘めるための教団でした。次に挙げる、初代会長牧口常三郎氏、第二代会長戸田城聖氏、さらに、かつての池田大作の言葉がそれを明確に示しています。
○初代牧口会長
「御本尊の中、総与の御本尊と称して、大石寺に伝へられる大御本尊を信じ奉る者が正しい信者である」(牧口常三郎全集一〇―一五一頁)
○第二代戸田会長
「もっとも完全無けつな仏法が正宗なのである(中略)私達は無智な人々を導びく車屋である。迷ってゐる人があれば車に乗せて大御本尊様の御もとへ案内して行くの
が学会の唯一の使命である」(大白蓮華・昭和二四年二一月号一頁)
「現代に於ては時刻相応の教と云うならば、富士大石寺にいます一閻浮提総与の御本尊を信ずる事である。大聖人の御命たる大曼荼羅を信ずる事でありその大曼荼羅中の極説中の最極説たる弘安二年十月十二日御出現の総与の御本尊こそ真の民衆救済の御本体であらせられる」(大白蓮華・昭和二九年七月号巻頭言)
○第三代池田大作
「大聖人様はどのようにおおせになったか。末法において成仏する道は、絶対の幸福生活を会得する直道は、弘安二年十月十二日の大御本尊様を拝む以外にない。これが日蓮大聖人の出生の本懐であると、おんみずから御本尊様をお遺しくださったのであります」 (会長講演集ニー五六頁)
これら歴代会長の指導にもあるように、創価学会は大御本尊を信仰の根本としてきた教団です。
今回、創価学会が行った大御本尊の放棄は、歴代会長の指導に背反し、八十数年にわたる創価学会の信仰を根底から覆すものです。
会則改変の実質的責任者である池田大作に至っては、その自語相違は甚だしいものであり、牧口・戸田両会長の功績を無にする、不肖の弟子と言うほかはありません。