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日蓮宗を破す

諸宗教破折
8/21/2018

【概 論】
日蓮系教団は、古来、法華宗と総称されており、後に天台法華宗と簡んで日蓮法華宗、或いは単に日蓮宗とも呼称するようになった。教義的には一致派と勝劣派に大別される。
明治五年、政府は一宗派一管長の方針のもと、官命により一致派、勝劣派を合併せしめ、全教団を統一して日蓮宗と名乗らせ、管長を各派交代制としたが、かかる合同は宗教的に不可能であり、運営に支障をきたしたため、同七年、各派独立の方向に修正した。この折、「日蓮宗一致派」は政府に対し、宗派名中の「一致派」の名称を削除して欲しい旨、度々強訴し、同九年に認可を得て、「日蓮宗」と名乗ったのである。よって今日における「日蓮宗」の呼称は、通常、この狭義の、身延山久遠寺を総本山とする身延・中山・池上等の一致派門流の宗派名を指している。
またこのとき、勝劣各派は、それぞれの宗派名に日蓮宗の名を冠して名乗ることとなり、大石寺を始めとする日興上人門流もこのような事情により、「日蓮宗興門派」と名乗った時代もあった。しかし、それはあくまでも政府の宗教政策に基づく法制的呼称であり、一致門流の「日蓮宗」に宗教的に包摂された意味の名称ではないことは当然である。日蓮大聖人の仏法の正嫡門流は富士大石寺以外にないことは史実に照らし明らかなのである。
すなわち、「日蓮宗」が総本山とする身延山久遠寺は、当初、日興上人が掌理されたことが、『身延山付嘱書』に明らかであり、また『美作房御返事』『原殿御返事』等のお手紙からは、当職とされて、日蓮大聖人の仏法の正義を濁りなく後世に伝えるために、いかに御苦心なされたかが伺える。すなわち、日興上人より久遠寺の学頭として遇された六老僧の一人、民部日向と、地頭の波木井実長は、『立正安国論』の神天上の金言に背いて社参を行い、一体釈迦像の造立、謗法の念仏に対する布施など、大聖人一期の御化導における破邪顕正・謗法厳戒の規範を乱す師敵対の謗法を犯すに至った。
日興上人が正応二年(一二八九)春、断腸の思いで身延を離山あそばれたのは、偏に大聖人御建立の正法を、かかる謗法から厳護する目的であられたのである。
なお、勝劣派等の日蓮各派については、次回以降、順次破折する予定なので、今回は所謂、一致派の「日蓮宗」について破折を加える。

【本 尊】
久遠実成本師釈迦牟尼仏

【教 義】
「日蓮宗」においては、他の日蓮門下と同様、法華経を所依の経典とする。
三宝を
仏-久遠実成の釈迦牟尼仏
法-南無妙法蓮華経
僧-日蓮大菩薩
と立て、仏使日蓮聖人に導かれて、釈迦仏の正言たる法華経所説の皆成仏道・久遠実成・事の一念三千の教理を体し、法華経の題目、南無妙法蓮華経を身口意三業に受持し、謗法への折伏諌暁と法華経流布を行い、仏国土顕現、立正安国論の実現をめざすとしている。
この「日蓮宗」の教義の特徴は、本迹一致を標榜するところにある。五老僧の日昭、日朗、日向など、一致門流の派祖たちは一様に「天台沙門」と名乗ったが、その所説も台当一致の謬義であった。
日朗の『本迹見聞』には、釈籤の「長寿は只是れ証体の用」等の文を挙げ、「迹門は体、本門は用」であるとし、『開目抄』の文底秘沈の御指南についても、一念三千の法門は、「寿量品に顕わならず、方便品に寿量の実相を説く」として、久遠においては法華経の本門と迹門は一体であり、「本迹未分」であるとの天台ばりの法門を説く。日向門流においてもほぼ同様で、身延教学を大成したとされる行学日朝は、「本迹未分の法体、妙法蓮華経」「実相の極理は本迹一体なり」等と、本迹の未分・一体を論じている。
以降、幕末の学僧日輝にいたる間、勝劣派との問答等を経て、一往は本迹の勝劣を認め、本門に立脚しつつ、再往は一致とする説が種々行われた。しかし如何に緻密な論を作り上げても、結局は一致論であり、これ等の説が共通して、教相上の本迹は勝劣、観心においては一致する点で、同派古来の「未分・一体論」の桎梏から出ずるものではない。
つぎに本尊論においては、仏本尊、法本尊の両義を立てる。それぞれの時代的消長があるが、そのいずれもが大聖人の正義とはかけ離れたものであることはいうまでもない。

【破 折】
イ、本迹一致論について
日蓮大聖人は『治病大小権実違目』に、
「本迹の相違は水火・天地の違目なり」(御書一二三六㌻)
と仰せられ、更に『妙一女御返事』には、
「迹門は理具の即身成仏、本門は事の即身成仏なり」(御書一四九九㌻)
と御指南される。さらに『立正観抄』には、
「三諦と云ふも三観と云ふも三千と云ふも不思議法と云ふも、天台の己証は天台の御思慮の及ぶ所の法門なり。此の妙法は諸仏の師なり。(乃至)本地難思の境智の妙法は迹仏等の思慮に及ばず」(御書770㌻)
と仰せのように、大聖人の説かれた本門の法とは、単なる理法ではない。久遠当初の仏により覚られたところの境智の当体であり、仏身である。実相とは迹仏の理談に過ぎず、迹仏の思慮すら及ばない久遠の本法について、本迹未分とか、実相の理は同じとか、末弟が論断すること自体が浅識謗法である。
また、『開目抄』には、
「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり」(御書五二六㌻)
と、「一念三千の法門」の有り場所が文底と示されるが、これにつき、一致派では、文上本果の釈尊を迹とし、この釈尊により覚られた文底の実相本覚の理を本として、始覚即本覚であり、本迹は一致であるとする。かかる一致派の本迹論は、色相本果の釈尊に執着し、体外の浅見をもって文底体内の無作三身義に踏み込んだ妄言である。文上・文底の仏の身と位に迷い、本因妙の凡夫即極の本仏本法が寿量文底に在すところに本勝迹劣の真義があることに惑う虚妄の論なのである。

ロ、本尊について
一致派に限らず五老僧の門流は、絵像木像の釈尊の仏像を本尊として重視し、大曼荼羅を軽視する。これは五老門流が仏像の小乗・大乗、権教・実教等の意味に暗いことを示している。その好例が、日朗が身延から立像の一体仏を持ち去ったことである。西山本門寺に蔵される日興上人の『御遷化記録』(重要文化財)には、
「御遺言に云はく仏は(釈迦立像)墓所の傍らに立て置くべし云々」
と記録されている。これは、大聖人が釈迦立像仏を帰依礼拝の対象たる本尊としてはならないことを明言された証拠である。脇士の無い一体仏は小乗の本尊にも及ばず、まして末法の本尊でないことは当然である。しかるに一致派においては、この釈迦立像について、「日朗に与えられた仏像」などと誑惑し、本尊として正当化しょうとしているのである。
今日、一致派においては、次の五種の本尊を立てる。(日蓮宗読本)

一、首 題 本 尊
二、釈 迦 一 尊
三、大 漫 荼 羅
四、一 尊 四 士
五、二 尊 四 士

このうち一と三を法本尊、二、四、五を仏本尊とし、その中心は、三の大漫荼羅と、四の一尊四士であるが、祖書の教示等に照らし、一尊四士を日蓮宗の本尊と奠定するのが至当とする。そしてその根拠は、『観心本尊抄』の次の文にあたるというのである。
「此等の仏をば正像に造り画けども未だ寿量の仏有さず。末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか」(御書六五四㌻)
「此の時地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし」(御書六六一㌻)
前の文においては、「仏像出現」の語句があること。次の文では「本門の釈尊の脇士と為り」と読ませることにより、一尊四士本尊の依文とするものである。一尊四士とは、中央に久遠実成の釈尊像、左右に上行、無辺行、浄行、安立行の本化の四菩薩像を脇士として置く、仏像安置の形式のことである。
この『観心本尊抄』の両文のうち、まずはじめの文は末法万年弘通の下種の大曼荼羅本尊を示された直後の文であり、当然この大曼荼羅本尊を末法に出現される能弘の仏を示された文と拝すべきである。故に「出現」の語句を使用されるのである。
その理由は、『観心本尊抄』にはこの後、「出現」の語句が九箇所に用いられているが、そのすべてが南岳・天台や四依の大士など、現実の正像末の歴史的段階に表われる人格を指されているからである。また次の文についての解釈もまったくの誤読である。それは、『日蓮宗』では、地涌千界が出現して、「本門の釈尊の脇士となり」と読ませ、中央の釈尊像に四菩薩が脇士となる、所謂一尊四士本尊の依文とするが、現実に末法の世に出現する四依たる生身の地涌が、どうして仏像の釈尊の脇士になれるというのか。この「本門の釈尊」は下の句の「一閻浮提第一の本尊」にかかる語であり、地涌千界が出現して、「本門の釈尊」を脇士と為す本尊、すなわち大漫荼羅を建立するとの御指南と拝さなければならない。
その証拠は、大聖人は御一期において、まったく木像画像の本尊を建立されていないことである。もし大聖人の正意が木画の仏像造立にあるのであれば、地涌千界が末法に出現して建立すべき本尊を大聖人は建立されていないことになる。それでは『聖人御難事』の「余は二十七年なり」の本懐成就の御文の意義が成り立たず、大聖人が本化地涌の上首ではないことになろう。ここにおいて、「一閻浮提第一の本尊」とはまさしく事の一念三千の大漫荼羅であることが明らかなのである。
次に『日蓮宗』においても一往大漫荼羅を本尊とする義もある。しかし、その大漫荼羅本尊に対する信解に大きな誤りが存するのである。それは五老門流の直弟は、大漫荼羅から日蓮の御名を除き、そこへ自己の名を大書しており、首題の直下に日蓮在判と書かれたのは、日興上人御一人である。(日興上人の義を身延において知り得た日向には僅かにある)これこそ不相伝の故に、五老僧が大漫荼羅の当体を大聖人と拝することができず、まったく別個のものと考えた証左である。日興上人以来、本因下種仏法が正しく相伝された日蓮正宗においては、大漫荼羅を日蓮大聖人の一身の御当体と信受するが、そこにこそ、末法の一切衆生の即身成仏の直道が存するのである。

ハ、謗法厳誡について
『日蓮宗』においては、日蓮大聖人を「大菩薩」と呼び、「僧宝」とする。しかるに『開目抄』には、
「日蓮は日本国の諸人に主師父母なり」(御書五七七㌻)
と、日蓮大聖人こそ末法の一切衆生にとって主師親の三徳を具えた仏であることを明かされている。末法真実の仏を「菩薩」と下すことは不知恩の極みと言わねばならない。
また『日蓮宗』では、鬼子母神、稲荷、七面大明神、摩利支天、帝釈天などを祀って拝ませているが、このような雑乱信仰が宗祖の厳しく禁じられた謗法に当ることは言うまでもない。波木井実長以来のこれらの謗法も、その根本の原因は、日蓮大聖人を末法の仏と仰ぐことができず、正法正義と謗法厳誡の御化導に背反したところに存するのである。
身延においては明治八年の大火により、人本尊開顕の書『開目抄』をはじめ、ほとんどの御真筆が烏有に帰している。これを謗法・不知恩の厳しき現罰と覚り、日蓮大聖人出生の御本懐たる文底秘沈の三大秘法の大御本尊に帰すべきである。

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