諸宗教破折
11/26/2016
四年に一度のオリンピックと共に訪れる「閏年」(うるうどし)の本年。この年に
遍路をすると、何とご利益が三倍になるらしい。巡礼者にとって最大の関心事であろう。
遍路の現状
「遍路」とは、空海(弘法大師)の足跡をたどり、四国八十八万の霊場を巡礼することである。
かつては遍路は、家内安全・病気平癒・先祖供養など、現世や将来を願う祈りの旅であった。
しかし、近年では信仰によるもの以外に、健康維持やストレス解消、また自分自身を見つめ直す、さらに単なる観光というように様々な目的で巡られているのが実状のようだ。
このことに商機を見出した商魂たくましい業者は、「歩き遍路」以外にも「自家用車遍路」は「乗合バス遍路」さらには「巡礼代参サービス」や「お砂踏み」なる横着なサービスを展開するなど、もはや当初の「足跡をたどる」という意義はどこへやらといった有り様である。
また、一昨年は四国霊場開創千二百年という筋目の年に当たり、旅行各社も需要拡大を見込んで様々なプランを打ち出し、さらには四国四県も遍路を盛り上げるべく、様々な企画を行っていた。
一例を挙(あ)げれば「四国へんろ展」の開催や、全国に遍路を知らしめるべく「一日で巡るお遍路さんin丸の内」「お砂踏みin仙台空港」など、専用のラッピングカーで全国を巡回するといった力の入れようだ。
また各寺院でも「記念スタンプ」や「記念御影」を用意するなど、受け入れ側も抜かりはなく、まさに四国全土を挙げて遍路をアピールしたのである。
三倍の由来は拙(つたな)い伝説
そして今年は、何と遍路のご利益が「三倍」になるという、なぜ三倍なのか。
事の始まりは次の伝説に由来する。
「ある日、河野衛門三朗という強欲非道な大百姓が、托鉢(たくはつ)の鈴に昼寝を破られた。腹を立てた衛門三朗は、その旅僧を竹箒(たけぼうき)で叩いて追い返すと、その後、八人の子供が次々と死んでしまった。悲しみの中、強欲であったことを悔い、あの時の旅僧が弘法大師であったと気づくと、許しを乞(こ)うべく後を追った。しかし、四国霊場を二十回回っても弘法大師に出会えることはなかった。そこで衛門三朗は、閏時のこの年、二十一回目にして逆回りをすれば出会えるのではないかと考え、逆打ちを始めると、間もなく足腰が立たなくなり倒れてしまった。すると目の前に弘法大師が現れ、そこで衛門三朗はこれまでの行いを深く懺悔し、許しをもらうことができた。
さらにはその後、伊予の領主・河野一族の世継ぎとして生まれ変わる願いも叶った(衛門三朗の伝説は諸説あり)」
この伝説が基となって、「閏年」に礼所の八十八番から一番に向かって「逆打ち」すると、そのご利益がなぜか三倍になるそうなのだ。何とも説得力に欠ける「遍路伝説」ではある。
遍路に真の利益なし
遍路で巡礼する礼所のほとんどは空海を祖とする真言宗の寺である。
空海は「顕劣密勝」(けんれつみつしょう)と言う自分勝手な己義(こぎ)を構(かま)え、顕教は劣り、密教である大日の三部経を最勝と説いて大日如来を本尊と説いて大日如来を本尊とする。
しかし、大日如来の一切諸経を説いた釈尊が、
「我が所説の諸経 而(しか)も此(こ)の経の中に於(お)いて 法華最も第一なり」(法華経 三二五ページ)
と述べているように、すべての経典の中で法華経こそ最も正しい教えであることは明らかである。
しかも大日如来は現実に世に出現して成道した仏ではなく、釈尊が迹(しゃく)を垂(た)れた法身・理仏であって、これを本尊として用いることも釈尊の本意に背く邪義であり、法華経誹謗(ひぼう)の罪過に当たるものである。
日蓮大聖人は『如説修行抄』に
「諸経は無得道堕(だ)地獄の根源、法華経独り成仏の法なり云云」(御書 六七三ページ)
と御教示のように、法華誹謗の空海をいくら遍路で念じて歩こうが、そこには真の利益の存しないことをよく知らないとなるまい。
(大白法 平成二十八年 七月十六日号)