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命を懸けるべき修業とはー日蓮宗

諸宗教破折
命懸けの修行!?!
 日蓮宗の大本山である中山法華経寺(千葉県市川市)では、毎年十一月一日から二月十日までの寒中に
「百日大荒行」が行われる。
 頭上から水をかぶる水行を一日七回。それ以外の時間はひたすら法華経の読誦と、相伝書を書写するという。
 食事は一日二食の重湯に近いお粥と味噌汁のみ。 睡眠は二十三時半からの三時間で、初めの三十五日は面会も許されない。
 衣服は死に装束と考えられる薄い木綿の単衣。常に裸足で、足がザクロのように割れるという。過去に死者も出ていることから、世界三大荒行に数えられ、修行を終えた者に修法師の資格が与えられ、加持祈祷をすることが許される。
 日蓮宗によると、
「寒さと飢えと睡魔に耐えながら、外界から完全に遮断された環境で、 ひたすら修行を続けることによって、力を習得するのです」(日蓮宗ホームページ)
と述べ、また荒行の伝師(指導者)は、「荒行を遂げた身体に霊道が開かれ、大きい力(神仏)と感応道交できる精神集中が可能になり、そこに行者と相手(人々)の気の交流がおこる」(週刊仏教タイムス 平成二十
五年二月二十八日付)とのこと。
 中山の法華経寺といえば、国宝の『立正安国論』や『観心本尊抄』をはじめに 大聖人の御真蹟を数多く蔵する古刹である。それもひとえに開基 富木常忍の功績といえよう。
 そんな由緒ある寺院が、「大荒行」などという見た目にとらわれた修行で名を馳せているとは、富木常忍も草葉の陰で嘆いているに違いあるまい。
 果たして荒行に、一切衆生が成仏する道筋はあるのか。
 宗祖日蓮大聖人は『唱法華題目抄』に、「利根と通力とにはよるべからず」(御書 二三三ページ)
と仰せである。
 利根・通力に、人間の生命を浄化する力はない。そればかりか、祈祷師などにすり寄って正しい仏法を見失ってしまうため、厳しく禁じられている。
曲解された本尊観
 大荒行堂には、秘蔵とされる鬼子母神を安置している。鬼子母神が法華経の行者を守護することから、日蓮宗は破邪調伏の面を押し出し、祈祷の本尊と定めたのだろう。
 しかし、大聖人は『安国論御勘由来』に、
「諸大善神、法味を喰はずして威光を失ひ、国土を捨て去りぬ」(同三六八ページ)
と御教示されている。
 元来、法華守護の善神である鬼子母神は、正法の妙 味を唯一の資糧として威光勢力を増す。ところが、国衆中に謗法が充満するならの ば、善神は法味に飢えて天上に帰ってしまい、善神がいなくなった寺社には、悪鬼や魔神が乱入して種々の災いをもたらすのである。
 信仰の対境はあくまで妙法の大御本尊であり、鬼子母神を拝む修行は仏法に背く所業となる。
破邪顕正の折伏
 大聖人は『聖愚問答抄』に、
 「今の世は濁世なり(中略)此の時は読誦・書写の修行も観念・工夫・修練も無用なり。只折伏を行じて力あらば威勢を以て謗法をくだき、又法門を以ても邪義を責めよとなり」(同四〇三ページ)
と仰せで、破邪顕正の折伏こそ、大聖人が振る舞われ正法流布の御化導そのものである。信仰の根本を違え、形ばかりの荒行に執れる日蓮宗に、正義などあろうはずがない。
 加えて、荒行を終えた修荒行を終えた修行者が自坊でどのような祈祷をするかといえば、「宗教宗派は問いません」と、信仰の正邪についてはおかまいなし。
 しかし、大聖人が『日厳尼御前御返事』において、
「叶ひ叶はぬは御信心により候べし」(同一五一九ページ)
と御教示のように、信仰を持つ者の信力と行力が、御本尊の絶対の仏力と法力と冥合して、大功徳を成就するのである。
 本門戒壇の大御本尊への清浄な信心をもって唱題・折伏に励むことこそ、よりよい未来を切り開く唯
一最尊の方途である。
(大白法令和6年4月16日号より転載)

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