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諸宗は本尊にまどえり 正信会

諸宗教破折
4/6/2018

正信会の訴訟沙汰(ざた)
正信会が発行する『正信会報』の平成三十年正月号に、東京地方裁判所での和解条項が載(の)っていた。
先年、正信会は、独自に宗教法人を設立。その所業は、日蓮正宗とは全く無関係な「宗派」の故に、とどのつまり、「正信会宗」の旗揚げに他ならないと、拙稿は幾度となく指摘した。
正信会側は、これに対して、正鵠(せいこく)を射ない言い訳をしていたが、宗教法人の設立を契機に、組織を二分する訴訟沙汰にまで至っていたのだ。何たる始末、本当に情けない。

同体異心の象徴
その和解条項「一」には、
「原告と被告法人は、原告と被告法人がそれぞれ別個の宗教団体として存在し、独自の宗教活動を行っている団体であることを相互に確認する」(正信会報 一六三号三七㌻)
とある。これをもって従来の「任意団体正信会」が原告となり、「宗教法人正信会」を相手に法廷闘争をしていたことが判る。かつては同じ目的観を持っていたはずなのに、会を二分して争うとは、同体異心を象徴する出来事ではないか。

何の意味もない争い
何でこんな羽目(はめ)に陥(おちい)ってしまったのか。
和解条項「二」を見ると、正信会名義で保有する財産を、任意団体正信会が2、宗教法人正信会が1の割合で分配しることも取り交(か)わされている。つまり、結局は財産の帰属を巡る争いだったのだ。
お粗末なことと、呆れる他はない。
任意団体正信会の議長である田村竜道が、
「任意団体正信会・法人正信会いずれか正統なる正信会か、などと主張し合ったところで、裁判では意味があったでしょうが、信仰の上からいえば何の意味もない」(同 一㌻)
と切ない心情を吐露(とろ)するのも頷(うなず)けようというものだ。
その田村議長、かつてはこのように発言している。
「独自の宗教活動を行っているということは、独自の教義・独自の本尊・独自の信仰・独自の宗教目的に基づいて宗教活動をしている教団ということです」(同 一六〇号四㌻)
まさにその通りであるが、ならば問う。
任意団体であれ、法人であれ、総じて正信会は、現在、日蓮正宗とは別個無縁に運営されている。
すなわち、独自の宗教活動を行っているのである。
そうであるならば、独自の教義・本尊・信仰・目的に基づいて運営されていることになるではないか。
その状況の中で、いつまでも、本門戒壇の大御本尊を信仰していると言い張ること自体が、極めて矛盾(むじゅん)しているとは思わないのか?

大同小異の大謗法
今や正信会は、真っ二つに分断されている。
一方の宗教人正信会は、本門戒壇の大御本尊への信仰を否定し、創価学会と何にも変わらぬ大謗法団体と成り果てた。そんな者たちが、何を根拠に創価学会を謗法呼ばわりできるのか、理解に苦しむ。
他方、任意団体正信会は、日蓮正宗の信仰の根源は御戒壇様に尽きると、法人側の謗法を非難するが、独自の教義と信仰に基づく、日蓮正宗とは別教団であることに変わりはない。
詮ずるところ、大同小異の謗法同士がせめぎ合う、滑稽(こっけい)な構図である。
当事者は気づいていないようだが・・・・。

懺悔(ざんげ)滅罪の霊場
総本山第二十六世日寛上人は『文底秘沈抄』に、

「三大秘法随一の本門戒壇の大御本尊は今富士の山下に在り」(六巻抄 六四㌻)

と御教示された。
この本門戒壇の大御本尊在(ましま)す住処は、日蓮大聖人が『三大秘法抄』に、

「三国並びに一閻浮堤の人懺悔(ざんげ)滅罪の戒法」(御書 一五九五㌻)

と仰せられた霊場である。
正信会諸氏よ、法人側だの、任意団体側だの、嘴(くちばし)を突き合っても詮なきこと。一刻も早く懺悔滅罪の霊場に参詣し、大謗法の数々を悔い改めよ。

(大白法 第九七八号 平成三十年四月一日

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