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箍の外れた集まり 根無し草の末路ー正信会

諸宗教破折
宗門第一尊厳の化儀
 かつて、総本山第五十九世日亨上人は、「曼荼羅書写本尊授与の事は・宗門第一尊厳の化儀なり、(中略) 然るに余門流の僧侶不相伝の儘猥りに曼荼羅を書き散して、僭越の逆罪とも思はざるのみならず・雑乱滅裂全き型式をだに得たるものなし、無法無慙のはなはだ甚しきもの八大地獄は彼等の為に門を開けり・慎まざるべけんや」
と厳しく仰せられた。
 ここに、敢えて「曼荼羅書写」と「本尊授与」との二つを並び示されている意義を見過ごしてはならない。
 資格のない者が、勝手に御本尊を書き顕わせば大謗法なのは言うまでもないし、たとえ書写しなくても、無権能者が御本尊を授与す「僭越の逆罪」である。
 創価学会は、日寛上人御書写の本尊を好き勝手に『ニセ本尊』に仕立て、直接は「書いてない」と言い訳する。しかし、第一尊厳の化儀を蹂躙して、権能がないのに「本尊授与」していることは間違いなく、「八大地獄は彼等の為に門を開いていることは疑う余地がない。
 同じく正信会も、手前勝手に本尊を授与しているのだから、創価学会の大謗法と毫も変わりはない。
箍の外れた集まり
 創価学会を指弾してきたという正信会が、創価学会と同等の大謗法に手を染めているとは、何とも愚かしいことではないか。
 その正信会で、
「今のように、箱の外れたような考え方、行動が蔓延する事になると、正信会は本来の目的や使命の達成といったことに純粋に身を投じることを忘れ (る)」(正信会報 一七九号五三ページ)
のではないかと、古参の正信会僧侶が憂慮する記事が載っていた。
 「箍の外れた」とは実に判りやすいが、外れるも何も、正信会には、最初から「箍」などない。
 分別も学会員を教導するとの慈悲心もなく、彼らの目的は、ただ創価学会を非難攻撃するだけで、そこには、何の筋目もなかったのだ。口では、
「富士大石寺に清流をもどす」(同五二ページ)
などと言うが、今や宗門の埒外なのだから、実効性は全く伴わない。
 所詮、組織の設立当初から、めざす目的に迷う集まりだったのである。
 共通の目的意識がない烏合の衆なのだから、「箍の外れたような考え方」となるのは当然である。
日蓮正宗僧俗の使命
日蓮大聖人が、
「法自づから弘まらず、人、法を弘むるが故に人法ともに尊し」(御書一六八七ページ)
と御教示の如く、正法広布こそ本宗僧俗の使命である。その正法とは具体的には何を指すかを、第六十六世日達上人は次のように明快に御指南されている。
「戒壇の御本尊に依って、我が宗旨が建立されておるのであります。それが、たまたま違ったことが入るならば、それは、日蓮正宗でもない。(中略) 日蓮正宗の教義が、一閻浮提に敷衍していってこそ、広宣流布であるべきであります。
 日蓮正宗の教義でないものが、一閻浮提に広がっても、それは、広宣流布とは言えないのであります」(大日蓮 三四二号)
 すなわち、本門戒壇の大御本尊を一大秘法と仰ぎ奉り一切衆生へ弘教することが広宣流布であり、ここに本宗僧俗の使命がある。
 これを踏み外せば、広宣流布の根拠は失われ、すべては徒労に終わる。
 前出の正信会報では、
「我々は宗門側から分裂したのではなく、阿部日顕師の意に従わないという理由から追放された」
(正信会報 一七九号五四ページ)
と述べるが、「追放された」のは、追放されるべき理由があったからである。
存在意義は何もない
 古くは五老僧との決別や身延離山、近年では顕正会も創価学会も、謗法厳誠の宗是に則って排除されたのである。
 自らを省みず、謗法を懺悔することもない者たちに、広宣流布を語る資格は微塵もない。


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