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陽気?いえ、陰気臭いですー天理教

 諸宗教破折
 奈良県天理市は、言わずと知れた天理教の本拠地。
 天理教とは中山みきを教祖とする、新興宗教の草分け的教団だ。
 街中の広大な教団の敷地には、大きな神殿のみならず、信者が滞在する宿舎が数多く立ち並ぶ。また、教団が運営する病院や学校、図書館などを見ると、同市における教団の影響力は甚大なようだ。
荒唐無稽な説話
「ようこそおかえり」
街のいたる所で見られる文言だ。教団本部の神殿中央には、「かんろだい」なる六角柱の台が立ってい
る。そこが人類誕生の聖地「ぢば」であるとして、その地に詣でることは信者の大切な修行である。
 人類の誕生の地とはどういうことであろうか。 教団の言う創造説話『泥海古記』によると、世界の始まりは泥の海であり、天理王の命という神は、その風景が物寂しいと考え、人々が陽気ぐらしをするのを見て楽しもうと考えた。そこで、泥の中にいたドジョウから人間を作ったという。
 我々人類は皆、神の子であると共にドジョウ兄弟でもあると言う。こんな馬鹿げた話、誰が信じるのかと思うが、教団は本気である。彼らにとって、親である神の願い通りに陽気ぐらしをすることこそ、信仰の目的なのである。
「貧に落ち切れ」
 陽気ぐらしとは、「をしい、ほしい、にくい、かわい、うらみ、はらだち、 よく、こうまん」の八つの心の埃を払い取り、喜びの生活を送ることである。そして、このような陽気ぐらしを教えるため、件の神は教祖の中山みきを神の社として憑依し、この世に現れたとしている。よって教団は、みきの言動のすべてを陽気ぐらしのための手本と見て、修行の指針とするのだ。
 その実践の一つに、「貧に落ち切れ」というものがある。
 みきは、神からの命令に従い全財産を人々に施したことにより、その日に食べる物にすら窮したほどだったという。
 教団は、このような行動を「どのような境遇でも心の持ち方一つで陽気ぐらしができるという手本である」と、美徳の行為として教える。そうして信者は、欲の原因である金銭をお供えして、日常生活を離れて本部や教会に行き、 他人のために奉仕するのである。
 しかし、上層部はというと、次期教主(真柱)である中山大亮の結婚式の披露宴では、レーザービームやムービングライトが縦横無尽に飛び交うなど、莫大な資金をかけて盛大に開催された模様。この披露宴も恐らくは信者らによるお供まかなえで賄ったであろう。信者に強要する「貧に落ち切る」にはほど遠い姿である。
 信者が貧に落ち切るために切り詰めながらお供えするのを尻目に、幹部が贅沢に暮らすとは、これ以上陰気な話はあるまい。
因果を弁えぬ教団
教団は、
「子供の成人を促すべく現身をおかくしになりました。(中略)これまで同様、元の屋敷にお住ま
いになり、変わることなく世界たすけの上にお働きくだされています」
(教団ホームページ)
と、今なお教祖は生き続けているという妄説を打ち出している。そのために、食事や風呂の用意までするという徹底ぶりには、心底驚かされる。
 これは、みきが常々人の定命は百十五歳と言っていながら、当の本人が九十歳で亡くなったため、これに驚いた教団が、「教祖は今なお教祖殿にて生きており、人々に教えを説いている」という珍説を持ち出すハメになったらしい。
 所詮、天理教の教えは、すべて、みきが神がかりしたことで生み出されたものであり、教祖を祀り上げなければ教団は立ち行かないのだろう。
 そんなに苦労して算段しようとも、因果の道理を弁えずに信者を騙す教団に救いはない。したがって、待てど暮らせど〝陽気ぐらし”などはやってこない。
日蓮大聖人は、
「因果を弁へざる事嬰児のごとし」(御書 五二六ページ)
「只正理を以て前とすべし」(同四〇二ページ)
と御教示である。因果を知らない天理教信徒には、日蓮正宗の大白法による真の幸福を教えるしかない。



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