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血液型による性格判断などをどう考えるべきか

 「正しい宗教と信仰」に学ぶ(大白法)
 血液型に関する本を読んでみますと、統計的なことを主体としてのべられていますから当を得ているように思われるところもあります。たとえば血液型には本質的に、それぞれの特徴があり、その表れ方によって長所にもなり短所にもなることを示しています。
 その意味からいえば、血液型による判断は迷信とか謗法というにあたりませんが、血液型判断をもって人生の根本指針を決定したり、他人の性格や長短を頭から決め込んだりすることは賢明ではありません。
 仏法では人生を、因縁すなわち過去の因と助縁そして未来の果という一連の流れの上でとらえています。
 また、人間もそれぞれ因縁をもって生まれてきます。血液型にしても自らの過去の業を因とし、各々の両親という縁によって決まります。その性格も、血液型だけではなく、育った環境や教育、その人の生きてきた過程などのあらゆる縁によって違ってくるのです。同じ血液型でありながら正反対の性格の人があったりするのはこれらの縁や過去からの業などによるものといえましょう。
 また、どのような血液型で生まれてきても、短所を長所に転換し、正しく向上するためにもっとも肝要なのは、生命の根源に作用するところの正しい信仰を持つことなのです。
 日蓮大聖人は、
「只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり。是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし。深く信心を発こして、日夜朝暮に又懈らず磨くべし。何様にしてか磨くべき、只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを、是をみがくとは云ふなり」
(一生成仏抄・新編四六)
と仰せです、私たちがどのような血液型であれ、またどのような血液型の人とめぐりあったとしても、それによって性格や相性などが決定されるということではなく、正しい仏法によって練磨し、修行していくことが豊かな人間性と正しい人間関係を築く道なのです。

【折伏実践のために】

血液型で判断できる?
 血液型にこだわって知りたい何かとは、おそらく「自分の性格」や、それによる「自分の未来」でしょう。血液型に関連する本は、本文にあるように統計から割り出して述べているものも多いですから、「そうそう、思い当たる」と頷うなづける点もあるでしょう。
 しかしよくよく読めば、それに当たらない場合の措置として、幅を広くとって書かれていることに気付きます。つまりは、「思い当たる」部分も「そうとは言い切れない」部分もあるのですが、赤い車を意識すると急に赤い車が多く感じるのと同じで、「ここも当たっている、ここもだ」となり、信じ込むのです。
 血液型に関する書籍やサイトがなくならないのは、「あなたは本当はこんな人」「ここは短所となるから、こうしましょう」と言われて喜ぶ人が多いからでしょう。
 
 「当たる部分」も「当たらない部分」もあるのはなぜ?
 これは、仏法で説かれる十界互具の法理に明らかです。
 大聖人様は『観心本尊抄』に、
「瞋いかるは地獄、貪むさぼるは餓鬼、癡おろかは畜生、諂てん曲ごくなるは修羅、喜ぶは天、平らかなるは人なり。他面の色法に於ては六道共に之有り、四聖は冥みょう伏ぶくして現はれざれども委い細さいに之を尋たずぬれば之有るべし」(御書 六四七㌻)
と、私たちの相の上に実際に現われる姿から御示しです。
 また、実際に血液型と性格の関連性が証明されているかというと、関連性はないとする意見も多く、様々な議論があるようです。仮に関連性が証明されたとしても、十界互具の生命で明らかなように、血液型によって示される性格は、その人の表面に現われたほんの一部分です。
 「型」という差別がある以上、それに伴って差異が生じることを「絶対にあり得ない」とまでは言えないかも知れません。が、「違い」に着目するならば、その人が成長する過程で「何を体験したか」「何を体験しなかったか」による差異のほうがはるかに大きいものです。さらにもっと大きいのが、それぞれの持つ「因縁」です。
 
 人間関係のトラブルも血液型で回避?
 多くの人が職場や学校の人間関係で悩みを抱え、ストレスを溜ため込みながら生活しています。中には人間関係を拒絶して殻に閉じこもってしまう人も少なくありません。そこで、人間関係に例をとって見てみましょう。
 他ひ人とから共感を得られなかったり、自分と違う考え方や予測を裏切る反応に出会うと、時に違和感や苦を感じるものです。
 これを血液型性格診断では、相性の問題としてとらえるようです。その上で対処法を施ほどこし、平穏に過ごせる術すべを与えようとします。
 それでは人間関係による苦悩の原因のとらえ方からして間違っていますから、一度や二度は自制心で好悪の感情を乗り越えても、根本的な解決はできません。自分が受け入れやすいように、納得できるように他人を変えることなど、できない相談です。
 これに対する解決方法は、
「大御本尊への絶対信をもって自行化他の信心に励む時に(中略)妙法の広大なる功徳により自分自身が変わる。自分自身が変わるから、相手も変わる」(大白法 八六四号)
と御法主日如上人猊下が御指南のように、自分のほうに御本尊の功徳が具そなわることで、求めずとも自分自身がまず変わり、それによって相手も変わることです。また、相手が変わることだけが解決とは言い切れません。
 大聖人様が『富木殿御返事』に、
「諸の悪人は又善知識なり」(御書 五八四㌻)
と仰せのように、とても受け入れ難い敵かたきのように感じていた人も、その存在によって自身が正しく導かれることがあるのです。
 
 性格の違い、乗り越えられる?
 次に、自他の性格の違いを見てみましょう。私たちは、物事のとらえ方も性分も、それぞれ持って生まれたものが違います。これは過去世の宿習因縁がそれぞれ違うからで、現在の差別の相が、そのままで平等なのです。
 私たちの一人ひとりは、色しき(身体)・受・想・行・識(心)の五ご陰おんが、過去世の業ごう因いんによって仮に和合しています。ですから兄弟でも、性格や容姿、能力などが異なっています。
 大聖人様が『御義口伝』に、
「是桜おう梅ばい桃とう李りの己が位くらい己が体を改めずして無作の三身と開覚す」(同 一七九七㌻)
と仰せになるように、あらゆる人々が、桜と梅と桃と李のように違いがあっても、無理に「仲良くしなければ」と繕つくろわなくても、大御本尊様の光明に照らされることによって性格等を変えようとすることなく、無作(そのまま)で互いが活いかされ、幸せを感ずることができるのです。
 
 本当の解決方法で
 御法主日如上人猊下は、
「私達は、様々な悪業を過去世において積んできたし、また、あるいは今世においても積んできたかも知れません。しかし、それらの悪業も、南無妙法蓮華経と唱えることによって黒こく業ごうが白びゃく業に転ずる、つまり悪業が善業に転じていくと仰せなのです。それはすべて、私達が大御本尊様に対して南無し奉り、妙法蓮華経と唱えることによってかなうのであり、それ以外に過去世からの、また今世で作った様々な罪障を消滅する方法はないわけですから、我々の普段の朝ちょう夕せきの勤行、そして化他行である折伏、この自行化他にわたる信心が極めて大事なのであります」(大白法 九一四号)
と御指南されています。血液型などに拠より所を求めるのでなく、正境である御本尊に向かい勤行・唱題・折伏に精進することで、自身を苦しめた悪業すら善業に転じていきます。
 私たちは、正しい信仰を根本とした豊かな生活を知らない人たちに対して、御本尊様の偉大な功徳を伝えてまいりましょう。

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