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日蓮正宗の信仰をすると、どのような利益があるのか

 「正しい宗教と信仰」に学ぶ(大白法)
 法華経に、
「如来の知見は広大深遠なり」(方便品第二・法華経八九)
と説かれているように、仏の知見と功徳のすべてを書き記すことはとうてい不可能なことですが、経文と御書のなかから主な教示を挙げてみましょう。
 まず分別功徳品には、
「釈尊の滅後に是の経(法華経すなわち南無妙法蓮華経)を能く行ずる者は
 ①本尊を安置する塔寺を建立し
 ②僧坊などの修行者の道場を建立寄進する境遇になる
 ③正法を修行する人に対して深く敬い供養する
 ④仏法を正しく理解して他の人に法を説くことができる
 ⑤行動や言葉が正しく清らかになる
 ⑥正法の善友にめぐまれる
 ⑦忍耐の心が強くなり瞋りがなくなる
 ⑧意志や信念が固くなり、周囲の悪法に紛動されなくなる
 ⑨心が落着き、考えが深くなる
 ⑩何物にも恐れず善行をたゆまず積み重ねる
 ⑪多くの善い教えや知識を正しく生かすことができる
 ⑫感覚が鋭利となり、頭脳は明晰に、智慧は深くなる
 ⑬難問を解決する力が備わる」(法華経四五九取意)
と説かれています。
 また随喜功徳品には、
「正法を聞く功徳について、
 一、正法を説く寺院に詣で、あるいは座り、あるいは立って、是の経をわずかな間でも聴聞する功徳は、来生には最上の宝車を得て天人の宮殿に生まれる。
 二、正法を講ずるところに行き、座して聞き、他人に座を分かち与える功徳は、来生は仏法守護の統領である帝釈天の座に、また、裟婆世界の主である大梵天の座に生まれる。あるいは人間世界の最高統治者である転輪聖王の座に生まれる。
 三、他人に勧めて共に法華経を聞く功徳は、来生は聡明で智慧が深く、健康な身心と整った美しい容姿をもって生まれ、世世に仏に値い福徳を増すようになる」
(法華経四六八取意)
と説かれています。
 また日蓮大聖人は経王殿御返事に、
 「この御本尊を信ずる者は、
 ①病魔や障害に犯されない
 ②諸天善神に守護される
 ③福徳が増して幸福になる
 ④どんな場合でも恐れることがなくなる
 ⑤自由自在の境遇になる」(新編六八五取意)
と説き、
 当体義抄には、
 「正直な心で南無妙法蓮華経と唱える人は、
 ①不幸の根源である悪心(煩悩)が、そのまま仏のような清浄な生命(法身)に転ずる
 ②悪い行為(業)は、正しい判断力を備え、仏のような智慧(般若)に転ずる
 ③苦しみや悩み悲しみは、希望にみちた自在の境界(解脱)に転ずる」
(新編六九四取意)
と仰せられています。
 総本山大石寺第二十六世日寛上人も、
「此の本尊の功徳、無量無辺にして広大深遠の妙用あり。故に暫くも此の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざる無く、罪として滅せざる無く、福として来たらざる無く、理として顕われざる無きなり」
(観心本尊抄文段・日寛上人御書文段一八九)
と教えられています。
 大御本尊の功徳は、即身成仏の境界に極まるのですが、そのためには、自ら信心を奮い起こし、正しい指導のもとに修行しなければならないのです。

【折伏実践のために】

目先の欲で墓穴に落ちるな
 「健康でありたい」「将来の夢を叶えたい」「入学試験や入社試験に合格したい」「子供や孫が良縁に恵まれますように」など、人生において、努力を積み重ねて夢や願いを実現していくことは大切なことです。
 世の中を見ますと、「合格祈願」「安産祈願」「家内安全祈願」等を売りにする神社仏閣があり、人生の節目には願い事のために詣でる人も多いようです。
 例えば、受験シーズンになれば、菅原道真を祀まつっている「天満宮」は志望校合格を祈る受験生であふれています。
 ところが、神として祀られる菅原道真は、自らの不遇を解決することすらできずに一生を終えました。
 仮に天満宮に詣でた人すべてが受験に成功するならば、まじめに勉学する者はいなくなり、国を担になう人材が育つことはありません。まさに、欲心につけこんだ亡国を招く教えなのです。
 歴史上の人物の功績が、たとえ尊敬に値するとしても、人々の願いを叶えてくれる力はないのです。
 自らが帰き命みょう依え止しとする本尊や教えが聞違っていたならば、いかに祈ったとしても、かえって不幸に陥おちいることになります。
 甘い話や目先の〝利益〟を売り物にして打ち立てられた宗旨に誑たぶらかされては、せっかくの夢や願いも台無しになってしまいます。
 ですから、私たちは常に、正しい教法を信仰の根底にしっかりと把握し、その実践で得られる功徳・利益を体験の上から了解し、確信をもって世に弘めていくことが大切です。
 何事にも動じることのない、安心立命な境界を築くことこそ得え難がたい利益なのです。
 
 一閻浮提第一の御本尊
 日蓮正宗では、七百五十年来、ただひとつの濁りもなく、総本山大石寺を中心として、世界中のどの末寺においても、宗祖日蓮大聖人を末法御出現の御本仏・本因妙の教主と仰いでいます。そして、大聖人よりの御相伝に基づいた清純な信仰が貫かれています。
 日蓮正宗の正しさは、
 ①正しい御本尊
 ②真実の教義と道理
 ③如説修行の信心
 ④御相伝の正しさ
 ⑤誓願の正しさ
と五点が挙げられ、私たちが真の功徳や利益を得るための大仏法が護り伝えられているのです。
 その中心・肝要こそ『観心本尊抄』に、
「一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし」(御書 六六一㌻)
と仰せの、大聖人様の建立された本門戒壇の大御本尊です。
 
 日蓮正宗の信行
 「祈る」という行為は、たいへんに深い意義が存します。
 一つに、自らが信仰の対象に対して、帰命すること、すなわち心から仏の教えに従うことがあり、宗派の違いによって帰命する対象が違うことから、誤った本尊に帰命すれば、利益を受けるどころか、不幸の原因となります。
 正しい信仰に基づき自他の幸福を祈ることで、自らの尊厳なる生命を覚知し、生活の中に大きな功徳を顕わしていくことができるのです。
 御法主日如上人猊下は、
「朝夕の勤行もしない、お寺にも行かない、折伏もしない。にもかかわらず、たまたま十年に一回くらい御本尊様にお願いしてみようか、といったところで、それではだめなのです。やはり信心がなければならないのです。
 御本尊様の功徳は、信心の二字をとおして初めて、体得することができるのであります」(大白法 七二八号)
と御指南されています。
 本門戒壇の大御本尊への絶対信を持ち、日頃から自行化他の信行を実践することが、自らの功徳・利益を積むことになるのです。

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和歌山県田辺市の在住、日蓮正宗法華講員です。
宝相寺支部所属。宝相寺は日蓮正宗総本山大石寺の末寺です。人生の悩みなど正しい仏法で乗り越えていきましょう。
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