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宗教は思考をマヒさせ、人間を無知にするのではないか

 「正しい宗教と信仰」に学ぶ(大白法)
 宗教を信ずると、その宗教に没頭するあまり冷静な思考能力や批判力、判断力がマヒして、自分なりの理性を持てなくなるのではないか、という危惧を持つ人がいます。
 たしかに、なんらの教義を持たない低級な新興宗教をはじめ、数多くの宗教は、たんに忘我の境地や、あきらめることのみを教え、人間の思考能力をマヒさせています。ここに邪な宗教の恐ろしさがあります。
 しかし、正しい因果の道理を説く仏教、なかでも法華経の教えにおいては、〝聞思修の三慧〟といって、仏道を成就するためには正法をよく聞き、思惟し、修行しなければならないと説いてます。日蓮大聖人は、
「行学の二道をはげみ候べし。行学たへなば仏法はあるべからず」
(諸法実相抄・新編六六八)
と教示されるように、正しい教えに則り、修行と研学によって仏法の精神を求めることの大切さを説かれています。
 また法華経を持つ者の功徳の姿を示して、
「日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は明鏡に万像を浮かぶるが如く知見するなり。此の明鏡とは法華経なり」(御義口伝・新編一七七六)
と説かれています。すなわち正しい仏法を信ずることによって、生命の本源が活動し、物ごとを正しく知見できるというのです。反対に間違った宗教を信ずる者や正しい仏法を持たない者は迷える心、煩悩の生命から物を見、考えているために、すべてを正しく見ることができないのです。まさに本心を失っているようなものです。
 これについて、大聖人は、
 「本心と云ふは法華経の信心の事なり。失と申すは謗法の人にすかされて、法華経を捨つる心出来するを云ふなり」(御講聞書・新編一八五七)
とも説かれています。ここでいう本心とは、世間的な迷いの凡智ではなく、本仏本法によってもたらされる仏智であり、人生においてもっとも大切な真実の幸福を確立する仏界の心を指しているのです。
 ですから、真実の仏法とは、本心たる智慧の眼を開かせ、正しい人生を歩ませるための英知を、生命の根源から涌現させるものであることを知るべきでしょう。

【折伏実践のために】

「宗教はすべて悪」ではない
 「宗教は思考をマヒさせ、人間を無知にするのではないか」と考える人は、「宗教はすべて間違っている」と思っているのではないでしょうか。
 世の中には、人々を不幸に陥おとしいれる邪宗教で満ちあふれていますので、このような考えに至ることも無理からぬことです。
 しかし、これは経典に説かれる「群ぐん盲もう索さく象ぞう」と同じです。これは、「目の不自由な人々が、それぞれ象に触った。ある者はお腹を触り太鼓のような物だと言い、ある者は尾を触って箒ほうきのような物などと言い争った」という話ですが、触った部分だけで、それが象のすべてであると決めつけた過あやまちです。間違っていないのに全体を知らない無知、浅識謗法から来る不信謗法になってしまいます。
 『法華経方便品第二』に、
「諸仏世よに興出したもうこと 懸けん遠のんにして値ち遇ぐすること難かたし 正使たとい世に出でたもうとも 是の法を説きたもうこと復また難かたし 無量無む数しゅ劫こうにも 是この法を聞くこと亦また難し」(法華経 一二五㌻)
と説かれているように、本当の正しい教えに巡り合うことは極めて稀まれであり、さらに、それを信じ持たもつことは、もっと難しいのです。
 
 宗教とは人間形成の教育
 そもそも宗教とは、「神または何らかのすぐれて尊く神聖なものに関する信仰。また、その教えやそれに基づく行い」(岩波国語辞典)です。
 その宗教を信仰することによって、身も心も浄化され、成長していったならば、それは正しい本当の宗教ということになります。
 日蓮大聖人様は『開目抄』に、
「夫それ一切衆生の尊そん敬ぎょうすべき者三つあり。所いわ謂ゆる、主・師・親これなり。又習学すべき物三つあり。所謂、儒じゅ・外げ・内これなり。儒家には三さん皇こう・五帝・三王、此等を天尊と号す。諸臣の頭目、万民の橋きょう梁りょうなり。三皇已前は父をしらず、人皆禽きん獣じゅうに同ず」(御書 五二三㌻)
と仰せです。
 仏教は教育と言えます。自分が幸福な境界を得るための教育であり、さらに他人をも幸せにするための教育です。
 大聖人様は、私たちが成仏するためには、仏様を随一として優れた徳のあるものを敬い、様々なことを学ぶことが大事であると仰せです。中でもすべてを悟られた仏様の教えを理解するためには、信行学に励むと共に、それ以外の学問を学ぶ必要が説かれています。
 私たちは様々な学問を修めることによって、主人や師匠や親を尊敬することを理解します。尊いものを尊いものと知り、尊いものを敬うことができるのです。
 日蓮大聖人様は『崇す峻しゅん天皇御書』に、
「一代の肝心は法華経、法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり。不軽菩薩の人を敬ひしはいかなる事ぞ。教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞ひにて候ひけるぞ。穴賢穴賢。賢きを人と云ひ、はかなきを畜という」(同 一一七四㌻)
と仰せです。
 愛することは畜生でもできますが、尊敬することは人間にしかできません。つまり、人間は、正しい教育によって、畜生から人間に昇格するのです。
 
 道理・文証・現証が揃ってこそ真実の宗教
 七年前に、書籍の年間ベストセラー一位になった藤原正彦氏の『国家の品格』という本に、日教組の教研集会で、傍聴していた高校生が「先生、何で人を殺しちゃいけないんですか」と質問したところ、そこにいた先生たちは、誰一人それを論理的に説明できなかった、という話が紹介されています。藤原正彦氏は、このことに対して、「最も重要なことは論理で説明できない」と書いています。これは、教育の場で、このようなことが大事な場合もあります。
 しかし、本当に「重要なことは論理で説明できない」のでしょうか。世間の学問では、「論理で説明できない」ことでも、正しい宗教では、数多く説明できます。
 日蓮大聖人は『三三蔵祈雨事』に、
「日蓮仏法をこゝろみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よりも現証にはすぎず」(同 八七四㌻)
と仰せです。
 日蓮大聖人の大白法が、理論の面においても、道理に照らし合わせてみても、さらに、実際・現実の面においても、最高・最尊の宗教であることを宣言されたものです。
 その教えが「思考をマヒさせ」たり、「人間を無知にする」ことは、正しい宗教・日蓮大聖人の大白法にはあり得ません。
 
 御本尊以外に幸せになる法は絶対にない
 「宗教は思考をマヒさせ、人間を無知にするのではないか」と考える人は、正しい宗教と誤った宗教との違いを知らないことが原因です。御法主日如上人猊下は、
「『如説修行抄』に、
 『諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独ひとり成仏の法なりと音こえも惜しまずよばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ』(同 六七三㌻)
と仰せのように、諸宗・諸経は無得道、堕地獄の根源、不幸の因もとであり、御本尊以外に私達が幸せになる法は絶対にないとの強い確信を持って、人々に訴えていくことが肝要であります』(大白法 八二七号)
と御指南されています。
 私たちは、この御法主日如上人猊下の御指南を心肝に染めて、日蓮正宗こそ世界一、世界唯一の宗教と確信して、正しい宗教は存在していることを堂々と説いて導き、共に大功徳を積んで、広宣流布に邁進しましょう。

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管理人

和歌山県田辺市の在住、日蓮正宗法華講員です。
宝相寺支部所属。宝相寺は日蓮正宗総本山大石寺の末寺です。人生の悩みなど正しい仏法で乗り越えていきましょう。
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