守護霊や守護神はいるのか

 「正しい宗教と信仰」に学ぶ(大白法)
 最近、霊能者や神霊研究家と称する人たちが守護霊などに関する本を書き、そうしたものがベストセラーになったり、マスコミでも取りあげられたりしています。
 いま彼らの主張によりますと、人間にはどんな人にもその背後に、守護霊や背後霊が備わっていて、一人ひとりの人間がどのような人生を生きるかを見守り、霊界から助け指導するのだということです。
 そうしてこの守護霊をないがしろにしたり感謝を怠ったり、また先祖の浄霊をしないから、我が身や家庭に災いが起こるのだというのです。
 しかし我々凡夫には過去世のことや、未来の出来事、また死後の世界のことなどを実体験を通して明らかにすることはできませんし、また見ることもできません。したがって、ついそうした霊能者の言葉にまどわされてしまう人が多いのです。
 けれども霊能者や神霊研究家が、どんなに不思議な神霊や霊能の話をしても、それはあくまでも因果の理法を無視した夢想・想像の産物であり、仏法の上からみれば彼らのいうようなその人の運命を支配する守護霊や守護神などというものはまったく存在しないのです。
 したがって、実生活における守護の働きについては、委細に三世を知る仏の教示を仰ぐべきです。
 日蓮大聖人の教えは、久遠元初以来、末法万年の遠き未来に及ぶ三世の一切を了達された本仏の教えであり、一閻浮提第一の智者の指南なのです。
 その大聖人の教えによりますと、三世十方のありとあらゆる仏、一切の諸天善神はすべて久遠元初の本仏の垂迹であり、従者であるといわれています。それゆえに、諸天善神は妙法蓮華経の正法を守り、法華経の行者を守護し、正法に帰依する人々の身の上や生活の上に、社会や国土の上に、正法興隆のために、善神としての働きを垂れるのです。
 法華経には、
「諸天昼夜に、常に法の為の故に、而も之を衛護し」
(安楽行品第十四・法華経三九六)
「能く是の経を持たんを以ての故に 諸仏皆歓喜して 無量の神力を現じたもう」
(神力品第二十一・法華経五一五)
と説かれています。
 私たちはなによりも妙法蓮華経の本門の本尊を信じ、題目を唱え行ずることによって、一切の諸天善神の守護の力をうることができるのです。

【折伏実践のために】

守護霊に興味を持つ人々
 「守護霊」とは、本文にもあるように、一般には「人に具わり、その人を守護する霊」として認知されているようです。しかし、「霊能者」などによって、守護霊に対する捉とらえ方はまちまちです。
 この霊能者による発言によって紛ふん動どうされる人が実に多く、守護霊に興味を持つ人が後を絶ちません。そこにつけ込んで守護霊を使う「ビジネス」も数多く存在しています。
 また守護霊は、特定の人(霊能者・霊感が強い人)にしか見えないとしています。これは、映画やドラマ、アニメなどで守護霊や妖よう怪かいを扱う時の約束事にもなっています。そのような作品は、実に上手に感動や喜びを伝えられるように仕立ててあり、見たことのある人も多いのではないでしょうか。
 さらに「守護神」と言えば、いわゆる「守り神」の信仰が世の中にあることは述べるまでもありませんが、野球の抑えのピッチャーやサッカーのゴールキーパー等を指す言葉としても使われています。
 こうした概念が受け入れられ、世間に定着していることが、さも霊能者の語る「守護霊」や「守護神」が存在するかのような印象を、世間に植え付けてしまっているのかもしれません。
 
 危険な霊能者の存在
 さて、霊能者の存在が活動の中心に据すえられる集団があります。それは、新興宗教の教団です。
 この霊能者の種類(能力)は様々ですが、大概の教団に霊能者が存在し、その活動が影響して組織的な拡充がなされていることは周知の事実です。
 例えば、「幸福の科学」という新興宗教教団では、教祖である大川隆法に霊能力があるとして、様々な霊言集を盛んに出版しています。
 中には、「生きている人の守護霊を呼び出せる」として、皇室をはじめ政治、経済、芸能、スポーツ等の有名人の守護霊にインタビューしたとされるものまであります。
 さらに、教団のウェブサイトには「霊人診断」として自らの名前を打ち込むと霊人からメッセージがもらえるといったお粗末な企画まである始末です。
 これらの目的は、教勢を伸ばすため(信者の獲得、政界への進出、資金集め等)の手段であることは目に見えて明らかですが、これに誑たぶらかされる多くの人がいることも事実です。
 こうして見ると、霊能者の働きは、たいへん危険であると言わざるを得ません。真の幸福を求めている人々に対して、ないもの(守護霊)をあると信じ込ませて不幸に陥おとしいれているのです。
 日蓮大聖人様は『唱法華題目抄』において、
「魔にたぼらかされて通を現ずるか。但し法門をもて邪正をたゞすべし。利根と通力とにはよるべからず」(御書 二三三㌻)
と仰せられています。大川をはじめとする霊能者が通力をもって人々を誑かす行為は、魔の振る舞い以外の何ものでもないのです。
 
 守護の働きは正しい信仰にあり
 さて、本文にもある通り、大聖人様は正しい仏法においてのみ、諸天善神の守護の力が存することを御教示あそばされています。
 私たちは、毎朝の勤行の初座において、東天に向かって諸天善神を呼び、法味を供えて威光・勢力の倍増を御祈念しています。
 つまり、大聖人様が『経王殿御返事』に、
「此の曼荼羅能く能く信じさせ給ふべし。南無妙法蓮華経は師子吼くの如し。いかなる病さは障りをなすべきや。鬼き子し母も神じん・十羅ら刹せつ女、法華経の題目を持つものを守護すべしと見えたり」(同 六八五㌻)
と仰せですが、私たちは、日蓮大聖人様が顕わされた正しい御本尊様を、疑うことなく持たもち自行化他の信心修行に励む限り、必ず諸天善神が側につきしたがい、私たちの信行の功徳によって威勢を増した諸天善神の加護を戴くことができるのです。
 なお、古くから守護神として日本に伝わる天照大神や八幡大菩薩等も大聖人様の仏法の意義上において、初めて善神としての用きがなされるのです。
 したがって、大聖人様の御み意こころから離れて守護神を信仰することは、単なる迷信の類たぐいであり、そこに守護の用きはありません。返って、悪鬼・魔神に惑わされることを心得るべきです。
 
 迷信と侮あなどるなかれ
 私たちは正しい信仰を知りながら、けっして「守護霊」や「守護神」などの根拠のない迷信、そして霊能者の活動を放っておいてはならないのです。これらを活用する宗教があることは、これまで述べた通りですが、こうしたものはれっきとした謗法であることを心得ることが大切です。それらに惑わされることがある限り、人々は不幸の道を歩まねばなりません。
 御法主日如上人猊下は、
「謗法というのは誹謗正法ですから、私達が折伏しないと、どんどん増長していきます。なかには『謗法の者は悪いことをしているのだから、罰が当たって、そのうちにだめになるよ』と言う人もいるかも知れませんが、そうではないのです。我々が折伏しなければ、謗法は滅びないのです」(大白法 八一八号)
と仰せられています。たとえ宗教に当たらないような、低てい劣れつな俗信の類たぐいであっても、私たちが折伏に励まなければ滅びることはないのです。
 けっして、迷信・俗信を侮あなどって油断することなく、力強く折伏に励んでまいりましょう。

RSS 宝日記

  • 家の整理で出てきた本 2024年4月26日
    最近、家の整理をしていて、いくつかの創価学会関連の本が出てきた、「破折」との題の本表紙には創価学会が。この書へ […]
    kirimoto3

RSS 掲示板

  • お見舞い 2024年1月9日
    震災並びに航空機事故のお見舞いを申し上げます。

管理人

和歌山県田辺市の在住、日蓮正宗法華講員です。
宝相寺支部所属。宝相寺は日蓮正宗総本山大石寺の末寺です。人生の悩みなど正しい仏法で乗り越えていきましょう。
お問い合わせは、ホームページのメールフォームから
電話でも受け付けております。
携帯090-3656-1453

344560
Users Today : 1251
Users Yesterday : 1369
This Month : 23736
Who's Online : 19
Your IP Address : 13.58.82.79
Server Time : 2024-04-26