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三道即三徳(さんどうそくさんとく)

教学用語

三道即三徳(さんどうそくさんとく)

 三道とは、煩悩道・業道・苦道の三つのことで、生死流転する三界六道の衆生の因果を示しています。

 煩悩道とは、衆生の生命に具(そな)わる欲望や妄心(もうしん)をいい、業道とは、その欲望や妄心より起こる身口意の三業の所作をいいます。そして、苦道とは、煩悩や業を因として招いた三界六道の苦果をいいます。

 三道の「道」には「能通」の義があります。「能通」とは能(よ)く通ずるということです。つまり、三道とは、煩悩より業を起こし、業より苦を感じ、苦によりまた煩悩を起こすというように、三つが互いに関連し合って能く通じ合い、苦の生死が断絶することのないさまを示しているのです。

 次に、三徳とは、仏に具わる三種の徳相のことで、法身(ほっしん)徳・般若(はんにゃ)徳・解脱(げだつ)徳の三つをいいます。

 法身徳とは、法性真如を身となす仏の身体、般若徳とは、すべてのもののありさまを如実に知る仏の智慧、解脱徳とは、仏がすべての煩悩の束縛を断ち切り、生死の苦界から脱していることをいいます。

 天台大師は、『摩訶止観』で、

 「いかんが円の法を聞くや。生死は即ち法身なり、煩悩は即ち般若なり、結業は即ち解脱なりと聞くなり。三の名ありといえどもしかも三の体なし。これ一体なりといえどもしかも三の名を立つ。この三は即ち一相なり、その実は異なりあることなし」

と説いているように、法華円教においては、現実に展開する凡夫の三道の姿も、そのままが仏の三徳の妙用であると明かしています。三道と三徳は、その名は異なっても、ともに一念三千の妙法であるゆえ、融妙自在であるということです。

 日蓮大聖人は、『始聞仏乗義』に、

 「法身とは法身如来、般若とは報身如来、解脱とは応身如来なり。我等衆生無始(むし)曠劫(こうごう)より已来此の三道を具足し、今法華経に値(あ)ひて三道即三徳となるなり」

                   (御書 1208頁)

と仰せられているように、一応天台の義に従い、法華経の功力による三道即三徳を説かれています。

 しかしまた、大聖人は『当体義抄』に、

 「正直に方便を捨て但法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱ふる人は、煩悩(ぼんのう)・業(ごう)・苦の三道、法身・般若・解脱の三徳と転じて、三観(さんがん)・三諦(さんたい)即一心に顕はれ、其の人の所住の処は常(じょう)寂(じゃっ)光(こう)土(ど)なり」(御書 694頁)

と説かれているように、末法の衆生は天台の法華経より一重深い、仏法の根本である文底の法華経、すなわち御本尊を正直に信受し、南無妙法蓮華経と唱えることによってのみ、三道即三徳の利益が成ぜられるのです。

 また、『南条殿御返事』に、

 「此の砌に望(のぞ)まん輩(やから)は無始の罪障忽(たちま)ちに消滅し、三業の悪転じて三徳を成ぜん」(御書 1569頁)

とあるように、現在「此の砌」の地に当たる総本山大石寺に参詣し、本門戒壇の大御本尊の御威光に浴するならば、過去(かこ)遠々劫(おんのんごう)の罪障が直(ただ)ちに消滅し、三道即三徳と転じて無量の大果報を得ることができるのです。

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桐本昌吾  法華講宝相寺支部所属、人生の悩みなど、正しい信心によって乗り越えていきませんか。お気軽にお問い合わせください。

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