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10月最終日

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第一節 創価学会規則と創価学会会則の制定

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 大御本尊への信仰を捨てた創価学会をただす―矛盾のスパイラルにおちいった創価学会
 創価学会は、昭和五(一九三〇)年の発足以来二十余年間、日蓮正宗に所属する信徒の一グループでしたが、昭和二十七(一九五二)年に「宗教法人『創価学会』規則」を制定し、東京都知事の認証を受け、独立した宗教法人となりました。
 その後、池田大作が「昭和五十二年路線」による教義逸脱の責任を取って第三代会長と法華講総講頭を辞任し、改めて日蓮正宗の信徒団体として出発することを誓い、同時に創価学会会則を制定しました。
 その会則には、
「この会は、日蓮正宗の教義に基づき、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安二年一〇月一二日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」(聖教新聞・昭和五四年四月二五日付)
 とあり、「日蓮正宗の教義に基づき」 「弘安二年一〇月二一日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」ことを明示していました。
 しかし、創価学会は、自ら引き起こした問題によって、平成三年に宗門から破門され、その後、平成十四年に会則を改変しました。
 そして今回、平成二十六年に至り、従来の会則の教義条項から、「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し」の文言を削除するという、根本的な改変を行ったのです。

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第二節 日蓮大聖人以来の血脈は厳然

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 大御本尊への信仰を捨てた創価学会をただす―矛盾のスパイラルにおちいった創価学会
 原田会長は、
「宗門のいう法主の血脈なるものも断絶しました」 (本書139頁参照)
と、勝手に決めっけています。
 かつて池田大作は、(第六十七世日顕上人の血脈に疑義を呈して宗門から擯斥された自称正信会の輩)を、次のように非難していました。
「現代においては、いかなる理由があれ、御本仏日蓮大聖人の『遣使還告』であられる血脈付法の御法主日顕上人猊下を非難することは、これらの徒と同じであるといわなければならない。批判する者は、正法正義の日蓮正宗に対する異流であり、反逆者であるからである」 (広布と人生を語る一―二三〇頁)
 このように、池田大作は、昭和五十四(一九七九)年七月に日顕上人が登座されてから平成二年までの十一年間、日顕上人に信伏随従していました。
 しかし、平成二年に至り、池田大作による慢心スピーチに端を発した創価学会問題が起こり、創価学会は宗門攻撃を繰り返し、再三にわたる訓誡にも反省することがなかったため、宗門はやむなく創価学会を破門に処しました。
 創価学会は、そのことを逆恨みし、報復手段として、ついに日顕上人の血脈相承の否定を大々的に喧伝し始めたのです。
 これらの経緯を見ても、創価学会が主張する本宗の血脈断絶という誹謗は、単なる言いがかりであり、感情論に過ぎないことが明らかです。
 いかに創価学会が誹謗中傷を加えようとも、日蓮正宗は、宗祖大聖人以来の血脈を受けられた御法主上人の御指南のもと、本門戒壇の大御本尊を信仰の根本として、七百年来の仏法を清浄に伝えて今に至っています。
 常識的に見ても、無節操な池田大作を「永遠の指導者」と崇め、時々の都合によって変節を繰り返す創価学会が正しいのか、あるいは七百有余年にわたって宗祖大聖人の教えを伝持し弘通している宗門が正しいのか、答えはおのずと明らかではありませんか。

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御法主日顕上人様からのお言葉

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今月と今年の唱題目標を達成

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第一節 総本山大石寺は最勝の地

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大御本尊への信仰を捨てた創価学会をただす―矛盾のスパイラルにおちいった創価学会
 原田会長は、創価学会が大御本尊を放棄する口実として、
「大謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません。世界広布新時代の時を迎えた今、将来のためにこのことを明確にしておきたいと思います」(本書139頁参照)
と言い、あろうことか、総本山大石寺を「大謗法の地」と誹謗しています。
 総本山大石寺は、本門戒壇の大御本尊と大聖人以来の血脈付法の御法主上人まします寺院であり、そこには大謗法など、あろうはずがありません。
 本門戒壇の大御本尊の住処は、必ず「最勝の地」なのです。
 日蓮大聖人は『南条殿御返事』に、
「教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり。されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の上は転法輪の所、喉は誕生の処、口中は正覚の砌なるべし。かゝる不思議なる法華経の行者の住処なれば、いかでか霊山浄土に劣るべき」(御書一五六九頁)
と教示されています。
 この御文について、日寛上人は『文底秘沈抄』に、
「教主釈尊の一大事の秘法とは結要付嘱の正体、蓮祖出世の本懐、三大秘法の随一、本門の本尊の御事なり。是れ則ち釈尊塵点劫より来心中深秘の大法なり、故に一大事の秘法と云うなり。然るに三大秘法随一の本門戒壇の本尊は今富士の山下に在り、故に富士山は即ち法身の四処なり」 (六巻抄六四頁)
と指南されています。
 「法身の四処」とは、法華経の存在する所であり、末法においては、御本仏大聖人の御魂魄である本門戒壇の大御本尊まします富士大石寺を指しています。

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 さらに、日寛上人は、
「今に至るまで四百余年の間一器の水を一器に移すが如く清浄の法水断絶せしむる事無し、蓮師の心月豈此に移らざらんや、是の故に御心今は富山に住したもうなり」(同六六頁)
と仰せられ、宗祖大聖人以来の血脈法水が脈々と伝えられる富士大石寺は常に清浄であり、御本仏大聖人の心月に照らされた聖地であることを明かされています。
 したがって創価学会が、
「大石寺はすでに大謗法の地」(本書139頁参照)
などと誹謗することは、御本仏日蓮大聖人の御聖意を蔑ろにすることになるのです。

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②言葉のみの広宣流布をかかげる創価学会

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 大御本尊への信仰を捨てた創価学会をただす―矛盾のスパイラルにおちいった創価学会
 創価学会は、ことあるごとに「創価学会こそ広宣流布を推進する教団」と主張しますが、日寛上人は広宣流布について、
「文底深秘の大法、其の体如何。答う、即ち是れ天台未弘の大法こ二大秘法の随一・本門戒壇の御本尊の御事なり(中略)此の本尊は広布の根源なり」(撰時抄愚記・文段二九〇頁)
と仰せられています。
 つまり、広宣流布とは本門戒壇の大御本尊を流布することであり、本門戒壇の大御本尊こそ、広宣流布の根源なのです。
 かつて、不相伝家の他門のなかにも、言葉のみの広宣流布を盛んに主張した例が、いくつかあります。
 日蓮宗(身延派)の宗制には、
「本宗の布教は、広宣流布の祖願達成を主眼とする」(日蓮宗宗憲第七条)
とあり、日蓮宗の一如日重(身延二十世)は『見聞愚案記』に、
「誓願の事、広宣流布の願望肝心なり(該書二〇―一五頁)
と言い、
 本門仏立宗の長松清風(旦扇)は、
「今生人界の思ひ出をはたさんと、弘通広宣の道に励み給ふべき事専要に侯」(仏立宗義書四―二八四頁)
と言っています。また、国柱会の田中智学も。
「妙信妙行を具足したる一大主義は(中略)終に宇内万邦に広宣流布すべき、末法応時の憲教たる本化妙宗これ也」(日蓮主義教学大観一―四二三頁)
と言っています。

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 これらの宗派は、本門戒壇の大御本尊を知らず、御本仏大聖人の御聖意に背いているのですから、広宣流布という言葉はあっても、その実はないのです。
 創価学会も同様に、いかに「広宣流布」を口にしようとも、それは所詮、空虚な妄想でしかありません。

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①正境なくして利益なし

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大御本尊への信仰を捨てた創価学会をただす―矛盾のスパイラルにおちいった創価学会

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 まず、原田会長は「御本尊の力用は、自行化他の実践があるところに発揮される」とか「御本尊は広宣流布の誓願、信心で拝してこそ御本尊の力用が発揮されます」と言い、信仰の功徳(御本尊の力用)には、仏力・法力よりも、衆生の信力’行力が優先するかのような主張をしています。
 しかし、日寛上人は『法華取要抄文段』に、
「凡そ本尊とは所縁の境なり。境若し邪なる則んば智行も随って邪なり。境若し正なる則んば智行も随って正なり。故に須く本尊の邪正を簡び、以て信行を励むべし」(文段五四〇頁)
と、信心修行においては、本尊の正邪の峻別が最優先し、その上で正境である本尊に対して信仰に励んでこそ、本尊の力用が発揮されることを指南されています。
 したがって、本門戒壇の大御本尊(正境)を放棄し、我見に任せて認定した本尊に向かって、会員がいかに唱題しようとも、功徳どころか、邪智・邪行の罪によって悪道におちることは確実です。

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折伏先を訪問

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1143夜: 秋篠宮家の長女・眞子さん(30)と小室圭さん(30)の結婚について

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