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仏教はすべて釈尊から出ているのだから、どれを信じてもおなじではないか

 「正しい宗教と信仰」に学ぶ(大白法)
 今から三千年前にインド北部のカピラ城の王子として誕生した釈尊は、十九歳のとき修行者となり、三十歳の時にガヤ城の近くで悟りを開きました。その後八十歳で入滅するまで五十年の間、人々に悟りの法を教えるためにさまざまな教えを説きました。
 中国の天台大師は、釈尊の五十年間の説法を深く検討して、その内容から説法の時期を五つに区分しました。これが「五時」といわれるものです。また「八教」という区分けもしていますが、ここでは「五時」によって説明しましょう。
 第一は華厳時といって、釈尊は開悟の後、直ちに二十一日間にわたって哲学的な十玄六相などの教理を説きましたが、聴衆はまったく理解できませんでした。第二は阿含時といって戒律を中心とした教えを十二年間説きました。これは三蔵教あるいは小乗教といわれ、仏教の中でもっとも低い教義です。第三は方等時といって幅広い内容の教えを十六年間説きました。これは弾呵といって小乗教に執着する人を叱責し、大乗教すなわち自分のみでなく他人をも内面から救う教えに帰入させるものです。第四は般若時といって十四年間、空すなわちこの世のものは何ひとつとして定まった実体などなく、執着すべきものはないという教えを説きました。この般若と第一華厳・第三方等は大乗教ですが、いまだ釈尊が久遠の仏であることを明さず、人生の目的は三乗(声聞・縁覚・菩薩)にあるとして、真実を示さない仮りの教えでした。釈尊は第五時の法華経を説法するために、まず無量義経を説きましたがその中で、
〝仏の眼をもって衆生の根性を見るに、人々は種々さまざまの心根だったので、まずそれを調えるために種々の方便の力を用いたり、仮りの法を説いたのである。〟
と説明し、
「四十余年には未だ真実を顕さず」(無量義経・法華経二三)
と説いています。そして法華経八年間の説法で、はじめて真実の教えとして、いかなる人もその身のままで仏の境界に至る一仏乗の法を説きあらわしたのです。
 現在、東大寺を本山とする華厳宗は第一華厳時の教義を所依とし、タイやビルマなどに残っている戒律仏教や、律宗などは第二阿含時の経典を教義としています。また浄土宗、禅宗、真言宗、法相宗などは第三方等時の経典からそれぞれ宗義を立てており、天台宗や日蓮宗各派のように法華経を依経としていても迹門の観念的教理を中心としているなど、いずれの宗派も、末法現時に適した究極の教えである法華経本門の法を依経としていません。法華経本門の教えとは、釈尊が久遠の昔に成仏するために修行した根本の原因となる一法であり、それは日蓮大聖人が唱え顕された南無妙法蓮華経に尽きるのです。
 このように同じ仏教といっても、教義の内容や目的、そして修行もまったく違うのですから仏の本意に基づく真実の教えに帰依しなくてはなりません。

【折伏実践のために】

仏の教法に迷う諸宗派
 今日、釈尊が一代五十年間にわたって説かれた経典を依よりどころにし、自らの宗旨とする宗派が数多くあります。何故、このようにたくさんの宗派に分かれてしまったのかと言えば、各宗派の元祖たる指導者の誤りにあります。いわゆる各宗派の祖師たちが、釈尊の真実の教えが何であるかを理解できず、それぞれが思い思いの経典を選んで勝手に宗旨を立てたため、本尊や教義がすべて異なった宗教として分派したのです。
 釈尊は法華経を説く前に無量義経を説かれ、これまでの四十二年間に説いてきた経々がことごとく方便教(仮の教え)であったことを示されています。
 何故ならば、釈尊は、法界の真理と真実の成仏の道を説き明した甚深の法華経を、そのまま衆生に説いても、すべての衆生が信しん解げできる状態でないことを知り、それぞれの衆生の能力に合わせ、その向上と融ゆう和わを図るために四十余年の間方便の教えを説かれたからです。したがって、この四十余年間の経々には真理の一部分は説かれますが、法華経の悟りである真理の全体は説かれていません。
 日蓮大聖人様が『開目抄』に、
「諸宗は本尊にまどえり」(御書 五五四㌻)
と仰せのように、今もなお諸宗派が思い思いの本尊や法義を立てて迷う現状は、釈尊の説かれた教法において、方便と真実の筋道に迷い、これを無視して自らの見解に都合のよい教典に執着したところに根本的な誤りがあります。
 ここに仏法の正邪に迷い、仏法を正しく判断できない理由が存するのです。
 
 釈尊の本懐は法華経
 釈尊は、法華経を説き始められるに当たり法華経『方便品』に、
「世尊は法久ひさしうして後 要かならず当まさに真実を説きたもうべし」(法華経 九三㌻)
「正直に方便を捨すてて 但ただ無む上じょう道どうを説く」(同 一二四㌻)
等々と説かれて、法華経に至って一大真理の法門である十界互具、一念三千の法門を説き顕わされたのであり、釈尊が説かれた真実の法とは、ただ法華経の一経に極まるのです。
 日蓮大聖人様は『阿仏房尼御前御返事』に、
「夫それ法華経の意は一切衆生皆成仏道の御経なり」(御書 九〇五㌻)
と示され、末法の衆生が仏に成るためには法華経による以外にないことを御教示されています。そしてさらに、『上野殿御返事』には、
「今、末法に入りぬれば余経も法華経もせん詮なし。但南無妙法蓮華経なるべし」(同 一二一九㌻)
と示され、法華経以前の諸経に、末法の衆生を救う力はなく、大聖人様が御示しくださった法華経本門『寿量品』の肝要である三大秘法の御本尊様、すなわち文底下種の南無妙法蓮華経こそが、すべての人が救われる皆成仏道の教えなのです。
 
 今末法は折伏の時
 日蓮大聖人様は『聖愚問答抄』に、
「今の世は濁世なり、人の情もひがみゆがんで権教謗法ほうぼうのみ多ければ正法弘まりがたし」(同 四〇三㌻)
と仰せられ、末法という時代は非常に濁にごった世の中であり、人の心も僻ひがみ歪ゆがんで、権教である邪宗教の謗法が充満し、正しい仏法が弘まりにくいと仰せです。
 確かに末法の今日、「宗教はどれも同じだ。何を信じても構わない」といった風潮が見られます。正しい仏法に背く邪宗教が世の中に氾濫はんらんしており、邪教とは知らずに信じている人たちが数多くいますが、それをそのままにしておくと、結局、不幸になってしまいます。故に、こうした人たちに対して大聖人様は、同じく『聖愚問答抄』に、
「只折伏を行じて力あらば威勢を以て謗法をくだき、又法門を以ても邪義を責めよとなり」(同 四〇三㌻)
と、相手の誤った法門や間違った考え方等をしっかりと正すべきであると仰せです。
 今私たちがなすべきことは、未だ正法に巡り合っていない人々に、大聖人様の正しい真実の教えを説き聞かせることです。そして「不幸になっていく原因が、間違った信仰、間違った教えにあること」をしっかりと教えることが必要です。
 日蓮大聖人様は『法華初心成仏抄』に、
「とてもかくても法華経を強ひて説き聞かすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓どっくの縁となって仏になるべきなり」(同 一三一六㌻)
と示されています。私たちは今、この御聖訓をしっかりと心に刻み、寸すん暇かを惜おしんで折伏に邁進することが大切です。
 御法主日如上人猊下が、
「人が溺おぼれているのを見て助けない人がいないように、我々も、知らず知らずのうちに誹謗正法の罪を犯してしまっている人たちを救っていかなければならないのです。それが我々法華講衆の務めなのです」(折伏要文 二九㌻)
と御指南あそばされています。
 私たち僧俗一人ひとりが今なすべき使命を自覚し、大御本尊様への絶対の確信と慈悲心を持って勇猛果敢に折伏を実践し、一日も早くまた一人でも多くの人たちを救ってまいりましょう。

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