水子のたたりはあるのか

 「正しい宗教と信仰」に学ぶ(大白法)
 最近、「水子のたたりを慰める」ためとして、水子供養を売り物にするいわば新種の慰霊産業が目だつようになりました。全国の至るところの寺院では、水子地蔵や水子観音なるものが建てられ、易者や霊能者たちは、水子のさわりやたたりによって現在の不幸や病気などがあるとおどかしています。また新聞の広告には水子除霊(霊を取り除くこと)のはでな誘いとともに、水子のたたりの例をあげ、いたずらに恐怖心をあおっているのをみかけます。
 これらの宣伝によって作られた水子供養ブームは、ことさら迷える人々に対して、家庭内の不幸や、精神的な不安も「水子の霊を供養すればすべてかたづく」という安易な思想を植えつけ、増大させているように思われます。
 水子について考えてみますと、昔、とくに享保・天明・天保などの三大飢饉のときには生活防衛のためにやむなく「間引き」という農業用語が転じて用いられたほど、堕胎や嬰児殺しが多かったといわれています。
 また中には、優生保護的な意味からやむをえず中絶しなければならなかった場合もありましょう。しかし、現在では生活のためというよりもむしろ、性風俗の乱れや道徳心の欠如からくる人工中絶による水子が多いようです。此のあたりに水子供養ブームの一因があるように思われます。
 仏教では人間の生命が胎内で生育する次第を五位に分けて説いています。
 一にカララン位(和合と訳され父母の赤白二が初めて和合する位)
 二にアブドン位(皰と訳され、二七日を経て瘡疱の形となる位)
 三にヘイシ位(血肉と訳され、三七日を経て血肉を形成する位)
 四にケンナラ位(堅肉と訳され、四七日になり肉のかたまる位)
 五にバラシャキャ位(形位と訳され、五七日を経て六根が備わる位)
そして出生を待つと説かれています。
 この説は受胎後、胎児が直ちに生命体として生育を始めることを明かしており、現代医学と近似しているものといえましょう。まさしく胎児は人格とまではいえないまでも、生命ある〝ひと〟として生きているのです。
 そして、十界互具・一念三千の仏法の生命観より見れば、たとえ小さな胎児の生命にも必ず仏性を具し、あらゆる可能性を秘めているのです。ですから「水子のたたり」があるかといえば、そのようなものはありませんが、堕胎という生命軽視の行為はなんらかの罪障を作ることになるでしょう。
 そのために大事なことは、何よりも正しい仏法を基調とした生命観の確立と、道徳心の向上をはかるといことであり、もし不幸にして水子があった場合は、正しい因果律をふまえた真実の仏法による追善供養と、本人自身の罪障消滅の祈念こそがもっとも肝要なことといえましょう。

【折伏実践のために】

水子を利用する邪宗教
 水子供養は江戸時代から盛んに行われましたが、「水子のたたり」を鎮めるという考え方は、一九七〇年代頃から広まったと言われます。理由は、人工中絶の増加にあると考えられます。
 現在も年間で三十万件近くの人工中絶が行われ、インターネットで「水子」と検索すれば、供養を謳うたう宗教団体等のホームページが列挙されます。
 内容を見ますと、「水子のたたりは恐ろしい霊障である。墜胎や流産した水子の霊は生まれてくるはずだった親のもとに取りすがる」と流産や堕胎を経験した人の罪悪感を煽あおり、供養をさせる悪質なものを多く見かけます。中には供養料は一霊三万五千円だが、二霊は五万円、などと案内する寺院もあり、「まとめて供養すれば得」というやり方に、それがまともな供養ではないことが明らかに見て取れます。
 このようなやり方を、メディアでも霊感商法と批判しますが、一向になくならないのは、「水子はたたる」という概念が浸透しているからでしょう。
 
 「たたり」は実際にあるのか
 では「たたり」は実際にあるのかということですが、日蓮大聖人様の御書には「たたり」と仰せになる箇所があります。一つは『念仏無間地獄抄』の、
「邪法のたゝり踵きびすを廻めぐらさず、冥みょう罰ばち爰ここに見あらはれたり」(御書 四一㌻)
との仰せです。
 浄土宗の善導は法華経を誹謗し念仏を弘めた結果、極楽浄土へ行くために柳の木から身を投げて自殺し、苦しみながら死にます。つまりここで仰せの「たたり」とは、「邪宗・邪義の害毒」のことです。
 また『治病犬小権実違目』には、
「其の後の代々の三災七難等は大体は仏法の内の乱れより起こるなり。(中略)神のたゝ祟りも有り」(同 一二三八㌻)
と仰せです。ここでの「たたり」とは、神が起こした「災害」を指します。諸天善神は『宿屋入道許御状』に、
「念仏宗と禅宗等とを御帰依有るがの故に、日本守護の諸大善神、瞋しん恚にを作して起こす所の災ひなり」(同 三七〇㌻)
と仰せのように、謗法を犯す衆生を罰するため、国土に災害を起こすのです。
 つまり大聖人様の仰せから見ると、「たたり」の正体は、正法に背く故の謗法の害毒や罰であり、かつて前御法主日顕上人猊下が、
「因果の筋道・法則が存在しておるということが仏法の基本理念であります。すべては偶然な存在ではなく、必ず原因・結果において存在するのです」(大日蓮 六五二号)
と御指南されたように、今世や過去世から積んだ自らの悪因に対する悪果なのです。したがって、個々の「水子」による「たたり」が私たちに災いを起こすのではありません。
 しかし世間の人々は、謗法の害毒や因果の理法が判らないため、世間法で原因を特定できない不幸を「たたり」ではないかと考えるのです。また三毒強盛な凡夫は、自分を原因とする不幸も、原因を外的要因に求めがちです。
 ですから私たちは、大聖人様の仏法を信じ、正しい因果の道理を理解しない限り、「たたり」や「偶然」、「他人」に不幸の原因を求め、結局は何も解決しないまま人生を過ごすことになるのです。
 
 親子となる因縁
 以上のように、私たちの幸不幸の原因は、基本的に自分自身の過去・現在の業にあるのです。しかしまた親子となることは、そこに過去世以来の深い因緑が存することも仏法の道理に照らして明らかです。
 大聖人様が『孟蘭盆御書』に、
「悪の中の大悪は我が身に其の苦をうくるのみならず、子と孫と末七代までもかゝり候ひけるなり。善の中の大善も又々かくのごとし」(御書 一三七七㌻)
と仰せのように、先祖が積んだ善悪両業が、子孫の幸不幸に影響を与えることも事実です。これは、小さな胎児においても同じことが言えるのです。
 ですから、不幸にして水子があった場合は、正しい仏法の道理に基づいて追善供養することが大事です。
 
 正しい水子供養について
 大聖人様は『忘持経事』に、
「吉きっ占せん師し子し・青しょう提だい女にょ・目もっ?けん尊そん者じゃは同時の成仏なり」(同 九五八㌻)
と、親子一体の成仏を明かされます。水子も同様で、親が信心に励み、寺院に参詣して塔婆を建立し、追善供養を行うことで初めて妙法の功徳が回向され成仏が叶うのです。
 御法主日如上人猊下は、
「間違った宗教は(中略)正邪の分別も判断できず、結局はその人自身も、また周りの人も苦しまなければならなくなってしまいます」(大白法 六九九号)
と御指南されています。邪教の影響で正しい判断ができない世間の人々の中には、「水子のたたり」という迷信に苦しむ人が大勢います。
 私たちは、そのような人々に「たたり」などなく、不幸の原因は、謗法の害毒や過去世ばかりではなく現世の悪業にあること、そして『経王殿御返事』に、
「わざはひも転じて幸さいわひとなるべし」(御書 六八五㌻)
と仰せのように、大聖人様の仏法を信じて真の反省懺悔をすることにより、過去の罪障は消滅し、幸いへと転ずることができることを、確信を持って伝え、折伏をすることが肝要です。

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和歌山県田辺市の在住、日蓮正宗法華講員です。
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