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「正しい宗教と信仰」に学ぶ(大白法)

1信仰と名のつくものはなんであろうときらいだ
2神仏を礼拝することが尊いのであるから、何宗でもよいのではないか
3霊をどのように考えるか
4宗教の必要性を認めない
5信仰は理性をマヒさせるアヘンのようなものではないか
6宗派は分かれているが、到達する目的地はおなじではないか
7現実に神や仏がいるとは思われない
8悪霊のたたりはあるのか
9信仰はもうこりごりだ
10どんな宗教にもよい教えが説かれていると思うが
11宗教は精神修養にすぎないのではないか
12霊媒に頼ってよいのか
13宗教によらなくても、自分で幸福だと思えばよいのではないか
14どんな宗教にも、それなりの利益があるのではないか
15「さわらぬ神にたたりなし」で宗教に近づかない方がよいと思うが
16超能力を信ずることは宗教なのか
17信仰は意志の弱い人間のすることだ
18仏教はすべて釈尊から出ているのだから、どれを信じてもおなじではないか
19現実生活の幸福要件はお金が第一ではないか
20念力とはなにか
21信仰を求めるのは病人や貧乏人ばかりではないか
22先祖を崇拝することがまちがっているのか
23学歴や社会的地位こそ幸福の要件ではないか
24人相・手相などはどのように考えるべきか
25信仰は本人の自由意志によるべきで、他人に強要することはよくない
26他の宗教で幸福になった人もいるのではないか
27今が楽しければそれでよいではないか
28家相・墓相について知りたい
29自分は忙しくて時間がないので信仰ができない
30他の宗教によって現実に願いがかなったので信じているが
31宗教は思考をマヒさせ、人間を無知にするのではないか
32大安・仏滅・友引などの吉凶は現実にあるのか
33信仰は老人がするものではないのか
34先祖が代々守ってきた宗教を捨てることはできない
35宗教が社会に評価されるのは福祉活動だけではないか
36信仰をしていても悪い人がいるのではないか
37自分の気に入った宗教が一番よいと思う
38現実生活をさげすみ、偽善的態度をとる宗教者がきらいだ
39姓名判断をどう考えたらよいのか
40自己の信念を宗教としている
41宗教は狂信、盲信のすすめではないか
42自分は先祖の位牌を祭っているので、それで充分だ
43八卦、星占いなど多くの占いがあるが、どのように考えたらよいのか
44現在は信仰するほどの悩みはない、いまの生活で満足だ
45信仰の自由は憲法でも保障されているのだから、なにを信じてもよいはずだ
46宗教を持たなくても幸福な人はたくさんいるのではないか
47守護霊や守護神はいるのか
48利益や罰はその人の心の持ち方によるのであって、客観的にあるものではない
49信仰は必要な時だけすればよいのではないか
50人生の幸福とは努力以外にない
51水子のたたりはあるのか
52信仰をしなくても立派な人がいるのではないか
53歴史のある有名な神社やお寺の方がありがたいと思うが
54厄年はあるのか、厄を防ぐには
55信仰はなぜ必要なのか
56現代の生き仏,生き神と呼ばれる人がいるが,どうとらえるか
57道徳さえ守っていれば宗教の必要はない
58邪宗という呼び方が気に入らない
59血液型による性格判断などをどう考えるべきか
60狐つきなどのつきものをどう考えるべきか
61無神論ではなぜいけないのか
62いまさら改宗するのはめんどうだ
63宗教に正教と邪教があることがわからない
64信仰をすると周囲から奇異な目で見られるのではないか
65どの宗教が正しいのか自分でたしかめてみたい
66特定の宗教への入信は人間関係をむずかしくするのではないか
67日蓮正宗に入信すると結婚や就職がしにくくなるのではないか
68なぜ他の宗教を捨てなければならないのか
69信仰を持つことによって、仕事がおろそかになるのではないか
70なぜ日蓮正宗と他の宗教をいっしょに信仰してはいけないのか
71信仰をするといろいろな制約があって遊べなくなるのではないか
72日蓮正宗では、なぜ神棚や神札をはずさせるのか
73信仰は個人的にするものだから、組織に入らなくともよいのではないか
74手を合わせて拝むことは恥ずかしい
75もっとも正しい宗教としての条件は、
76日蓮正宗がそんなによい宗旨なら、なぜ社会の人から広く受け入れられないのか
77仏教の法話は現実離れしたおとぎ話ではないか
78日蓮正宗の信仰をすると、どのような利益があるのか
79宗教の世界は、科学的根拠や証明があいまいではないか
80宗教は教団の金もうけにすぎないのではないか
81自分の宗派だけを正しいと主張することは「エゴ」ではないか
82世界平和を説く宗教が他の宗教を攻撃して争うことは自語相違ではないか
83南無妙法蓮華経と唱えるならば、どれもおなじではないか
84日蓮聖人の史跡を訪れ参拝をしているから充分だ

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  • 残暑見舞い 2024年9月8日
    残暑お見舞い申し上げます。 立秋は過ぎましたが暑い日が続きます。 お体をご自愛ください。

管理人

和歌山県田辺市の在住、日蓮正宗法華講員です。
宝相寺支部所属。宝相寺は日蓮正宗総本山大石寺の末寺です。人生の悩みなど正しい仏法で乗り越えていきましょう。
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